Raju Ban Gaya Gentleman

3.5
Raju Ban Gaya Gentleman
「Raju Ban Gaya Gentleman」

 1992年11月13日公開の「Raju Ban Gaya Gentleman(ラージューが紳士になった)」は、後に「3カーン」の一角を占める人気スターに成長するシャールク・カーンの、初期の出世作の一本だ。日本でも「ラジュー出世する」という邦題と共に1997年に一般公開された。日本に第一次インド映画ブームを巻き起こした「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)の日本公開の1年前である。インドではヒットしたが、日本ではまだインド映画のファン層が形成されておらず、ほとんど注目されなかった。2023年5月22日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 監督は新人のアズィーズ・ミルザー。「Raju Ban Gaya Gentleman」の成功以降、シャールク・カーン主演映画を多く撮っており、この映画のヒロインでもあるジューヒー・チャーウラーと一緒に3人で映画プロダクション、ドリームズ・アンリミテッド社を設立することになる。現在、ヒンディー語映画界の大手プロダクションのひとつであるレッドチリ・エンターテイメント社の前身である。

 他に、ナーナー・パーテーカル、アムリター・スィンなどが出演している。音楽監督はジャティン・ラリトである。

 ラージ・マートゥル、通称ラージュー(シャールク・カーン)は生まれ故郷のダージリンを出てエンジニアの学位を取り、成功を掴むためボンベイに出て来た。ラージューはジャイ(ナーナー・パーテーカル)というストリートパフォーマーの家に居候し始め、仕事を探すが、なかなか見つからなかった。ラージューは近所に住むレーヌ(ジューヒー・チャーウラー)と仲良くなり、恋仲になる。

 ラージューは、レーヌの勤める建築会社に就職する。ラールキシャン・チャーブリヤー社長の娘サプナー(アムリター・スィン)に気に入られたラージューは重要な仕事を任されるようになり、瞬く間に出世する。おかげでラージューは、夢だった自動車や邸宅を手に入れる。だが、同僚や、サプナーを狙っていたディーパクやその父親マロートラーに嫉妬されるようになる。チャーブリヤー社長も娘がラージューと結婚することに大反対だった。また、レーヌもサプナーがラージューに好意を寄せていることに気付く。

 ラージューはフライオーバー建設のチーフエンジニアに就任する。ラールキシャンから賄賂を渡すように命令されたラージューは、職を失うのを恐れ、それに従う。それを見たレーヌはラージューに失望し、彼から離れる。ラージューのライバルたちは結託して彼を追い落とそうとし、フライオーバーの建設現場で事故を起こす。その事故でラージューの近所に住んでいた貧しい労働者たちが命を落とす。ラージューはチャーブリヤー社長の指示に従い、記者会見でテロリストの仕業だと嘘を付く。

 ジャイはラージューに、事故で死んだ労働者たちの遺体を見せ正気に返らせる。ラージューはマロートラーを襲撃し、チャーブリヤー社長に直談判するが、会社の名声を守ることを最優先にするチャーブリヤー社長は聞き入れなかった。そこでラージューは裁判を起こす。ディーパクは暴漢を雇ってラージューを裁判所から誘拐し殺そうとするが、ジャイの助けにより助かる。血まみれになりながら裁判所に辿り着いたラージューは無実を訴える。サプナーがラージューの味方をしたことでラージューは勝訴する。

 ダージリンのような田舎町から、大きな夢を胸に抱いてボンベイのような大都会に出て来る若者の物語は、特に地方在住者が自分を重ね合わせるのに適している。また、映画の中では田舎との対比によってボンベイの良さと悪さがどちらも描かれているが、そのプレゼンテーションの仕方がうまく、ボンベイの住人にとっても納得がいく内容になっている。キーパーソンとなるのは、ナーナー・パーテーカル演じるジャイだ。彼がストリートパフォーマンスによってボンベイの生活を風刺し、それが映画のストーリーともシンクロしていて、いい味を出している。総じて、主人公ラージューが出世していく過程を追う前半は、確かに広範な観客に受ける要素がある。

 また、ラージューは素朴な中産階級の女性レーヌと、裕福な社長令嬢サプナーの2人に同時に愛されることになる。上昇志向の強いラージューがどちらの女性を選ぶのか見物なのだが、意外に迷わずレーヌを選ぶ。彼はサプナーを恋人や結婚相手として全く見ていなかった。サプナーも割とあっさりと彼をレーヌに譲ってしまう。よって、この三角関係は最初から勝負が付いていた。それでも、せっかくこのようにスパイスの効いた設定を用意したのだから、もう少し泥仕合や板挟みを入れてこの三角関係を引っ張っても良かったのではないかと感じた。

 もっとも不満だったのはラスト20分ほどだ。はめられたと知ったラージューは怒り狂ってディーパクやマロートラーに暴行を加えるが、現在の視点から見るとその野蛮な行動には引いてしまう。どうして彼らが事故を起こした張本人であると分かったのかについてもよく説明がなかった。また、ラージューはチャーブリヤー社長に対して訴訟を行うが、その裁判の様子はかなりやっつけ仕事で、全く緊迫感がなかった。法廷ドラマとしては完全なる失敗作である。

 この時代の映画にはソング&ダンスシーンが多めに挿入される。どれも映画の雰囲気に合った明るい曲ではあるが、いまいち特徴がない。「Raju Ban Gaya Gentleman」のサントラはヒットしたとされているが、現在まで歌い継がれている曲というと、「I Love You…」のリフレインが印象的な「Seene Mein Dil Hai」や、「ラブ」と「マラリア」の造語「ラベリア」がサビの「Kya Hua」ぐらいであろう。

 シャールク・カーンにとっては映画デビュー3作目であるが、前の2作もこの映画が公開された1992年に公開されているので、実質的には「Raju Ban Gaya Gentleman」がデビュー作のひとつといえる。フレッシュかつエネルギッシュな演技をしており、その後の台頭を予感させるに十分の貫禄である。相手役のジューヒー・チャーウラーは既にアーミル・カーンのデビュー作「Qayamat Se Qayamat Tak」(1988年)で名声を獲得しており、格でいえばシャールクよりも上だったと思われる。溌剌とした演技で、シャールクとの相性もいい。この後、この二人は多くの映画で共演することになる。

 若手の俳優たちを主演に据えて新鮮さを出している代わりに、重みのある演技をより経験のある俳優たちが担っている。「Raju Ban Gaya Gentleman」の完成度を単身高めているのは何といってもナーナー・パーテーカルだ。彼が演じたジャイの存在は、単調なロマンス映画を脱却する原動力になっていた。彼は「Salaam Bombay」(1988年)で高い評価を受け、一目置かれた存在だった。また、セカンドヒロイン扱いのアムリター・スィンも決して劣っていなかった。1980年代を支えた女優の一人であり、彼女はこのとき男優サイフ・アリー・カーンと結婚したばかりだった。アムリターは女優サーラー・アリー・カーンの母親である。

 「Raju Ban Gaya Gentleman」は、デビューしたてのシャールク・カーンと、彼とのゴールデンコンビとされたジューヒー・チャーウラーが共演するロマンス中心のマサーラー映画である。ナーナー・パーテーカルやアムリター・スィンの援護射撃も利いている。後半に弱さがあるが、当時はヒットし、シャールクとジューヒーの人気を確立する一作品になった。観て損はない映画である。