Koi Mere Dil Mein Hai

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Koi Mere Dil Mein Hai
「Koi Mere Dil Mein Hai」

 暑くて暑くて何もやる気が出ない最近だが、時々夕方ににわか雨が降るようになったので、そういう日はちょっと涼しくなる。今日も午後に雨が降ったため、ちょっと涼しくなった。よって、グルガーオンのPVRメトロポリタンまで映画を観に出かけた。今日観た映画は、2005年6月3日公開の新作ヒンディー語映画「Koi Mere Dil Mein Hai」である。

 「Koi Mere Dil Mein Hai」とは、「誰かが私の心の中にいる」という意味。監督はディーパク・ラームセー、音楽はニキル・ヴィナイ。キャストは、プリヤーンシュ・チャタルジー、ディーヤー・ミルザー、ラーケーシュ・パーパト、ネーハー、カダル・カーン、リーマー・ラーグー、サダーシヴ・アムラープルカル、イムラーン・カーン、ヒマーニー・シヴプリー、リター・バハードゥリー、ディネーシュ・ヒーングなど。

 大企業ヴィクラム・インダストリーズの御曹司、ラージ(プリヤーンシュ・チャタルジー)はプレイボーイな生活を送っていた。父親のヴィクラム(カダル・カーン)と母親(リーマー・ラーグー)は、ラージの縁談を、友人でやはり大富豪のゴーレー氏(サダーシヴ・アムラープルカル)の一人娘、スィムラン(ディーヤー・ミルザー)と取りまとめる。最初は拒否するラージであったが、母親の説得に負け、スィムランと結婚することを了承する。ところが、ラージは妹ソーニーの家庭教師としてやって来たアーシャー(ネーハー)に一目惚れしてしまう。一方のアーシャーはラージを無視し続けていた。

 ドバイでプレイガールな生活を送っていたスィムランは、歌手を目指す純朴な若者サミール(ラーケーシュ・バーパト)に恋をする。スィムランはあの手この手でサミールを誘惑するが、全て失敗に終わった。スィムランはサミールを追ってインドに帰ることを決意する。

 空港にスィムランを迎えに来たラージ。スィムランはサミールと共に空港に降り立った。しかし、サミールが到着ロビーに現れた途端、アーシャーが飛び出してきて二人は抱きつく。実はサミールとアーシャーは婚約を交わした仲だった。その様子を見て、ラージとスィムランはショックを受ける。お見合いで出会ったラージとスィムランは、お互いの好きな人が偶然に恋仲であることを知る。そこで彼らは、自分たちの結婚を破談にし、サミールとアーシャーの仲を裂く策略を立てる。まずは第一作戦が成功し、ラージとスィムランの結婚はなかったこととなる。

 次に、ラージは、アーシャーの家が貧しいことに目を付け、無職だったアーシャーの兄を自分の会社に就職させ、アーシャーに高価な贈り物をし、彼女の家族を味方にする。そしてアーシャーに結婚を申し込む。ところが、アーシャーは頑なに拒否していた。一方、スィムランは友人の音楽プロデューサーにサミールを紹介し、彼のCDデビューを決定させる。サミールはスィムランの誘惑を何とか拒みながらも、自身の成功に酔い始める。アーシャーは、スィムランと一緒にいるサミールの姿を見て不信感を募らせ、やがてサミールと絶交する。そしてラージとアーシャーの結婚が決まった。

 ところが、作戦が成功したと同時に、ラージもスィムランも不思議な焦燥感に駆られるようになる。実はラージはスィムランのことが好きであることに気付き、スィムランもラージのことが好きであることに気付いた。だが、お互い言い出せなかった。ラージとアーシャーの結婚式の日が来てしまった。落ち込んだサミールは、最後の別れを言いにアーシャーを訪ねる。アーシャーはサミールに罵声を浴びせかけるが、そこで彼はスィムランが泣いているのを見つける。

 ラージとアーシャーの結婚式は完了する。だが、ラージはその夜アーシャーに、自分は実はスィムランのことが好きであることを打ち明ける。と、実はアーシャーだと思っていた花嫁は、スィムランだった。そこへラージとスィムランの家族が現れる。ラージとスィムランの本心を聞いた家族は、密かにアーシャーとスィムランを入れ替えたのだった。こうして、ラージとスィムラン、サミールとアーシャーはお互いにお互いの好きな相手と結婚することができた。

 近年稀に見る駄作。駄作だろうとは思っていたが、ここまで僕の怒りを買ったインド映画は久し振りだ。なるべく駄作は観ないように、最近は観る映画をよく選んで来たのだが・・・。

 序盤は古風なインド映画のノリ。大富豪の御曹司と、これまた大富豪の娘が、両親から結婚話を持ちかけられる、という出だしである。僕は、これだけでは最低の評価は与えない。なぜなら、使い古されたプロットではあるが、インド映画の一番インド映画らしい魅力が引き出されることが多いからだ。インターバル直前には、ラージとスィムランの結婚が破談となり、いよいよ二人はサミールとアーシャー仲を裂く計画に乗り出すところとなる。この時点では、もしかしたら楽しい映画かも、と思い始めていた。しかし、後半は見ていてムカムカしてくる最悪の展開だった。ラージとスィムランの手口が卑怯であるし、サミールとアーシャーがあまりに簡単に罠に引っかかってしまうからだ。そして、サミールとアーシャーの仲が計画通り破綻すると、今度はラージとスィムランは、やっぱりお互いのことが好きだったと思い始める。他人の恋愛をぶち壊しておいて、なんと身勝手な・・・。主人公に共感できないインド映画は、最低の評価を下さざるをえない。

 ラージとスィムランは上流階級、サミールとアーシャーは中流階級という設定になっていたが、サミールの身寄りはいないし、アーシャーの家庭では毎月の家賃支払いにも困るほどだったので、後者2人は下位中産階級ぐらいの生活レベルであろう。この映画は、上流階級による貧しい男女への執拗ないじめとしか言いようがなかった。サミールとアーシャーの仲を裂く計画を立てているときの、ラージとスィムランのセリフは酷かった。「私たちは上流階級、あの二人は中流階級。私たちが貧しい人たちと結婚してあげることで、彼らの救済にもなるでしょう。」

 役柄が役柄であったため、主演のプリヤーンシュ・チャタルジーとディーヤー・ミルザーは、はっきり言って悪役に近い印象を受けた。しかも悪役よりも悪い悪役だ。自分が悪いことをしているという自覚がほとんどないからだ。ただ自分の自尊心を満たすためだけに、他のカップルの仲を裂くとは、今までのインド映画のヒーロー・ヒロインのモラルからは考えられない。インド映画のヒーロー・ヒロインは、両親や社会慣習の妨害に遭いながらも、それに敢然と立ち向かうはずではなかったのか。プリヤーンシュとディーヤーは、演技力云々前に、この映画に出演することで株を下げてしまったと思う。一方、悲劇の貧乏人カップル、サミールとアーシャーを演じたラーケーシュ・ブーパトとネーハーは、ほとんど無名の俳優であるし、あまり将来性がなさそうだった。

 ディーヤー・ミルザーの不必要なお色気シーンが多かったのも気になった。洗車しているときに、水や洗剤を自分の身体にかけて「ウッフ~ン」とか・・・。ちょっとディーヤーの将来に不安を感じた映画であった。

 ミュージカルシーンにはけっこう力が入っていたと思う。ただ、最後のラージとアーシャーの結婚式では、なぜか「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)の有名な曲「Mehendi Laga Ke Rakhna」に合わせたミュージカルがあった。どういう効果を狙ったものか不明だった・・・。

 「Koe Mere Dil Mein Hai」はおそらく1週間で上映終了となる運命であろう。全く観る価値のない映画である。