
1982年12月3日公開の「Arth(意味)」は、1970年代から80年代にかけてヒンディー語映画界で盛り上がったパラレル映画の影響下で作られたとされる作品である。マヘーシュ・バット監督の初期の代表作の一本であり、離婚を肯定的に捉え、女性の自立を後押しする内容である点で、当時としては画期的だった。また、バット監督の自伝的作品である点も注目される。
主演はシャバーナー・アーズミー。他に、クルブーシャン・カルバンダー、スミター・パーティル、ラージ・キラン、ローヒニー・ハッタンガディー、ディーナー・パータク、オーム・シヴプリー、マズハル・カーン、グルシャン・グローヴァー、ダリープ・ターヒル、ギーター・スィッダールト、スィッダールト・カークなどが出演している。
登場人物の心情描写に重きを置き、メインストリームの娯楽映画とは一線を画した作りながら、途中でソングシーンが挿入されるなど、娯楽映画のフォーマットから完全に外れているわけでもない。また、不倫が主題となっていることから、大人向けの内容でもある。娯楽映画と芸術映画の中間に位置する、橋渡し的な作品である。
作曲はガザル歌手のジャグジート・スィンとチトラ・スィンの夫妻が担当しており、歌詞はシャバーナーの父親カイフィー・アーズミーが主に書いている。
2025年7月7日に鑑賞し、このレビューを書いている。
孤児院で育ったプージャー(シャバーナー・アーズミー)は、映画監督のインダル・マロートラー(クルブーシャン・カルバンダー)と出会い、結婚する。プージャーは子供の頃から自分の家を持つことを夢見ていた。二人の結婚生活は7年になったが、ずっと社宅住まいで、しかもインダルが会社を解雇されたため、社宅を出なければならなくなった。ところがある日、インダルは急に家を購入し、プージャーにプレゼントする。プージャーは大喜びし、家具を買いそろえる。家事をさせるためにバーイー(ローヒニー・ハッタンガディー)を雇い、彼女の話し相手となる。
実はインダルは、女優カヴィター・サンニャール(スミター・パーティル)と不倫関係にあり、仕事が忙しいと言い訳してカヴィターの家に入り浸っていた。カヴィターは彼に、プージャーと別れて自分と結婚するように強要し始める。圧力に負けたインダルはある日プージャーにカヴィターとの仲を告白する。しかも、新しい家はカヴィターからもらった金で買ったとのことだった。ショックを受けたプージャーは新居を去り、勤労女性寮に住み始める。
プージャーはホテルで仕事を見つけ、新しい生活を始めた。一方、カヴィターは次第に精神不安定になっていった。インダルから頼まれ、プージャーは離婚届に署名する。ただ、それは単にカヴィターに見せるためのもので、実際には二人は離婚していなかった。プージャーはラージ(ラージ・キラン)という歌手と出会い、彼に励まされる。
バーイーの夫も愛人を作り、彼女から金を巻き上げては酒を買い、彼女に暴力まで振るっていた。バーイーは娘をいい学校に入れて教育を受けさせようとするが、夫が学費を盗んでしまった。怒ったバーイーは夫を殺し、逮捕されてしまう。プージャーはバーイーが服役している間、彼女の娘を育てることにする。
インダルは、カヴィターから捨てられ、プージャーの元に戻ってこようとするが、プージャーは彼を拒絶する。また、プージャーはラージのアプローチも断り、バーイーの娘を一人で育てていくことを決意する。
1970年代後半から1980年頃まで、マヘーシュ・バット監督が、「Deewaar」(1975年)などで有名な当時のトップ女優パルヴィーン・バービーと不倫関係にあったのは、ヒンディー語映画界では公然の秘密であった。だが、パルヴィーンはその絶大な人気とは裏腹に、被害妄想や幻覚などの精神障害を抱えており、バット監督が家庭をかなぐり捨てて必死で支えたにもかかわらず、病状はますます悪化していった。最後にバット監督は耐えきれずにパルヴィーンとの関係を絶ったとされる。だが、その経験をもとに彼は脚本を書き、この「Arth」として結実した。
「Arth」が現在まで傑作の一本に数えられるのは、バット監督が私生活で経験したことを生々しく描写しているからであろう。不倫をした既婚男性、既婚男性を妻から奪い取ろうとした女性、そして夫を愛人に奪われた女性、それぞれの心理描写や言動がリアルすぎるほどリアルで、劇的かつ極端な展開を好む一般のインド映画とは全く異なる展開を見せる。また、全てが全て実際に起こったことではなく、主人公プージャーの自立を最後に持って来て、メッセージ性を持たせている。
インド社会では、離婚は決して好意的に捉えられない。結婚は神聖なものであり、いかに不幸な結婚生活であれ、それを何としてでも維持することが美徳とされる。映画の中でも、バーイーは結婚を運命だと捉え、家庭内暴力を受けても耐えていくと語っていた。また、プージャーの友人で弁護士のアニルは、不倫に走った夫もいつかは妻のもとに戻って来ると諭す。このような考え方はインドの伝統的な価値観にのっとったものである。
たとえば、マヌ法典の第5章146節には、「女性は、幼少期には父に、若年期には夫に、夫が死ねば息子に従うべきであり、決して自立してはならない」と書かれている。
बाल्ये पितुर्वशे तिष्ठेत् पाणिग्राहस्य यौवने ।
पुत्राणां भर्तरि प्रेते न भजेत् स्त्री स्वतन्त्रताम् ॥
基本的にはこの価値観に立脚して作られるインド映画では、ストーリーの中で離婚が正当化されることはほとんどなく、逆に、どんな不幸があろうとも一度結ばれた婚姻関係を何とか維持しようとする強い力が働く。21世紀に入り離婚のタブーはだいぶ形骸化したが、「Arth」が公開された1980年代ではまだまだ強固に健在だった。
また、プージャーは主婦であった。彼女が結婚前に何をしていたのかは不明だが、一定の教育は受けられたようであるものの、おそらく大した仕事はしていなかったと思われる。よって、本来ならば家を出たり夫から逃げたりする選択肢は採りにくい状況に置かれていた。社会的因習として離婚がタブーである上に、そのタブーを破っていざ離婚したとしても女性は経済的に生きていけないというのが残酷な現実である。
それでも、プージャーは外に愛人を作ったインダルとこれ以上一緒に住むことを潔しとせず、家と夫を捨てて外に出る。彼女の決断は、多くのインド人女性が簡単に下すことのできるものではないかもしれないが、「Arth」を一貫して貫くまなざしはそれを決して否定的に捉えていない。プージャーはまず勤労女性が住むことのできる寮に入り、仕事を見つけ、徐々に自立した生活を始める。
一方、7年連れ添った妻を捨て、不倫相手の女優カヴィターとの人生を選んだインダルは、すぐに自身の決断を後悔することになる。インダルを手に入れた後もカヴィターは常に彼に対して疑心暗鬼を募らせ、その疑念が彼女を精神疾患に追い込み、インダルを困らせるようになった。彼女は自殺未遂までして見せる。そして、プージャーと対峙したカヴィターは、自分のために妻を捨てたインダルが、将来には他の誰かのために自分を捨てるだろうことに気付き、インダルとの関係を一方的に清算する。自分勝手な行動はいつの間にかインダルから友人や同僚すらも奪っていた。こうして全てを失いボロボロになったインダルはプージャーのもとに帰ろうとするが、既に自立し、自分の人生を歩み始めていたプージャーは、彼を拒絶する。そして、二人の間で公式に離婚が成立する。
インダルの行動があまりに身勝手であるため、プージャーがインダルを拒絶して結末を迎えていたならば、観客は普通に納得して終わっていただろう。だが、この映画はプージャーが下したもうひとつの決断も見せる。
インダルと別居を始めた後、プージャーはラージという音楽家と出会い、親密な仲になる。ラージは、カヴィターに夫を寝取られて荒れていたプージャーを優しくなだめ、彼女に女性としての自信を取りもどさせ、最後には彼女に愛の告白をし、プロポーズする。彼と一緒になる結末を見せてもよかったはずだ。誰も観客はそれを否定しなかっただろう。だが、あえてプージャーはラージのアプローチすらも断り、男性に依存せず一人で生き抜くことを決意する。マヌ法典で「決して自立してはならない」と規定された女性に自立の道を歩ませ、新たな時代の女性像を提示したのである。これは当時としては画期的なことだった。
さらにもうひとつ、不幸な結婚生活が重ね合わされているのも見過ごしてはならない。プージャーの家で家事手伝いをするようになったバーイーである。バーイーは、飲んだくれのDV無職夫の暴行を耐えてきたが、彼女には娘に教育を受けさせ立派に育て上げるという夢があった。その夢があったから彼女はメイドの仕事も頑張れたが、夫はその夢すら奪おうとする。その瞬間、バーイーの怒りは沸点に達し、夫の殺害という極端な結果を招く。プージャーは夫を捨てるという決断をしたが、バーイーは夫を殺した。どちらも家父長制社会で虐げられてきた女性たちの反乱である。
当然、バーイーは逮捕される。プージャーは彼女の娘を引き取り、彼女の養育と教育の責任を引き受ける。「Arth」は、女性の自立を描くだけでなく、教育にこそ女性の自立の鍵があることを教えてくれている。「Arth」とは「意味」という意味だが、これは「人生の意味」というニュアンスでセリフの中でも何度か使われていた。
ジャグジート・スィン作曲による挿入歌も効果的に使われ、音楽、歌詞、ストーリーの相乗効果が引き出されていた。特にカイフィー・アーズミーが作詞した「Jhuki Jhuki Si Nazar」、「Koi Yeh Kaise Bataye」、「Tum Itna Jo Muskura Rahe」はどれも名曲である。
忘れてはならないのは俳優たちの演技である。主演シャバーナー・アーズミー、不倫夫役のクルブーシャン・カルバンダー、カヴィター役のスミター・パーティルなど、パラレル映画運動を代表する俳優たちが最高の演技をぶつけた。シャバーナーの美しさも際立っている。だが、彼女が美しすぎて、なぜインダルはこんな美しい妻を差し置いて他の女性に走ったのかと素朴な疑問を抱いてしまいがちなのが玉に瑕であった。
「Arth」は、マヘーシュ・バット監督が私生活を題材にしてリアルに作り上げた不倫モノの映画である。多少のエロティックなシーンはあるが、あくまで芸術性が優先されており、決していやらしくはない。むしろ、このストーリーには必要なシーンであった。そして、単に自分の経験を映画にするだけでなく、そこに女性の自立や教育といった主張が盛り込まれており、社会的に意義のある作品に昇華していた。バット監督の傑作の一本に数えられる。