今日は、2006年4月21日公開の新作ヒンディー語映画「Pyare Mohan」をPVRプリヤーで観た。題名は、主人公2人の名前。監督は「Masti」(2004年)のインドラ・クマール、音楽はアヌ・マリク。キャストは、ファルディーン・カーン、ヴィヴェーク・アーナンド・オーベローイ、イーシャー・デーオール、アムリター・ラーオ、ボーマン・イーラーニーなど。
ピャーレー(ファルディーン・カーン)とモーハン(ヴィヴェーク・アーナンド・オーベローイ)はスタントマンの仕事をしていたが、撮影中の事故で、ピャーレーは視覚を失い、モーハンは聴覚を失った。二人はグリーティングカード店を開き、仲良く暮らしていた。ある日、ピャーレーとモーハンは、デリーからムンバイーへやって来たミュージシャンの卵、プリーティ(イーシャー・デーオール)とプリヤー(アムリター・ラーオ)の姉妹と出会う。たちまちの内にピャーレーはプリーティに、モーハンはプリヤーに恋をする。
ピャーレーとモーハンの活躍により、プリーティとプリヤーのムンバイーでの最初のショーは大成功する。おかげで、バンコクで公演する仕事を得ることができた。ピャーレーとモーハンは、空港でプリーティとプリヤーを見送りに行き、その場でプロポーズをする。だが、プリーティとプリヤーは、健常な男性と結婚したいと言って断る。
ところが、プリーティとプリヤーの乗った飛行機には、ドン・トミー・フェルナンデス(ボーマン・イーラーニー)も同乗していた。かつてインドのアンダーワールドを支配していたトミーは、警察の目をくらますために死んだと見せかけてバンコクへ高飛びし、正体を隠して暮らしていたのだった。ひょんなことからトプリーティとプリヤーはトミーの秘密を知ってしまう。しかも、勘違いからバンコクの警察に殺人の罪で逮捕されてしまう。
TVでプリーティとプリヤーが逮捕されたことを知ったピャーレーとモーハンは、二人を救出するためにバンコクへ降り立つ。早速二人は警察署へ行くが、面会はできなかった。そのとき偶然、二人はトミーの弟のタイニーがプリーティとプリヤーを暗殺しようとしていることを知る。ピャーレーとモーハンは、二人を守るためにわざと警察に逮捕されて拘置所へ入り、隙に乗じて逃げ出す。
ピャーレー、モーハン、プリーティ、プリヤーはバンコクの警察とトニーに追われることになった。何度か危機をくぐり抜けるが、とうとうトミーに追い詰められる。だが、絶体絶命のピンチの場面で四人はバンコク警察に助けられる。トミーの弟タイニーは、トミーに殺されかけたことを恨み、トミーを裏切って全てを警察に報告したのだった。
プリーティとプリヤーは、ピャーレーとモーハンの素晴らしさに気付かなかったことを恥じ、改めて2人のプロポーズを受け入れる。
インドラ・クマール監督の前作「Masti」は秀逸なコメディー映画だったため期待していたのだが、この「Pyare Mohan」は期待を遥かに下回るコメディー映画であった。運気回復のために改名までしたヴィヴェーク・アーナンド・オーベローイ、またも出演作がフロップ濃厚である・・・。見ていて哀れになって来る。
スタントマンの仕事中の事故でアンダー(目の不自由な人)になってしまったピャーレーと、ベヘラー(ろう者)になってしまったモーハン。この凸凹コンビがこの映画の最大の笑わせ所だ。アンダーをネタにした笑いはインドでは定番だが、ベヘラーの笑いはアンダーに比べたら少ないかもしれない。モーハンは人の唇の動きを見て相手の話す内容を理解するのだが、完璧に理解できるわけではなく、それがいろいろ誤解や騒動を巻き起こす。「お前、ベヘラーか!?」「あれあれ、兄さん、分かりません。私はベヘラーですから」などというちぐはぐなやり取りが面白かった。それにしても、インドでは身体障害者が映画やTVCMなどによく出てきて人々を笑わせるが、まず日本ではこういうことはありえないだろう。インド人は、日頃から路上などで活動している障害を売り物にする乞食を見慣れているためか、障害者に対して日本では考えられないくらい自然に接することができる人が多い。障害者が映画やTVで笑いのネタになっているのが、そういう自然さから来ていればいいのだが、やはり時々気になる。ただ、「Pyare Mohan」はアンダーとベヘラーにかけてうまくまとめられていた。エンディングで、プリーティはピャーレーに、「あなたの目の中にある真実の愛を見抜けなかった私の方こそが視覚障害者だったわ」と言い、プリヤーはモーハンに、「あなたの愛の鼓動を聞くことができなかった私の方こそが聴覚障害者だったわ」と言う。
アンダーとベヘラーのコンビネーション・ギャグの他、映画中にはオマケ的お笑いシーンもいくつか盛り込まれていた。例えば、大型のRV車と軽自動車が衝突し、RV車から小男が威勢良く叫びながら飛び出て来る。すると、軽自動車からヌッと大男が出てくる。たじろぐ小男――また例えば、バイクに乗ってピャーレー、モーハンらを追いかけていたタイニーが、勢い余ってバイクから放り出され、そのまま頭から停車中のトラックの中にいた馬の尻の穴に突入――こういうベタなギャグがいくつかあった。下品なギャグも多めであった。
ヴィヴェークはいつからこんなチンピラみたいな男優になってしまったのだろうか?彼からは、デビュー当時にあった覇気が全く見られなくなってしまった。ますます額が広くなったような気もする。コミックロールができることはもう「Masti」で分かったから、ヴィヴェークはそろそろ作品をよく選ぶことを心がけたが方がいいと思う。それとももう出演作を選べないぐらいの危機的状況となっているのだろうか?一方、ヴィヴェークに比べたら、ファルディーン・カーンは適切な演技を見せていた。
イーシャー・デーオールはますますけばくなっていて対応に困った。「私はインドの怪力男の娘よ」と言って悪役エキストラをぶちのめすシーンがあるが、これはイーシャーの実の父親ダルメーンドラのことを暗に指しているのだろうか?イーシャーの母親ヘーマー・マーリニーに言及する台詞も映画中出てきた。もう一人のヒロイン、アムリター・ラーオは「Main Hoon Na」(2005年)の頃に比べて見違えるほど大人っぽくなった。だが基本的にこの映画のヒロイン二人はお飾りに過ぎず、出番はあまりなかった。
ボーマン・イーラーニーは「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)で見せたような「笑える悪役」を今回も演じた。彼はいろんな役柄を演じることができる優れた男優だが、やはり「笑える悪役」が最も似合っている。あの甲高い声で小刻みにシャウトする姿がたまらない。
音楽はアヌ・マリク。「Pyare Mohan」の音楽や踊りは悪くなかったが、印象に残る曲に欠けた。
バンコクが舞台となっており、タイ人もエキストラで出ていた。警察署の署長を演じていた男優はもしかしたらタイでは少し有名な人かもしれない。しかし、俳優たちがタイ人のことを「中国人(チャイニーズまたはチーニー)」と呼んでいることが気になった。インド人は日本人を中国人と混同することが多いが、タイ人のことも中国人と呼んで変に思わないのだろうか?もしかしてインド人の言う「中国人」は、広い意味での用法があるのかもしれない。ヒンディー語の「アングレーズィー」という言葉は、「英国人」という原義に加え、外国人全般を指すのにも使われる。それと同じように、ヒンディー語の「チーニー」には、東洋人全般を指す使い方があるのかもしれないと感じた。
ちなみに、映画中インドラ・クマール自身が監督した「Mann」(1999年)の映像が使われていた。
「Pyare Mohan」は、コメディー映画としてはお世辞にも優れた作品とは言えないが、コント集と思えば笑えるシーンはいくつかある。それでも、無理して観る価値はないと言い切っていいだろう。