夕方から映画を観にPVRアヌパム4へ繰り出した。なぜかネットがつながらなかったので、どんな映画が何時からやってるのか分からないまま行ったのだが、ほぼ当地に到着した時刻から上映される、今日(2002年9月6日)封切られたばかりの新作映画「Dil Hai Tumhaara」のチケットを手に入れることができた。
「Dil Hai Tumhaara」、意味は「心は君のもの」。まあインドによくある陳腐で特徴のないタイトルだ。監督はクンダン・シャー。主演はアルジュン・ラームパール、プリーティ・ズィンター、マヒマー・チャウダリー、ジミー・シェールギルそしてレーカー。アルジュン・ラームパールは僕の現在のヒーローだし、プリーティ・ズィンターも大好きな女優なので見る気になった。とにかく暇潰しぐらいになってくれれば、とあまり期待せずに映画館の入り口をくぐったのだが・・・。
ヒマーチャル・プラデーシュ州パーラムプルの市長サリター(レーカー)の元には二人の娘がいた。一人はニンミー(マヒマー・チャウダリー)。彼女の実の娘である。もう一人はシャールー(プレーティ・ズィンター)。実は彼女は夫の不倫相手の娘だった。夫とその愛人は交通事故で死んでしまい、息絶える前にサリターにシャールーを託したのだった。サリターは自分の人生を破壊した夫の愛人への憎しみをシャールーに転嫁しつつも育てていた。 それから20年後、母親の愛を存分に受けて育ったニンミーは優等生タイプの女の子に育っており、一方で母親に憎まれて育ってきたシャールーは天真爛漫な不良少女になっていた。しかしニンミーとシャールーはとても仲の良い姉妹だった。仕事もせずブラブラしていたシャールーだったが、あるとき思い立って地元の農業を支える巨大食料品会社カンナー・インダストリーに就職する。 同じ頃、カンナー・インダストリーの社長の息子であるデーヴは、パーラムプル工場の調査をするために、身分を偽って一社員として入社する。シャールーはデーヴに目をつけ、自分の運転手としてこき使う。そして彼が社長の息子であることが発覚するまでに、シャールーとデーヴはいつの間にか相思相愛の仲になっていた。その一方で、ニンミーもデーヴに思いを寄せていた。シャームーもニンミーも、同時にデーヴを愛していることに気が付かなかった。母親はニンミーの気持ちに気付き、デーヴとニンミーの結婚を考え始めていた。 あるときデーヴはシャールーにプレゼントを贈った。「君のことを愛している」と書かれた大きな像だった。しかしそれを最初に見たのはニンミーだった。ニンミーはデーヴからプロポーズされたと思い込み有頂天になる。シャールーはデーヴが自分のためにそのプレゼントを贈ったことは分かっていたが、喜ぶニンミーを見て彼女もデーヴを愛していたことを知り、デーヴを譲ることを決意する。 それからシャールーはデーヴを避け始めるが、デーヴは何でそうなったか理解できない。その内サリターにもデーヴとシャールーが実は恋仲であったことが分かってしまう。シャールーへの憎しみをさらに増大させたサリターは、絶対にニンミーをデーヴと結婚させることを決める。そして怒りのあまり二人の娘の前で、シャールーは夫の愛人の子供であることも暴露してしまう。ニンミーはシャールーに、例え母親は違っても自分たちは姉妹であることは変わりないと言い、そしてデーヴとシャールーが本当に愛し合っているなら、その二人が結婚するべきだと勧めるが、シャールーもニンミーを気遣い、実は自分には別の恋人もいたということを打ち明ける。それがサミール(ジミー・シェールギル)だった。 サミールはシャールーの幼馴染みで、腹話術師をやっており、日本でも公演するほど有名になっていた。実はサミールはシャールーのことを愛していたが、シャールーは彼のことを愛していなかった。しかしシャールーはニンミーのために、サミールと結婚することを決めたのだった。そしてデーヴには全てを打ち明け、ニンミーと結婚するように頼む。デーヴもショックを受けるが、もしニンミーと結婚しなかったらシャールーの一家は滅茶苦茶になることを察知し、しぶしぶ彼女と結婚することを承諾したのだった。また、シャールーを愛していたサミールも苦しい状況に陥る。シャールーはサミールに全てを打ち明けて頼んだ。「ニンミーのために、偽の結婚をして欲しいの。」シャールーは実は自分を愛していないことを知り愕然とするが、しかしサミールはその申し出を受け入れる。 デーヴとニンミーの婚約式が着々と準備されていた。そんなとき、サリターの政敵が彼女のもとを尋ねてくる。シャールーは実は夫の愛人の娘である、という証拠を手に。もしそのことが世間に知れれば、デーヴの父は息子とニンミーの結婚をキャンセルするばかりか、サリターの市長の座も危うくなる。政敵はその証拠を使ってサリターを脅す。しかしそのやり取りを密かに聞いていたシャールーは、デーヴとニンミーの結婚を絶対に成就させるため、自分でデーヴの父の元へ行き、自分はサリターの実の娘でないことを打ち明ける。そして実の母親でなくても、サリターのことを愛していること、実の姉妹でなくてもニンミーのことを愛していることも訴える。それを密かに聞いていたサリターは、20年間憎み続けてきたシャールーが、実の母親のように自分をこれ程愛してくれていたことに感動する。デーヴの父も感動し、デーヴとニンミーの結婚を予定通り執り行うことを約束する。 デーヴとニンミーの婚約式は無事終わる。そしてサリターもシャールーを愛するようになる。全てがうまく行こうとしていたときに、サミールは納得のいかない気持ちだった。そしてサミールはニンミーに、シャールーが彼女のために自分を犠牲にして今まで何をして来たかを全部打ち明ける。それに感動したニンミーは、デーヴと結婚すべきなのはシャールーであることを確信する。ニンミーは公衆の面前でシャールーとデーヴの手を合わさせ、サリターもデーヴの父もそれを祝福するのだった。
それほど期待していなかったのだが、今年観たヒンディー語映画の中でもっとも感動した作品だった。特にプリーティ・ズィンターがいい。彼女は不良少女を演じることが多いような気がするのだが、彼女が演じると根っからの不良少女ではなく、心に傷を負った純粋な少女、という雰囲気になって非常にいい。よく言われることだが、彼女が笑ったときにできるエクボも本当に魅力的だ。この映画はまさにプリーティ・ズィンターのためにあるようなものだ。難しい役柄をエネルギッシュに演じていたと思う。もう個人的にはスタンディング・オヴェーションだ。もしかしたら今年度の主演女優賞を狙えるかもしれない。ただ、プリーティ・ズィンターはあまり化粧映えのしない顔のようだ。花嫁衣裳を着て厚化粧すると、なんかおかしな顔になるような気がするのだが・・・。
レーカーはさすがとしか言いようがない。こんな存在感のある母親役を演じれるのは彼女しかいない。レーカーが出てくると、もうそこにはレーカー・ワールドが広がる。観客をグッと惹き付けるあの眼力は老いた今も健在で、二人の若い女優にも負けないくらい輝きを放っていた。
期待の星アルジュン・ラームパールは、今までそれほどヒット作に恵まれていなかった。「Aankhen」(2002年)がまあまあだったらしいが、マルチスターの映画だったし、アルジュンはどちらかというと映画の足を引っ張ってる役柄だったので、「彼の作品」とは言いがたい。だから今のところ彼はヒット作に全く恵まれていないと言って差し支えないと思う。
ところでこの映画だが、今日から封切られたばかりなので、これからどう興行的に展開していくか分からないけれども、僕は十分ヒットするに足る作品だと思っている。ヒットしなくてもフィルムフェアの作品賞を狙える作品だと思う。遂にアルジュン・ラームパールもよい作品に出演できた、と言い切るのはまだ早いかもしれないが、そうなることを祈っている。今回の彼の演技は、前半は意外なコミカルさが個人的に受けてグッド、中盤から後半にかけては影が薄くなってしまったのでバッド、というところか。でも最初の頃と比べてだんだん演技がうまくなってるように思う。もともとアルジュン・ラームパールはトップモデルなのだが、この映画の中のミュージカルシーンで、彼のモデル仲間のような際立った容姿の男女がバックに突っ立ってるようなシーンがあった。本当に彼のモデル仲間なのかもしれない・・・。ちょっと気になった。
腹話術師のサミールはちょっと微妙な役柄だった。コメディーな役柄なのか、シリアスな役柄なのか、ちょっとはっきりしていなかった。下手すると映画に汚点を加えているかもしれないが、うまくすると映画の奥を深めているのかもしれない。これはそれぞれの観客の受け取り方次第だと思う。だが、これだけは書いておかなければならない。初めの方で彼の腹話術がそれを見ていた日本人夫婦に認められて、日本へ招待されるシーンがあるのだが、そのときに出て来た日本人役の東洋人は、どう見ても日本人には見えなかった。中国人か、下手するとチベット人辺りだろう。やたらとペコペコお辞儀をしていたのが、個人的に自嘲的な笑いを誘った・・・。日本人のイメージはいつの間にかペコペコお辞儀になってしまっているのか?
マヒマー・チャウダリーは今回はあまり特徴のない役柄だった。プリーティ・ズィンターの引き立て役になってしまっていた。でもその目立なさが逆に映画を安定させていたかもしれない。
前々から感じていたことで、この映画を観てさらに確信を強めたが、インド映画というのは、観客の心を一方向へ誘導してクライマックスを迎えさせるのにものすごい長けているようだ。観客が「こうなってほしい」と望むようにストーリーを構築していき、途中まではそういう方向に進んでいくが、途中でそれが何らかの理由で阻まれ、最後の手前まで観客の願うようにはならず、もどかしい思いになっているところへ、最後の最後でそれが土壇場で実現する、そしてハッピーエンド、という流れだ。この映画で言えば、全ての観客の気持ちは「デーヴとシャールーが結婚するべきだ」となるはずだ。しかしそれとは裏腹にデーヴとニンミーの結婚式が進行していく。「このまま二人が結婚してしまうのか?」という不安が頂点に達した最後の最後で、デーヴとシャールーの結婚が滑り込みで成就する。そして観客はホッと胸をなでおろして映画館を去っていく、という形だ。一方、ハリウッド映画の最近の傾向として、最後の最後で観客の思いもよらなかった大どんでん返し、というのがもてはやされているように思う。だからハリウッド映画を見慣れてしまうと、ヒンディー語映画はなんとなく予想通りの結末、という感想になってしまうのだろう。しかし良質のヒンディー語映画をよく観てみれば、観客のマインドコントロールをちゃんと計算して作られているように感じる。
音楽はナディーム・シュラヴァン。1曲だけ心に残った曲があったが、それ以外は並程度か。でもその1曲のおかげで「Dil Hai Tumhaara」の音楽CDを買う気になった。最近よく街角で流れているので、歌もヒットしているみたいだ。