Junoon

3.0
Junoon
「Junoon」

 1992年9月18日公開の「Junoon(狂気)」は、もっとも初期のヒンディー語ホラー映画のひとつと数えられる作品である。西洋的な分類でいえば狼男モノであるが、変身するのはオオカミではなくトラである。マイケル・ジャクソンの「スリラー」ミュージックビデオ(1983年)を撮ったことで知られるジョン・ランディス監督の米映画「狼男アメリカン」(1981年)の翻案とされている。

 プロデューサーはムケーシュ・バット、監督はその兄マヘーシュ・バット。主演の一人はマヘーシュの娘プージャー・バット。また、脚本を書いたのはマヘーシュとムケーシュの異母兄ロビン・バット。つまり、バット家のホームプロダクションである。

 他には、アヴィナーシュ・ワーダワーン、ラーフル・ロイ、トム・アルター、ラーケーシュ・ベーディー、アヴタール・ギル、ホーミー・ワーディヤー、ムシュターク・カーンなどが出演している。

 2025年3月21日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 ヴィクラム・チャウハーン(ラーフル・ロイ)とアルンは森に狩猟に出掛けた。地元に住むアーディワースィーのビーマー(ムシュターク・カーン)などから満月の夜に狩りをしてはならないと忠告されるも二人は狩猟を続け、とある洞窟に入る。そこにはサンスクリット語でトラの呪いについて書かれていた。すると突然トラが現れ二人を襲う。アルンは殺され、ヴィクラムはトラを撃つが怪我を負う。ヴィクラムは森林警備員バースカル・イナームダール(ホーミー・ワーディヤー)にボンベイの病院へ運ばれる。

 ヴィクラムの治療を担当したのが女医ニーター(プージャー・バット)であった。ヴィクラムの心臓は一時的に停止するが、奇跡的に息を吹き返し、その後も驚異的なスピードで回復する。ヴィクラムはニーターに恋をするようになる。退院したヴィクラムはニーターの自宅を訪れ、彼女にプロポーズする。だが、ニーターにはラヴィ(アヴィナーシュ・ワーダワーン)という恋人がいた。ラヴィは音楽監督志望だったが売れておらず、ニーターの両親からは結婚を反対されていた。ヴィクラムは資産家であり、母親は彼との結婚を勧める。

 ニーターはラヴィのところへ直行し、24時間以内に結婚するように要求する。ラヴィは結婚の段取りを整えるが、その様子をヴィクラムがうかがっていた。ヴィクラムはプネーに住むラヴィの父親が危篤であることを知り、プネーの病院へ行って父親を殺す。父の死を告げる電報を受け取ったラヴィはニーターに会う暇もなくプネーに帰省する。ラヴィのルームメイト、ヒマーンシュ(ラーケーシュ・ベーディー)がニーターに言づてを頼まれるが、ヴィクラムが彼を自動車でひき妨害する。待ち合わせ場所にラヴィが現れなかったことでニーターはラヴィに失望し、ヴィクラムとの結婚を決める。

 父親の葬儀を終えてボンベイに戻ったラヴィはニーターがヴィクラムと結婚することになったと知ってショックを受けるがどうすることもできなかった。ヴィクラムとニーターの結婚式が行われ、二人は初夜を迎えるが、その日はちょうど満月だった。異変を感じたヴィクラムはホテルの外に出てトラに変身し、プールで泳いでいた女性を襲う。翌朝、遺体が発見され、ヴィクラムは裸で倒れていた。その後もヴィクラムは満月の夜にトラに変身し女性を襲うようになる。

 ビーマーとイナームダールは警察に呪いのことを訴えるが信じてもらえない。だが、ニーターはそれを信じ、満月の夜にヴィクラムを部屋に閉じこめようとする。ビーマー、イナームダール、そして事情を聞いたラヴィもヴィクラムの家に来るが、イナームダールがトラに変身したヴィクラムに殺されてしまう。彼らは森に住むハリー(トム・アルター)から、洞窟に収められた女神のナイフを使えば呪われたヴィクラムを退治できると聞き、それを手に入れようとする。彼らを追ってきたヴィクラムにハリーとビーマーは殺されるが、ラヴィはナイフを手にし、ヴィクラムを刺す。こうして彼らは助かった。

 人間が動物に変身、もしくは動物が人間に変身するという物語はインド映画でも珍しいものではない。もっとも有名なのは意のままに姿を変えられる蛇ナーギンであり、「Nagina」(1986年)のような映画が作られた。「Junoon」は満月の夜にトラに変身することになった男性が悪役になっている。日本人としてはどうしても中島敦の「山月記」(1942年)を思い出してしまうが、関連性はなさそうだ。

 なぜヴィクラムが満月の夜にトラに変身するようになってしまったのか、その理由については呪いで説明されている。その昔、子宝に恵まれなかった王が、呪術師から、つがいのトラを満月の夜に殺しその血をのむことで子供を授かれると聞いて実行した。だが、王はトラから呪われ、満月の夜にトラに変身して人々を襲うようになった。また、呪われたトラを殺した者は同じ呪いを受けた。こうして、その地域では満月の夜に狩猟をしてはならないという言い伝えが生まれたのだった。都会からやって来たヴィクラムはそれを迷信だと一蹴し狩猟を続け、呪われることになったのである。

 ただ、ヴィクラムはトラの呪いを受ける前から悪役っぽい性質を兼ね備えていた。よって、呪われたために人を襲い始めたと解釈していいか疑問である。ヴィクラムは女医ニーターに一方的に惚れ込み、彼女を恋人ラヴィから奪い取って結婚しようとするが、その衝動はヴィクラムに元々備わっていたものだと考えられる。よって、ヴィクラムがニーターと何が何でも結婚しようとする前半の流れは、呪いとは関係なく進んでいったものだと感じた。前半にホラー映画の要素は希薄であり、ロマンス映画っぽい時間帯もある。つまり、ホラーに特化した映画というよりも、ホラー要素を濃くしたマサーラー映画だと分類できる。終盤になるとアドベンチャー映画の要素もあった。

 トラの呪いはヒンドゥー教の教義内で説明されておらず、アーディワースィー(先住民)の言い伝えというヒンドゥー教の外に位置づけてある点も注目したい。それは都市在住のインド人にとって得体の知れないものとなっている。ただ、その解決法として登場するのが女神のナイフであった。女神はカーリー女神にも見えたが、やはりよりアーディワースィー的な女神である。ただ、こちらはヒンドゥー教の管轄に収めることも可能だ。よって、呪いの発端をアーディワースィーという外的なものとし、その終焉を女神のナイフという内的なものとした。インドのホラー映画によく見られる、都会vs農村、上位カーストvs下位カーストといった二項対立の原型が観察できる。

 トラへの変身シーンはこの映画の最大の見どころである。満月の夜、12時になると、ヴィクラムは人間の姿からトラの姿に変身する。その過程は特殊メイクやストップモーションなどを駆使して演出されている。稚拙といえば稚拙であるが、当時としては精いっぱいの表現だったといえる。また、ヴィクラムが変身完了した後の姿は、トラと人間の合わさったトラ人間などではなく、完全なトラである。しかも、本物のトラを撮影に使用していた。何でもCGに頼る現代から見返すと、かえって新鮮だ。

 どうしてもホラー映画としての要素に目が行ってしまうが、純粋な娯楽映画として評価するならば、「よくできたB級映画」という言い方になるだろうか。「山月記」のように、ヴィクラムがトラに精神をむしばまれていく様子をもっと丁寧に描けていたら、より完成度の高い映画になっていたかもしれない。だが、ヴィクラムは同情されない完全な悪役として設定されており、ニーターの恐怖を中心にした単純な映画になっている。

 「Junoon」は、まだインドにおいてホラー映画というジャンルが確立されていなかった頃にマヘーシュ・バット監督が作った狼男系映画である。どうしてもマサーラー映画のフォーマットから脱却できておらず、歌と踊りも入っているが、B級映画として開き直って作られた潔さを感じる。インドのホラー映画史に名を刻む一本である。