Ram Teri Ganga Maili

4.5
Ram Teri Ganga Maili
「Ram Teri Ganga Maili」

 1985年8月16日公開の「Ram Teri Ganga Maili(神よ、お前のガンガー河は汚れてしまった)」は、ラージ・カプールの最後の監督作であり、彼の傑作の一本にも数えられるロマンス映画である。ガンガー河の汚染問題から人心の乱れを指摘しながらも、ピュアなラブストーリーを軸に仕上げているのはさすがだ。

 主演はラージ・カプール監督の三男ラージーヴ・カプール。ヒロインに起用されたのは新人のマーンダーキニー。他に、ディヴィヤー・ラーナー、スシュマー・セート、サイード・ジャーファリー、クルブーシャン・カルバンダー、ラザー・ムラード、ギーター・スィッダールト、トリローク・カプール、クリシャン・ダワン、ヴィシュワ・メヘラー、ウルミラー・バット、AKハンガル、トム・アルター、ジャーヴェード・カーン・アムローヒーなどが出演している。

 また、プロデューサーはラージ・カプールの長男でありラージーヴ・カプールの兄にあたるランディール・カプールである。

 カルカッタ在住のナレーンドラ・サハーイ(ラージーヴ・カプール)は、厳格な父親ジーヴァー(クルブーシャン・カルバンダー)によって、有力政治家バーグワト・チャウダリー(ラザー・ムラード)の娘ラーダー(ディヴィヤー・ラーナー)と結婚させられそうになっていたが、ナレーンドラ自身はラーダーに関心がなかった。ナレーンドラは強欲なジーヴァーにも反発していたが、祖母(スシュマー・セート)には懐いていた。

 ナレーンドラは大学教授(トリローク・カプール)の水質汚染調査に付き添ってガンガー河の水源に近いガンゴートリーを訪れる。そこで彼はガンガー(マーンダーキニー)という地元女性と出会い、恋に落ちる。ガンガーは兄カラム・スィン(トム・アルター)によってマングルー(ジャーヴェード・カーン・アムローヒー)という男性と結婚させられそうになっていたが、ヒマーラヤ地方の祭礼に合わせて彼女はナレーンドラを夫に選ぶ。二人は初夜を一緒に過ごす。

 ナレーンドラはすぐに帰ると約束してカルカッタに戻る。だが、サハーイ家ではナレーンドラとラーダーの婚約式の準備が進んでいた。ナレーンドラは祖母にガンガーと結婚したことを明かすが、祖母は心臓発作を起こして倒れてしまい、そのまま亡くなってしまう。ナレーンドラはカルカッタを逃げ出してガンゴートリーに向かうが、バーグワトは内務大臣に電話をして警察を動員させ、ナレーンドラを途中で捕まえる。カルカッタに連れ戻されたナレーンドラはジーヴァーによってラーダーとの結婚式まで部屋に閉じこめられる。一方、ガンガーはガンゴートリーで男児を出産していた。

 ナレーンドラの叔父クンジビハーリー(サイード・ジャーファリー)はガンガーを探しにガンゴートリーを訪ねる。だが、ちょうど入れ違いでガンガーはナレーンドラに会うためにカルカッタへ向かっていた。訓示ビハーリーはナレーンドラに、ガンガーは行方不明になっており、既に死んでいると思われると嘘を付いた。ガンガーはカルカッタへ向かう途中でいくつものトラブルに遭った末にマニラール(クリシャン・ダワン)にだまされ、ヴァーラーナスィーで芸妓にさせられてしまう。たまたまヴァーラーナスィーを訪れたバーグワトはガンガーの歌声と美貌に魅了され、彼女を妾としてカルカッタに連れ帰る。

 クンジビハーリーはたまたまマニラールと知り合いであり、彼からガンガーがバーグワト邸にいることを知る。ジーヴァーからガンガーがナレーンドラとラーダーの結婚の火種になると聞いたバーグワトはガンガーをカルカッタから追い出そうとするが、クンジビハーリーは一計を案じ、彼女をナレーンドラとラーダーの結婚式に連れて行く。そして彼女に踊りを踊らせ、ナレーンドラと再会させる。ラーダーは既にナレーンドラがガンガーと結婚していること、また父親が彼女を妾にしたことなどを知ってナレーンドラをガンガーに譲ろうとする。だが、バーグワトはガンガーに発砲して殺そうとする。ナレーンドラはバーグワトに殴りかかり、ガンガーが無事だと知ると、彼女と息子を連れてカルカッタを後にする。

 マーンダーキニー演じる山の女性ガンガーは、清純な上流のガンガー河の象徴である。ガンガーはガンガー河の水源に近いガンゴートリーで素朴な生活を送っていた。その一方で、ガンガー河の河口近くに位置するカルカッタは、ガンガー河の汚染を象徴する都市として描かれており、それは人々の心の乱れでもあった。主人公ナレーンドラは若者らしい純真さのある青年であったが、彼の父親ジーヴァーや、その親友で政治家のバーグワトは、人間社会の汚さを凝縮したような人物として提示されていた。ナレーンドラはガンガー河の水質調査をするためにガンゴートリーを訪れ、ガンガーと出会って恋に落ちる。また、当地では正式な結婚式を経ずに結婚してもいい祭礼があった。その日、ナレーンドラとガンガーは結ばれ、初夜を迎える。

 汚染された都市と清らかな農村、欺瞞に満ちた都会人と純粋な田舎人の対比はインド映画でよく見られる構造であるが、「Ram Teri Ganga Maili」は、それら2ヶ所をガンガー河という大河で結んだ点に新しさがある。しかも、ヒマーラヤ山中に端を欲し、ヒンドゥスターン平原を流れてベンガル湾に注ぎ込むガンガー河の旅を、ガンガー河の象徴である女性ガンガーの身によって表現している。ガンゴートリーで素朴な生活を送っていたガンガーは、ナレーンドラとの間にできた男児を産んだ後、彼に会うためにカルカッタへ向けて旅立つ。だが、故郷を出たことがなく世の中の汚れを知らなかったガンガーは、道中で次々に悪漢たちから手込めにされそうになり、ボロボロになっていく。それはまるでガンガー河の水質が下流へ向かうごとに汚染されていくかのようである。そしてとうとうヴァーラーナスィーでタワーイフにさせられてしまう。

 ラージーヴ・カプール演じるナレーンドラはヒーロー(主人公)ではあるが、ヒーローらしい勇敢な行動を取るのは最後だけである。一度は家出をしてガンゴートリーに向かうのだが、すぐに捕まってしまい、カルカッタの自宅に幽閉されてしまう。しかも、ガンガーがもうこの世にいない可能性を聞かされ、彼女との再会を諦めてもしまう。それ以後、彼の出番は極端に少なくなる。ナレーンドラに代わって立ち回るのがクンジビハーリーだ。彼の活躍によってガンガーはナレーンドラと再会することができた。ナレーンドラのヒーロー性をうまく確立できていなかったのはこの映画の欠点に数えることもできるだろう。

 ナレーンドラの弱さは気になるところではあるが、ガンガーがあらゆる困難に直面しながらもひたすらナレーンドラを求め続ける姿には心を打つものがあり、ロマンス映画としての完成度は高い。ガンガーがあまりに不運であるため、彼女がナレーンドラに再会できることを強く願うことになる。やっとのことでナレーンドラに会えたガンガーは彼の足に触れ(参照)、「あなたのガンガーは汚れてしまいました」と言う。タワーイフになった自分を汚れた存在だと言いたかったのだろう。だが、ナレーンドラは、汚れているのはガンガーではなく、彼女を妾にしたバーグワトだと憤る。これは、ガンガー河が汚染されているのではなく、人間の汚染をガンガー河が引き受けているのだというさらに大きな主張につながり、環境問題への警鐘にもつながっている。ただ、ガンガーをタワーイフにしたマニラールがガンガーと接する中で改心する下りから、ガンガー河にはまだ人間を浄化する力があることも示唆されていた。

 「Ram Teri Ganga Maili」撮影時、主演女優マーンダーキニーは新人だった。抜擢といっていい。しかも、この映画はガンガー役に全てが掛かっている。つまり、新人の彼女に映画の全てがのしかかっていたといえる。そして、彼女は驚くべき誠実さでそれを見事にこなした。この映画で特に話題になるのが女体の描写である。肌見せのみならず、マーンダーキニーはこの映画の中で乳首まで見せている。まずは冒頭のダンスシーン「Tujhe Bulayen Yeh Meri Bahen」で裸の上に白いサーリーを着て水に濡れて妖艶な踊りを踊る。これはいわゆる「ウェット・サーリー・シーン」(参照)と呼ばれているもので、このとき明らかにサーリーの下から乳首が透けている。さらに、終盤にて彼女が赤子に授乳をするシーンがあるが、そこで彼女は、おそらくインド映画史上初めて、乳首を披露している。また、出産シーンでも必要以上に露出が多い。まさに体当たりの演技だ。ラージ・カプール監督は遺作となったこの映画で女体の表現をギリギリまで突き詰めたといっていい。

 ただ、それだけを切り出して見ただけでは単なる過激な映画ということになってしまうが、じっくり映画を鑑賞すると、そこにいやらしさは全く感じない。特に「Tujhe Bulayen Yeh Meri Bahen」のシーンからは、ガンガーの純粋さがその白いサーリー姿で表現されており、不必要だとは感じなかった。川端康成の「伊豆の踊子」を彷彿とさせる文学的なシーンであった。授乳シーンにしても、乳首が強調されるわけでもなく、あくまで自然の成り行きで見せられていた。一説によると世界保健機関(WHO)による母乳育児キャンペーンに呼応する形でこのシーンが入れられたという。

 歌と踊りの使い方も秀逸だった。「Tujhe Bulayen Yeh Meri Bahen」については既に触れたが、ナレーンドラとガンガーの再会シーンで流れるムジュラー曲「Ek Radha Ek Meera」も素晴らしかった。ナレーンドラの結婚相手であるラーダーを神話上のラーダーに、ガンガーをクリシュナの狂信的な信者であった女性詩人ミーラーバーイーに置き換え対比することで、一人の男性を巡って二人の女性が置かれた立場をよく表現していた。

 「Ram Teri Ganga Maili」は、都会と田舎の対比構造の中で作り上げられたロマンス映画であるが、中心となる女性ガンガーが故郷ガンゴートリーを出て夫ナレーンドラのいるカルカッタを目指す中で運命に翻弄されていく姿に、水質汚染が深刻化する聖河ガンガーの窮状が重ねられ、一段上の作品に仕上がっている。おそらくインド映画史上初めて女性の乳首がそのまま映し出された作品であるが、それは別段いやらしい表現ではなく、むしろ純粋さの象徴となっている。巨匠ラージ・カプールの最後の監督作という点でも、必見の映画である。


राम तेरी गंगा मैली Ram Teri Ganga Maili - Full Movie | Rajiv Kapoor & Mandakini | A Tale of Love