
2000年2月5日公開の「Pukar」は、1999年5-7月に印パ間で勃発したカールギル紛争を時代背景とし、パーキスターンの支援を受けたテロリストがインドの統合を狙って実行しようとしたテロを軍人や民間人が阻止しようとする、愛国主義的な雰囲気に満ちた物語である。「Pukar」とは呼び声または呼びかけることだが、ここでは英熟語「Call of Duty(任務遂行)」の「Call」に似た用法だと捉えた方がいいだろう。
プロデューサーはスリンダル・カプール、ボニー・カプール、バラト・シャー。監督は「Andaz Apna Apna」(1994年)などのラージクマール・サントーシー。音楽はARレヘマーン、作詞はマジルー・スルターンプリーとジャーヴェード・アクタル。
主演はアニル・カプールとマードゥリー・ディークシト。この二人は1980年代から90年代にかけてよく共演してきており、「Tezaab」(1988年)や「Beta」(1992年)などのヒット作を送り出している。
他には、ナムラター・シロードカル、ダニー・デンゾンパ、オーム・プリー、クルブーシャン・カルバンダー、スディール・ジョーシー、ファリーダー・ジャラール、シヴァージー・サタム、ギリーシュ・カルナド、ゴーヴィンド・ナームデーオ、アンジャーン・シュリーヴァースタヴ、ムケーシュ・リシ、ヤシュパール・シャルマー、ヴィージュー・コーテーなどが出演している。
また、コレオグラファーのプラブ・デーヴァーが「Kay Sera Sera」に出演しマードゥリー・ディークシトと踊りを踊っている他、伝説的なプレイバックシンガー、ラター・マンゲーシュカルが「Ek Tu Hi Bharosa」において本人役で出演し歌を歌っている。ラターは元々女優として映画に出演していたこともあるが、プレイバックシンガーとして確立してからは滅多にスクリーンに登場していない。「Pukar」は映画中でラターの姿を拝める稀少な作品のひとつである。
2025年8月9日に鑑賞し、このレビューを書いている。
インド陸軍の有能な軍人ジャイデーヴ・ラージヴァンシュ少佐(アニル・カプール)は、政治家ミシュラー(ゴーヴィンド・ナームデーオ)を拉致した越境テロリスト、アブルーシュ(ダニー・デンゾンパ)を生け捕りにし、ミシュラーを救出する。幼馴染みのアンジャリ(マードゥリー・ディークシト)はジャイデーヴ少佐に片思いしていたが、彼はマーラッパ将軍の娘プージャー(ナムラター・シロードカル)に惹かれていた。プージャーを追いかけてばかりのジャイデーヴ少佐にアンジャリは焼きもちを焼いていた。そうこうしているうちにジャイデーヴ少佐とプージャーの縁談がまとまりそうになる。
ジャイデーヴ少佐はミシュラー拉致事件に違和感を感じ、彼と秘書ティワーリー(アンジャーン・シュリーヴァースタヴ)がアブルーシュと通じているのではないかと疑いを持つ。彼らは裏切りの発覚を阻止するため、アンジャリを使ってジャイデーヴ少佐を罠にはめることにする。ティワーリーに入れ知恵されたアンジャリはジャイデーヴ少佐の部屋からコードを奪い取り、ティワーリーに渡す。そのコードは、アブルーシュの移送計画にアクセスする鍵だった。情報が漏れたことでアブルーシュを移送する車列が襲撃を受け、アブルーシュは脱走してしまう。
アブルーシュ移送計画が敵に漏れたことで、ジャイデーヴ少佐の関与が疑われることになった。ジャイデーヴは軍籍を剥奪され、人々からは裏切り者のレッテルを貼られる。もちろん、プージャーとの縁談は破談となり、彼女はオーストラリアに移住してしまった。また、彼の父親(スディール・ジョーシー)は自殺未遂をする。
大ごとになってしまって焦ったアンジャリは、ジャイデーヴ少佐の上官イクバール・フサイン大佐(オーム・プリー)に自分のしたことを明かす。フサイン大佐はアンジャリを連れてティワーリーの家を訪れるが、そのときアブルーシュはティワーリーとアンジャリの抹殺指令を出しており、刺客の襲撃を受けた。ティワーリーは殺され、フサイン大佐も負傷する。フサイン大佐は絶命する前にアンジャリを連れてジャイデーヴのところへ行き、彼にアブルーシュのテロ計画を伝える。再び彼らは刺客の襲撃を受けるが、ジャイデーヴはアンジャリを連れて脱出する。このときアンジャリは銃弾を受けて負傷してしまう。
森の中の教会でアンジャリは治療を受け、一命を取り留める。ジャイデーヴはアンジャリへの愛に気付くが、アンジャリは自分がコードを盗んだと打ち明ける。ジャイデーヴは、8月15日の独立記念日にタウンホールで行われる式典でアブルーシュが爆破テロを計画していることを知って、アンジャリを放り出して阻止へ向かおうとする。このとき、彼らはアブルーシュの襲撃を受け、アンジャリは捕まってしまう。脱出したジャイデーヴはミシュラーを捕まえて一緒に式典に参加する。
式典ではラター・マンゲーシュカル(本人)が主賓として呼ばれ、歌を歌うことになっていた。変装してタウンホールに忍び込んだアブルーシュは爆弾を仕掛け、時を待つ。ジャイデーヴは爆弾を解除しながらアブルーシュと戦う。捕縛されていたアンジャリも爆破テロの阻止のために活躍し、ギリギリのところで爆弾は解除され、アブルーシュは殺される。ジャイデーヴの無実が証明され、彼は英雄として迎えられる。
カールギル紛争の興奮冷めやらぬ中、公開された「Pukar」には、パーキスターンを明確な敵と捉え、インドが一丸となって国家的危機に立ち向かうことの意義を再確認しようとする意思が明白に詰め込まれている。その一方で、インドの中にも内通者がいることが暗に指摘されている。そこにイスラーム教徒を一方的に敵視するような視点はない。むしろ、インド人は宗教の垣根を越えてインド人であることが強調されている。善玉にもイスラーム教徒はいるし、悪玉にもヒンドゥー教徒がいることで、バランスが取られている。
ダブルヒロインの映画であり、マードゥリー・ディークシトとナムラター・シロードカルが起用されている。主人公ジャイデーヴが思いを寄せるのはナムラター演じるプージャーの方で、マードゥリー演じるアンジャリはジャイデーヴに片思いの状態だ。この配置は、マードゥリーとナムラターの格からすると奇妙に感じた。1993年のミス・インディアであるナムラターの映画デビューは1998年であり、1980年代からトップ女優の地位に君臨していたマードゥリーと比べると圧倒的に格下である。そのナムラター演じるプージャーがジャイデーヴに言い寄られ、マードゥリー演じるアンジャリが嫉妬するというのは、どうしても変なのだ。だが、嫉妬に駆られて売国奴の罠にはまり、国家的な危機を呼び込んでしまうアンジャリの方が圧倒的にチャレンジングな役であり、メインヒロインは間違いなくマードゥリーの方である。ジャイデーヴと最後に結ばれるのもアンジャリであった。
もっといえば、内面的にもっとも強い葛藤を抱え、映画が描出するエモーションの中心にいたのもマードゥリー・ディークシトであり、彼女の演じるアンジャリであった。もちろん、アニル・カプール演じるジャイデーヴもどん底を味わう役であるが、最初は何が起こっているのか分からず、どちらかといえば事故に巻き込まれた方だった。悲劇のヒーローといえばそうだが、物語の中心からは若干外れていた。そう考えると、マードゥリー・ディークシトが主人公の映画だと評価することも可能である。
ただ、観ていて苦しい時間帯が比較的長く続く映画でもあった。ポッと出のプージャーに愛しのジャイデーヴをかっさらわれそうになり嫉妬心を燃やすアンジャリには同情してしまうのだが、彼女の言動には自分勝手なところも見え隠れし、素直に応援できない。だまされたとはいえ、私情から国家的な危機を呼び込んでしまうのもまずかったし、裏切り者扱いされたジャイデーヴが転がり落ちていく中で何も言い出せず、ただ罪悪感を抱えて立ち尽くす姿も見苦しかった。
「Pukar」は、カールギル紛争による印パ関係の悪化とインドの勝利、そして越境テロリストという新たな脅威の出現などといった時代背景の中で、国家統合と愛国主義を声高らかに歌い上げたマサーラー映画である。興行的にもまずまずの成功を収めた。観て損はない映画である。