Khal Nayak

4.5
Khal Nayak
「Khal Nayak」

 1993年8月6日公開の「Khal Nayak(悪役)」は、ヒンディー語映画界の暴れん坊、サンジャイ・ダットの代表作のひとつである。サンジャイは1993年のボンベイ連続爆破テロ事件に関与した容疑で逮捕されたが、この映画が発する「悪役の中にも善人がいる」というメッセージは当時の彼にピッタリのもので、しかも大ヒットしたため、彼はスターとして命脈を保つことができた。特にサンジャイにとっては重要な作品である。

 監督は娯楽映画の巨匠スバーシュ・ガイー。音楽監督はラクシュミーカーント=ピャーレーラール。作詞家はアーナンド・バクシー。キャストは、サンジャイ・ダット、マードゥリー・ディークシト、ジャッキー・シュロフ、アヌパム・ケール、ラーキー・グルザール、スィッダールト・ランデーリヤー、ラミヤー・クリシュナン、プラモード・ムトゥ、スディール・ダールヴィー、ニーナー・グプターなど。

 2025年4月3日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 バルラーム・プラサード、通称バッルー(サンジャイ・ダット)は、犯罪王ローシーダー(プラモード・ムトゥ)の手下として政治家の暗殺など犯罪行為を行っていた。だが、仲間のミスによって警察に逮捕されてしまう。ラーム・スィナー警部補(ジャッキー・シュロフ)は犯罪組織についての情報を引き出そうとするが、バッルーは口を割らなかった。その内彼はまんまと脱走してしまう。ラーム警部補はその責任を負わされ、バッルーの担当からも外されてしまう。

 ラーム警部補と許嫁で、ナーシク刑務所の看守をしていたガンガー・デーヴィー警部補(マードゥリー・ディークシト)はラーム警部補の汚名を晴らすため、脱走したバッルーを誘き寄せる作戦を実行に移す。タワーイフ(芸妓)に変装したガンガー警部補はムジュラー(舞宴)を催してバッルーを誘い出し、彼と共に行動するようになる。だが、最初からバッルーは彼女が警官であることに気付いていた。ガンガーに恋してしまったからだった。ガンガーは正体がばれて窮地に陥るものの、警察の銃撃により負傷したバッルーの看病をする。そして、バッルーの身の上話を聞いて彼に同情する。

 バッルーはフリーダムファイターの孫であり、ガーンディー主義者の弁護士ナヴィーン・プラサード(スィッダールト・ランデーリヤー)の息子であった。だが、清貧を貫く父親の生き方に反発したバッルーは、ローシーダーに感化され、彼の手下になってしまう。ナヴィーンはそれを恥じ入って自殺し、母親アールティ(ラーキー・グルザール)は息子の帰りを待ちわびていたのだった。

 バッルーはガンガーと結婚しようとするが、ガンガーは許嫁がいると明かす。警察はアールティを連れ出してバッルーを捜索する。教会でバッルーは母親と再会するが、ラーム警部補が現れ、二人の間で戦いが始まる。実はラーム警部補はバッルーの幼年時代の親友であった。だが、バッルーはガンガーの許嫁がラーム警部補であることも知ってしまう。警察に包囲されたバッルーは射殺されそうになるが、ガンガー警部補が彼を守る。バッルーは逃亡に成功し、ガンガー警部補は公務執行妨害により逮捕されてしまう。

 バッルーはローシーダーに救出され、彼のアジトに移った。バッルーはアールティを誘拐させ、彼女と共にシンガポールに高飛びしようとする。だが、ローシーダーは母親がバッルーの弱点になっていると感じ取り、彼女を密かに殺そうとする。それを知ったバッルーはローシーダーに襲い掛かる。だが、ローシーダーにとどめをしたのはラーム警部補であった。そのときバッルーは姿を消していた。

 ローシーダー亡き後、バッルーが組織のボスになった。だが、バッルーはガンガーが自分をかばったために裁かれようとしているのを知る。バッルーは裁判所に突入し、ガンガーの潔白を主張して自首する。

 決して丁寧に作られた作品でもなければバランスのいい作品ではない。だが、ぞれぞれの要素に野性味あふれるパワーがあり、極上のマサーラー映画としてまとめ上げられている。スバーシュ・ガイー監督の手腕もさることながら、スター俳優たちが持ち味を100%活かした演技をしているのも素晴らしい。

 ヒンディー語映画の基本は勧善懲悪であり、善玉が主人公、悪玉が敵という構成が定番である。だが、「Khal Nayak」は、その題名が示す通り、悪役を主人公にしていることでまずユニークだ。主人公バッルーは政治家暗殺などを請け負うテロリストである。ただ、これは悪役が悪の限りを尽くす映画ではない。最後に改心し、「悪役の中にも善人がいる」というメッセージを発信している。

 この映画をもっとも感動的な要素にしているのは母親の存在である。母親が主人公の映画ではないが、映画の冒頭にバッルーの母親アールティが6年間息子の帰りを待ちわびているというエピソードを提示し、彼女の感情がこの映画の根底に流れていることが伝えられる。ヒンディー語映画には「Mother India」(1957年)を代表とする母性愛を歌い上げた作品群があるが、この「Khal Nayak」もそこに並べ立てられるべき作品だ。警察に追われるバッルーは教会で母親と再会し、彼女に「なぜ来た」と問い掛ける。それに対し母親は「母親だから」と答える。この無条件の母性愛は、母親をこよなく愛し尊敬するインド人男性たちに心を打つ。

 だが、ただ単に母親の溺愛を称賛する映画ではない。「Mother India」でも母親は悪の道に走った息子を自らの手で射殺するが、「Khal Nayak」のアールティも、バッルーに平手打ちをし、きちんと息子をしつけるのが母親の役目であると主張する。それが遅れたため、バッルーはテロリストになってしまった。だが、その平手打ちがバッルーの改心に影響を与えたのは確実である。

 バッルー逮捕に全力を尽くす警察官ラーム警部補の名前が「ラーム」であることからも明らかだが、映画のストーリーには「ラーマーヤナ」が重ね合わせられていた。ラームの許嫁ガンガーも警察官であり、タワーイフに変装して逃亡したバッルーを誘き寄せる。だが、バッルーの方が一枚上手で、彼女の正体は最初からばれていた。ガンガーはバッルーに誘拐された形になるが、これはラーヴァナがスィーターを誘拐した「ラーマーヤナ」そのものだ。ところが、バッルーの身の上話を聞いたガンガーは彼に同情してしまい、彼を射殺しようとした警察官を止める。それが原因でガンガーが逮捕され、「スィーターがラーヴァナを選んだ」と新聞に書き立てられることになる。

 バッルーはガンガーと結婚しようとしたが、彼女に許嫁がいるのを知り、それ以上のアプローチはできなかった。しかも彼女の相手がラーム警部補であることも知る。これでラーマ、スィーター、ラーヴァナの三角関係が形成された。だが、ガンガーの心は常にラーム警部補のものであった。バッルーの求婚を彼女ははっきりと拒絶していた。バッルーは失恋して乱れるが、自分をかばったガンガーが逮捕され有罪判決が下りそうになっているのを知ると、迷わず自らを犠牲にして彼女を助けようとする。

 愛が自己犠牲だとしたら、この物語の中ではバッルーとガンガーが特に自己犠牲を見せていた。バッルーはガンガーを助けるために自首をした。ガンガーはラーム警部補を助けるためにタワーイフに変装してバッルーを誘き寄せる危険な作戦に従事した。そう考えると、ラーム警部補だけは、それほど自己犠牲の行動を取っていない。

 ただ、幼年期のエピソードで語られていたのは、幼い頃のラームがバッルーをかばってケンカをしたことである。ラームとバッルーが幼年時代の親友だったという事実は唐突すぎた印象を受けた。顔を合わせた瞬間に分からないものだろうか。アールティにとってラームは息子同然の存在であったということも語られていたが、アールティはラームを見ても彼だと気付かなかった。これも変である。ラームは孤児であり、母性愛に飢えていたという設定も付け足しのように説明されていた。だが、それらの唐突な情報が混ぜ合わされることで、映画の途中から、ラームとバッルーの間で、どちらがアールティにとって実の息子かを争い合う構造ができた。同じ構造は「Mother India」や「Deewaar」(1975年)でも見られたものだ。ただ、アールティ、バッルー、ラームの三角関係は、それほど発展できずに終わってしまっていた。

 歌と踊りが素晴らしいインド映画はそれだけで評価が高くなるものだ。「Khal Nayak」はストーリーだけでも売れる作品だが、ダンスでも有名である。特に「Choli Ke Peeche Kya Hai」は1990年代を代表するヒット曲だ。「ブラウスの下には何がある?」というエロティックな歌詞と、マードゥリー・ディークシトが踊るバンジャーラー風のダンスは、序盤における不動のハイライトである。「Choli Ke Peeche Kya Hai」やタイトル曲「Khal Nayak Hoon Main」など、同じ曲を何度も繰り返して雰囲気を高めていく手法も見事にはまっていた。

 主演サンジャイ・ダットは野性的な魅力にあふれており、インドで人気が出るのも思わず納得してしまう。ボンベイ連続爆破テロ事件のときにテロリストから銃火器を預かっていたことで彼はテロ幇助という深刻な容疑で逮捕されてしまい、役者生命の危機に陥っていた。何年も服役する可能性もあり、ずっと後になるが、彼は刑が確定した後に大人しく服役もしている。だが、そんな危機の時代にあえてテロリスト役を演じたことで、彼の人気はますます上がることになった。

 「Khal Nayak」はマードゥリー・ディークシト全盛期の一本でもある。彼女の魅力は女王級であり、どんな場面でも彼女は輝いている。撮影時、サンジャイとマードゥリーと付き合っていたとされる。ただ、サンジャイは既婚者であり、それは不倫となる。逮捕によってサンジャイとマードゥリーは破局したと噂されており、この「Khal Nayak」は二人の最後のケミストリーが見られる作品のひとつだ。その後、サンジャイとマードゥリーの共演は「Kalank」(2019年)まで待たなければならなかった。

 ラーム警部補を演じたジャッキー・シュロフも良かったが、サンジャイとマードゥリーが圧倒的だったため、その引き立て役になってしまっていたという印象は否定できない。普通ならば悪役を逮捕する警察官役は主人公であるべきなのだが、「Khal Nayak」は悪役が主人公の映画であり、彼のヒーローぶりが強調される場面は少なかった。

 「Khal Nayak」は、悪役を主役にし、しかも母親や愛しい人の働き掛けによって改心し、自己を犠牲にして愛を貫く姿を見せることで、悪役をヒーローにもした作品である。サンジャイ・ダットやマードゥリー・ディークシトの全盛期を見ることができる映画でもある。荒削りな部分はあるが、力で押し切り、マサーラー映画のフォーマットで包み込むことに成功している。


https://www.youtube.com/watch?v=NQAUgcMeKyc