Konikar Ramdhenu (Aassamese)

3.5

 インド国際映画祭が始まってからというものの、毎日リバティーに映画を観に行っている。リバティーはカロールバーグの北にあり、僕の自宅からかなり遠い。今のところ、まずバスでコンノートプレイスへ行って(7ルピー)、そこからオートリクシャーに乗ってリバティーへ向かう(35ルピー)という手段をとっており、帰りもこれの逆なのだが、これでは少し金がかかる。しかし毎日行っている内にだんだんカロールバーグへの適切なアクセス方法が分かってきた。ユースフサラーイから535番のバスに乗れば、カロールバーグにもリバティーにもダイレクトで行くことができる。535番はコンノートプレイスやパハールガンジも経由するので、けっこう便利な便だ。ただ、本数が少ないので、かなり時間に余裕を持ってバス停で待たなければならないのが難点。

 今日はリバティーで昼の回の映画を一本観ただけだった。アッサミー語映画「Konikar Ramdhenu」。英語の題名は「Ride on the Rainbow」だった。福岡国際映画祭にも出品されたそうだ。アッサミー語映画を観るのはもちろんこれが初めてだ。

 ある少年が少年院に送られてきた。容疑は殺人。少年は少年院に来てから一言もしゃべらなかった。名前がコクニであることは分かったが、その他は一切不明だった。

  少年院の管理人のボレは、コクニに根気よく話しかけ続ける。彼が海の話をしたとき、ようやくコクニの顔に興味の色が浮かぶ。その後、コクニとボレは次第にお互いのことを話すようになり、絆を深めるようになる。ボレは一度ドゥルガー・プージャーのときにコクニを外へ連れ出して、一緒にグワーハーティーの街を散策する。完全に心を開いたコクニは、自分の素性や殺人のことについても重い口を開いた。

  コクニの村は丘の麓にある美しい村だった。家は車2台に象3頭を有する裕福な家。コクニの学校は3階建てで、コクニは学校で奨学金がもらえるほど優秀な生徒だった。彼は先生からも両親からも愛されていた。村には1歳年下のメグニという女の子がおり、コクニはその子に恋していた。しかしある日勉強が嫌になり、家出してグワハティーへ単身出てきて、ある工場で働くようになった。しかしそこの工場長が夜酔っ払ってコクニに乱暴を働いたので、怖くなった彼は思わず近くに落ちていた鉄パイプを拾って工場長の頭を殴ったのだった。

  少年の証言により正当防衛が認められ、コクニは無罪となった。しかしコクニは家に帰りたくないという。そこでボレはその工場で手掛かりを掴んで、一人でコクニの村を訪ねてみる。しかし実際の村の様子は、コクニの語ったこととは正反対だった。

  彼の家は貧しく、父親は酔っ払いで酒に全ての金を使い果たし、母親は泣き暮らしていた。3階建ての学校などなく、メグニという女の子は実はコクニよりずっと年上の、クラスメイトのお姉さんだった。メグニの家には、コクニが描いた絵が飾ってあった。それは虹に乗って海を渡るコクニ自身の絵だった。ボレはコクニを養子にすることを決意し、彼の父親に同意書にサインさせる。

  ボレも既に定年になっており、コクニとボレは共に少年院を出る。ボレはコクニを連れて自分の村へ行く。2人の新たな人生の始まりだった。

 見終わった後に心がスッキリする映画だった。不幸な境遇の少年と、定年を控えた心優しいおじいさんの間に友情が育まれていく過程を丁寧に描写しており、ほのぼのしていた。主役である子役、おじいさん役の俳優の演技も文句のつけようがなかった。最後はコクニとボレが二人で踊るミュージカルシーンで終わるのだが、そのメロディーは映画館を出て家に帰る間、ずっと頭の中でリフレインしていた。「ティンティナティンティナ、ティンティナティンティナ・・・、ゴブラッ!ゴブラッ!」アッサミー語映画もなかなかやるな、と唸らせる作品だった。ちなみにあらすじの固有名詞は、記憶があやふやなので適当である。

 ほぼ全編アッサミー語だが、やはり時々ヒンディー語に似た単語が出てきて、聞いてて面白かった。「トゥ・ナーム・キ?」が「君の名前は何?」になるということが分かった他、ヒンディー語と共通の動詞をいくつか発見することができた。おそらくベンガリー語とはもっと近いはずだ。ベンガリー語が分かれば、オリヤー語やアッサミー語など、インド東部の言語にさぞや応用が効くことだろう。

 アッサム人の顔はインド人ほど角ばっておらず、インド人と日本人を6:4の割合で混ぜ合わせたような顔をしている。アッサムは僕にとって次の旅行の目的地の最有力候補なので、少しでもグワーハーティーの様子を垣間見ることができてよかった。基本的には普通のインドの街と全く変わりなさそうだ。

 当然ながら、映画館にはアッサム人らしき人がチラホラいた。あとは暇潰しに観に来たようなインド人ぐらいか。客入りはやはり10~15%程度。僕みたいに「この言語の映画はどんな感じなんだろう?」という純粋な好奇心で来ているような映画マニアはいないみたいだ。もっとも、そういう映画マニアはスィーリー・フォートの方で見ているのかもしれない。どっちかというと、映画館としての設備はスィーリー・フォートのような多目的劇場よりも、映画館の方が断然勝っていると思うのだが。