カリブ海の西インド諸島で開催中のクリケット・ワールドカップ。本日インドはスリランカと重要な一戦を行う。もし敗北したら、インドは屈辱的な予選敗退となる。既にパーキスターンの予選敗退が決定しており、今年は伝統の印パ戦は見られない。それだけでも残念なのだが、インドが決勝トーナメント進出に失敗すると、ワールドカップの楽しみは無になってしまう。そればかりか、パーキスターン代表のコーチが変死しており、かなりきな臭い状況となっている。どうなってしまうのだろうか?
そんなインド人にとって重要な日である本日(2007年3月23日)、映画館に新作ヒンディー語映画「Namastey London」を観に出掛けた。正午の回であったにも関わらず、意外にも映画館は観客で溢れており、盛り上がりも上々であった。
監督:ヴィプル・アムルトラール・シャー
制作:ヴィプル・アムルトラール・シャー
音楽:ヒメーシュ・レーシャミヤー
作詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:サロージ・カーン、アシュレー・ロボ、ラージーヴ・スルティー、ポニー・ヴァルマー
出演:リシ・カプール、アクシャイ・クマール、カトリーナ・カイフ、ウペーン・パテール、ジャーヴェード・シェーク、クライド・ステンデン、ワーディヤー、リテーシュ・デーシュムク(特別出演)、チャールズ英皇太子(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ジャスミート(カトリーナ・カイフ)はロンドンで生まれ育ったインド系英国人の女の子であった。彼女は自分をインド人とは考えておらず、ジャズと名乗っていた。パンジャーブ出身でロンドンで衣料品店を経営する父親のマンモーハン(リシ・カプール)は、インド人としてのアイデンティティーを拒否する娘の言動に不安を抱いていた。また、マンモーハンの親友でパーキスターン人のパルヴェーズ・カーン(ジャーヴェード・シェーク)も同じ世代間ギャップに悩んでいた。息子のイムラーン(ウペーン・パテール)が英国人と結婚しようとしていたからである。 ある日マンモーハンはジャズを連れてインドへ行く。名目はインド観光であったが、真の目的はジャズの婿探しであった。何人かの婿候補とお見合いをした後、マンモーハンは故郷のパンジャーブで親友の息子アルジュン・スィン(アクシャイ・クマール)を最適の婿だと判断する。アルジュン・スィンもジャズに一目惚れであった。だが、ジャズは違うことを考えていた。インドで結婚式を挙げたとしても、英国では無効だと考えたジャズは、面倒を避けるためアルジュンとインドで結婚式を挙げる。アルジュンはジャズと共にロンドンへ行くが、そこでジャズは、自分は英国では独身だと宣言する。また、ジャズには英国人の恋人チャーリー・ブラウン(クライド・ステンデン)がおり、彼と結婚すると言い出す。ショックを受けたマンモーハンは酒びたりになってしまうが、アルジュンは諦めなかった。彼はジャズの軽薄な行動に少しも抗議せず、ただ愛を示し続ける。 最初はアルジュンを英語もできないただの田舎者と馬鹿にしていたジャズであったが、アルジュンの誠意ある行動とインド人としての誇りに次第に心を動かされる。一方、チャーリーはインド人を馬鹿にする言動を何度かするようになり、ジャズの気持ちは変化する。 チャーリーとジャズの結婚式が教会で行われようとしていた。アルジュンはジャズを教会まで送って行き、2人に「結婚おめでとう」と流暢な英語で声を掛け、去って行く。いざ神父から結婚の誓いを促されると、ジャズは沈黙の後に「ノー」と答え、教会から逃げ出し、アルジュンを追いかける。
ロンドンを舞台にしているものの、テーマは「結婚」という伝統的なインド映画。男の方が一度結婚した自分の妻の心を勝ち取るという筋は、「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999/邦題:ミモラ)そのもので、「結婚後の恋愛は結婚が勝つ」というインド映画の法則を地で行く映画だが、ポスト・アイシュワリヤーの有力候補、カトリーナ・カイフのステップアップのための映画として価値のある作品であった。
英国人とインド人(カシュミール人)のハーフで、美しさとかわいさを見事に兼ね備えたスーパーモデル、カトリーナ・カイフは、「Boom」(2003年)で映画デビューを果たした後、数本のインド映画に出演して来た。しかしながら、英国育ちのカトリーナはヒンディー語が苦手で、今まで別人の吹き替えで対応して来た。だが、この「Namastey London」で彼女は初めて自身の声で出演している。当然、セリフにはヒンディー語も多用されているし、パンジャービー語も含まれている。英語はともかく、インドの言語はまだ流暢とは言えないレベルだが、カトリーナ・カイフの「完全デビュー」として歓迎すべき一作品と言えるだろう。アイシュワリヤー・ラーイの女優引退が噂されている中、インド映画界はアイシュワリヤーに代わる「女神」を早急に求める必要に迫られている。プリヤンカー・チョープラーがその筆頭だが、カトリーナ・カイフもその有力候補だと言える。何しろ、アイシュワリヤーと付き合っていた過去のあるサルマーン・カーンが、新しい恋人に選んだのがカトリーナである。今のところほとんど外見のみで女優をしているカトリーナであるが、かつてのアイシュワリヤーも同じようなものだった。ただ、カトリーナにはひとつアイシュワリヤーにはない大きな魅力がある。笑顔よりもどちらかというとすまし顔の方が魅力的な、非人間的美しさを持ったアイシュワリヤーに対し、カトリーナは笑顔がとても魅力的なのである。「Namastey London」でも、その笑顔で観客の心を惹き付けていた。カトリーナ・カイフは、今、成長が最も楽しみな女優である。
しかし、「Namastey London」の中で彼女が演じたジャズの役は、全く感情移入できるキャラではなかった。アルジュンと結婚をし、彼をロンドンまで連れて来ながら、「インドでの結婚は無効」と言い渡す様は、あまりに自分勝手で思いやりがなかった。土壇場で彼女はアルジュンを選ぶが、それも婚約者のチャーリーの気持ちを考えないやり方であった。アルジュンがジャズの心を勝ち取ったと受け取ればハッピー・エンディングであったが、結局ジャズの身勝手な行動で周囲が迷惑を被っただけの映画になってしまっていたことは否定できない。
アクシャイ・クマール演じるアルジュンのキャラも中途半端であった。パンジャーブの片田舎で生まれ育った生粋のパンジャービーという設定で、その彼とロンドン育ちのジャズとのギャップがこの映画の核だったはずだが、ロンドンに来た途端、アルジュンは全く田舎っぽくなくなってしまい、最後には急に流暢な英語を話し出して、実はインテリな男だったことが判明する。この展開は脚本の破綻と言っていいだろう。
リシ・カプールや、パーキスターン人俳優ジャーヴェード・シェークなど、脇役陣は堅実な演技をしていた。期待の若手男優の一人、ウペーン・パテールもいい感じだった。また、英国人俳優も多く登場していた。冒頭ではリテーシュ・デーシュムクが特別出演する。
映画中では、英国における人種摩擦がかなりクローズアップされていた。インド人に対する英国人の差別もあったし、同時に英国人に対するインド人の差別的視点も描かれていた。英国人チャーリーと結婚しようとするジャズに対し、父親のマンモーハンは激怒するし、パーキスターン系英国人イムラーン・カーンと英国人女性の結婚でも、双方の両親はお互いに対する差別的感情を露にしていた。特に女性の両親はイムラーンに対し、テロリストが親縁者にいないことを証明することと、キリスト教への改宗と改名を結婚の条件に出していた。
さらに、英国東インド会社の官僚を祖父に持つ英国人老人のインド差別もあった。チャーリーとジャズの婚約発表パーティーにおいて、その老人はインドのことを「蛇使いの国」と表現し、インド人と結婚しようとするチャーリーを暗に嘲笑していた。だが、それを聞いたアルジュンはインドの素晴らしさ、偉大さをとうとうとヒンディー語で演説し、老人の言葉を失わせる。インド人には爽快な1シーンだったことだろう。
音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。「Namastey London」のサントラは、やはりヒメーシュらしさが出た一作となっており、彼の歌う「Chakna Chakna」、「Viraaniya」、「Yahi Hota Pyaar」などは「これぞヒメーシュ!」という音楽である。ただ、「Namastey London」の中で最も優れた曲はラーハト・ファテー・アリー・ハーンの歌う「Main Jahaan Rahoon」であろう。
言語は基本的にヒンディー語だが、英語のセリフが非常に多用される。この映画ではなんと英語セリフのシーンでヒンディー語字幕が入る。英語のセリフが多用されるシーンで、英語の分からない観客のためにヒンディー語のナレーションが入ることは、「Lagaan」(2001年)など、今まで数例あったが、ヒンディー語字幕が入った映画は初めて見たかもしれない。ただ、字幕の転換が早過ぎて読んでいられない。また、インドではまだまだ文字の読めない人が多いし、ヒンディー語圏外の観客のためにもなっていない。ヒンディー語字幕は普及しないと思われる。その他、パンジャービー語のセリフがちらほら見受けられた。
また、どういうコネで実現したのか分からないが、映画中にはチャールズ皇太子が出演している。インド映画に英国王室の王族が生出演したのは初めてのことかもしれない。
「Namastey London」は、外見はオシャレな感じだが、中身は伝統的な方程式に則った典型的インド映画と言っていいだろう。カトリーナ・カイフの美貌とヒメーシュ・レーシャミヤーの音楽が最大のセールスポイントだ。