
1981年6月5日公開の「Ek Duuje Ke Liye(お互いのために)」は、南インド人と北インド人の間の越境ロマンスを描いたもっと初期の映画である。ヒンディー語を解しないタミル人ブラーフマン男性と、肉を食べるヒンディー語話者の女性が出会い、恋に落ちる悲恋物語だ。
監督はKバーラチャンダル。基本的にタミル語映画界で活躍してきた映画監督で、たまにテルグ語映画やヒンディー語映画も撮っていた。「Ek Duuje Ke Liye」は彼自身が撮ったテルグ語映画「Maro Charitra」(1978年)のヒンディー語リメイクである。ちなみに、「Maro Charitra」ではタミル人男性とテルグ人女性の間の恋愛が描かれた。
音楽はラクシュミーカーント=ピャーレーラール、作詞はアーナンド・バクシー。主演はカマル・ハーサンとラティ・アグニホートリー。カマルは既に南インド映画界で名の売れたスターになっていたが、本作は彼にとって本格的なヒンディー語映画デビュー作となる。ラティは北インド人であるが、デビュー以降しばらく専ら南インド映画に出演してきており、やはり彼女もこの作品でヒンディー語映画デビューを果たした。
他に、マーダヴィー、ラザー・ムラード、ラーケーシュ・ベーディー、プールナム・ヴィシュワナータン、サティエーン・カップー、シュバー・コーテー、アスラーニー、アルヴィンド・デーシュパーンデー、アヴタール・ギル、スニール・ターパーなどが出演している。
時代は1978年、舞台はゴア州のパナジー。マドラスの仕事を退職し両親に元に戻ってきたヴァースデーヴァン、通称ヴァース(カマル・ハーサン)は、隣に住む北インド人家庭の娘サプナー(ラティ・アグニホートリー)と出会い、恋に落ちる。そして、二人の仲が両家に知れ渡り問題となる。何しろ文化が全く異なるのだ。
ヴァースの家の大家ジャガンナート(サティエーン・カップー)の提案により、ヴァースとサプナーはどれだけお互いを愛し合っているのかを試されることになる。1年間、二人は会うことも連絡を取り合うことも禁止されるが、その期間を経ても愛が変わらなければ結婚が認められるというものだった。サプナーは、ヴァースと結婚できる唯一の道だと考え、それを受け入れる。ヴァースは仕方なく、父親(プールナム・ヴィシュワナータン)の勧めに従って、ハイダラーバードへ行き、ハリ(アスラーニー)の会社で仕事を始める。サプナーの父親クンダンラール(アルヴィンド・デーシュパーンデー)はチャクラム・チャクラヴァルティー(ラーケーシュ・ベーディー)を一緒に住まわせ、サプナーの花婿候補にする。
ハイダラーバードでヴァースは、飛行機事故で夫を亡くしたサンディヤー(マーダヴィー)と出会う。マーダヴィーはヴァースにヒンディー語や古典舞踊を教えることになった。一方、ヴァースの父親はトゥルスィーというタミル人女性をヴァースに近づけようとしたが、独身だったハリが彼女と仲良くなってしまう。
ヴァースは出張でマンガロールへ行く。たまたまサプナーも大学の研修旅行でマンガロールに来ていた。サプナーを監視するため、チャクラムもマンガロールに送り込まれていた。ヴァースはチャクラムがサプナーの許嫁だと勘違いし、ショックを受けてハイダラーバードに戻る。そしてサンディヤーにプロポーズする。
ヴァースが別の女性と結婚しようとしていることを知ったサプナーはショックを受ける。サンディヤーは、ヴァースにサプナーという意中の人がいることを知り、ゴアまでやって来て彼女と会う。サプナーから全てを聞いたサンディヤーは、ヴァースとの結婚を諦め、彼とサプナーを結びつけることにする。サンディヤーはハイダラーバードに戻り、ヴァースに、サプナーは今でも彼を待ち続けていると伝える。ちょうど1年の期限が過ぎ去ろうとしていた。ヴァースはサプナーに後押しされ、ゴアに舞い戻る。
だが、サンディヤーの兄ダニー(ラザー・ムラード)は、妹の心をもてあそんだヴァースを許そうとせず、ゴアに住む友人にヴァース抹殺を命じた。また、昔からサプナーに言い寄っていた書店員(スニール・ターパー)は破れかぶれになってサプナーに襲い掛かる。逃げ惑うサプナーは高所から落ちて負傷し、書店員にレイプされる。ヴァースもサプナーを探す中でダニーの友人たちに取り囲まれ暴行を受ける。二人はボロボロになりながらも最後に出会い、そのまま海に身を投げて死ぬ。
ヴァースはタミル人であり、菜食主義のブラーフマンの家系出身であることは確実だ。ただ、その隣人サプナーの出自は明示されていない。ゴア州に定住しているため、もちろんゴア人の可能性もあるのだが、服装や身なりからあまりそういう風にも見えない。ヒンディー語ベルトを祖地とする北インド人と見なしていいだろう。また、肉や卵を食べていることから、ブラーフマンではないことが分かるが、詳しいカーストは分からない。
外国人の視点で「Ek Duuje Ke Liye」を観ると、同じインド人同士であってもどれほど文化的・言語的に異なっているのかが垣間見られて面白い。当初ヴァースはヒンディー語を解さず、サプナーとのコミュニケーションにも困っていた。もちろん、サプナーもヴァースと出会ったときには「ワナッカム(こんにちは)」と「サップ(食べ物)」という2単語しか知らなかった。そんな二人が、言語の壁を越えて恋に落ちる。ヴァースはヒンディー語を学び始め、サプナーはタミル語を学び始める。ただし、英語を使えば意思の疎通はできた。愛情を深めるために、お互いがお互いの言語を習得しようとしたのである。
前半では、ヴァースとサプナーの愛が醸成されていく過程が非常にスローテンポで描かれる。言語を学び合うのもそうであるし、ちょっとしたことから仲違いし、また仲直りする様子も丁寧に映し出されている。言語コミュニケーションを越えて、光のオンオフで交信し合うシーンもあって微笑ましい。確かに愛情を深めるために言語を学び合うが、言語がなくても愛は深め合えることも同時に示している。
だが、家族は二人の結婚を認めようとしなかった。まず、カーストが異なる。そして、地域や言語も異なる。そうなると、コミュニティーが全く異なることになる。そもそも、隣家同士のヴァースの家族とサプナーの家族は犬猿の仲だった。簡単に乗り越えられる溝ではなかった。駆け落ちという選択肢を採らないのは家族向け映画にこだわるインド映画らしい。
どう解決するのかと思って観ていたら、なんと結婚の条件として1年間の別居期間を設けるという契約が結ばれることになった。もしヴァースとサプナーが1年間、顔を合わせず、会話もせず、文通もしないという約束を守れたら結婚が認められるが、それが破られるなら結婚は認めないというものだった。特にこの結婚に大反対していた、ヴァースの父親やサプナーの母親にとっては、この1年間で二人の気持ちを変化させ、お互いを忘れさせるチャンスが得られた。自然に任せるのではなく、恋の刺客も送り込んだ。ヴァースの父親は、ハイダラーバードに移住したヴァースの身辺にタミル人女性トゥルスィーを送り込み、二人を結婚させようとする。サプナーの母親は、ラクナウーからチャクラムを呼び寄せ、サプナーと結婚させようとする。
離れ離れの期間、ヴァースはサプナーを想い続け、サプナーはヴァースを想い続けた。トゥルスィーはヴァースの心を射止められなかったが、ヴァースはサンディヤーという寡婦と接近する。チャクラムはサプナーに言い寄ろうとするが、サプナーのヴァースを想う気持ちが強いのを知り、無理に彼女を口説くのをやめた。勘違いからヴァースはサプナーがチャクラムと結婚することを決めたと考え、いったんはサンディヤーにプロポーズするが、サンディヤーはよく出来た女性であり、サプナーの存在を知って彼女に会いに行き、ヴァースと結婚しないことを決める。サンディヤーはサプナーとカフェに行ってそれぞれチャーイとコーヒーを頼み、入れ違ってしまったのに気付いた。サプナーの想いを知ったサンディヤーは、「あなたのカップに口を付けなくて良かった」とつぶやく。ヴァースとの結婚を諦めたことを婉曲的に表現した見事なセリフだった。
ただ、結末は極端、突然かつ悲しいものだった。ゴア州に戻ったヴァースはサプナーを探す。だが、ヴァースは集団暴行されて瀕死の重傷を負い、サプナーはストーカーと化した書店員に追われ、高所から落ち、性的暴行を受ける。最後に二人は出会い、抱き合うが、もはやこの世に味方はいないと感じ、そのまま海に身を投じて死ぬ。「Ek Duuje Ke Liye」は、カーストや言語を越えた恋愛の可能性を提示はしたが、その成就を見せることはしなかった。ただ、ナレーションによって、二人の恋愛は一見すると敗北かもしれないが、心中したことで不滅の恋人となったことで、本質的には勝利したことが語られ、悲恋性を緩和する配慮がなされていた。
ヴァース役のカマル・ハーサンは変幻自在の演技を見せていた。序盤ではヒンディー語が苦手な振りをしていたが、終盤になると流暢なヒンディー語を話すし、バイクのアクロバット走行やバラタナーティヤムの舞踊スキルも披露する。サプナー役のラティ・アグニホートリーもパワフルであったし、サンディヤー役のマーダヴィーの落ち着いた演技も良かった。
「Ek Duuje Ke liye」は音楽も優れており、多くが名曲として長く歌い継がれている。「Tere Mere Beech Mein」がもっとも有名だが、「Hum Bane Tum Bane Ek Duuje Ke Liye」や「Solah Baras Ki」も美しい曲だし、映画のタイトルを並べて曲にした「Mere Jeevan Saathi Pyar Kiye Jaa」もユニークだ。歌がストーリーを前に進める役割を果たす場面もいくつかあり、ストーリーと歌の親和性が非常に高い映画と評価できる。基本的にはヒンディー語の曲だが、マルチリンガルな映画の雰囲気を反映し、英語やタミル語が入る割合が高い。
ちなみに、映画の中でフィーチャーされていたのは標準ヒンディー語やタミル語だけでない。たとえばチャクラムはラクナウー出身という設定で、彼のしゃべる言語はラクナウー仕込みの雅なウルドゥー語だ。また、ハイダラーバードで完全にヒンディー語をマスターしたヴァースがサプナーの両親の前で、アワディー語、ブラジ語、ボージプリー語、パンジャービー語などをこれ見よがしに披露するシーンもあった。
「Ek Duuje Ke Liye」は、とかく区別され対比されることの多い北インドと南インドを愛によって結びつけようとするロマンス映画だ。そこにはお互いの言語を学び合うことで理解を深めようとする態度も見られる。ただ、愛し合う二人を結婚という形で結びつけることはしておらず、一般的には悲恋物語に分類されるだろう。多言語国家インドならではのロマンス映画だ。
