
1965年7月28日公開の「Waqt(時間)」は、ヒンディー語娯楽映画のフォーミュラを創生した功労者の一人ヤシュ・チョープラーの監督第3作で、興行的にも大成功し、後世に大きな影響を与えた作品である。オールスターキャストのファミリードラマ映画であるが、本作はオールスターキャスト型大作の先駆けとして記録されている。
プロデューサーはヤシュ・チョープラー監督の兄BRチョープラー。作曲はラヴィ、作詞はサーヒル・ルディヤーンヴィー。メインキャストは、ラージ・クマール、スニール・ダット、シャシ・カプール、サーダナー、シャルミラー・タゴールの5人である。
ラージは「Mother India」(1957年)、「Paigham」(1959年)、「Dil Ek Mandir」(1963年)などを経て知名度を獲得していたが、セカンドヒーローとしての扱いだった。「Waqt」において彼は主役級の役柄を演じており、本作は彼のキャリア上、重要な作品となった。
スニールにとっても「Mother India」は出世作で、この作品によって彼はアンチヒーローとして確立した。その後も「Sujata」(1959年)や「Gumrah」(1963年)などの大ヒット作を飛ばして、「Waqt」撮影時には大スターになっていた。
大俳優にして大監督ラージ・カプールの弟シャシは、子役として兄の監督・主演作「Awaara」(1951年)などに出演した後、「Dharmputra」(1961年)で本格デビューした。だが、「Waqt」撮影時にはまだ駆け出しの俳優であり、本作の成功が彼を大スターに押し上げた。
サーダナーは「Love in Shimla」(1960年)などをきっかけに1960年代において第一線で活躍した女優であり、「Waqt」撮影時には絶頂期であった。
アジア人初のノーベル賞受賞者ラビンドラナート・タゴールを輩出したベンガル地方の名門タゴール家の血を引くシャルミラーは、「Kashmir Ki Kali」(1964年)をヒットさせ、注目の女優になっていた。
他に、バルラージ・サーニー、アチャラー・サチデーヴ、レヘマーン、マダン・プリー、マンモーハン・クリシュナ、リーラー・チトニス、スレーンドラ・ナート、スマティ・グプテー、シャシカラー、モーティーラール、ジーヴァン、ジャグディーシュ・ラージ、ハリ・シヴダーサーニーなどが出演している。
2025年12月1日に鑑賞し、このレビューを書いている。
絨毯商人のラーラー・ケーダールナート(バルラージ・サーニー)には3人の息子がおり、三人とも誕生日が同じだった。ケーダールナートは息子たちの誕生日に自分の店を開店する。ところが大地震が起き、店は崩壊し、混乱の中で彼は妻ラクシュミー(アチャラー・サチデーヴ)や息子たちと離れ離れになってしまう。
長男のラージューは孤児院に収容された。だが、院長(ジーヴァン)から体罰を受け逃げ出す。ケーダールナートは息子を探して孤児院までやって来るが、院長がラージューを叩いたことを知り、怒って彼の首を絞めて殺してしまう。ケーダールナートは逮捕され、刑務所で服役することになる。ラージューは泥棒をして生計を立てるが、チノイ・セート(レヘマーン)にその腕を買われ、養子になる。ラージューはラージャー(ラージ・クマール)と名付けられた。
次男のバブルーはカンナー(スレーンドラ・ナート)の養子になり、ラヴィ(スニール・ダット)と名付けられ、弁護士になる。ラヴィは、父親の友人で裁判官のミッタル(マンモーハン・クリシュナ)の下で研修をすることになり、デリーからボンベイへやって来る。ラヴィは、ミッタルの娘ミーナー(サーダナー)と恋に落ちる。
三男のムンナー、本名ヴィジャイ(シャシ・カプール)は、母親と共にデリーで貧しい生活を送っていた。ラクシュミーは裁縫などの仕事をしてヴィジャイの教育費を捻出し、彼を大学に送る。ヴィジャイは大学でレーヌ(シャルミラー・タゴール)と出会い、恋に落ちる。二人は大学を卒業し文学士の学位を修める。ヴィジャイは母親の病気を治療するため、彼女を連れてボンベイへ行く。レーヌは実はカンナー家の娘で、ラヴィの妹であり、彼女も兄を頼ってボンベイにやって来る。ヴィジャイは治療費や生活費を稼ぐため、チノイの運転手として働き出す。
刑期を終え、娑婆に出たケーダールナートは妻子を探すが見つからない。だが、妻がボンベイにいるという情報を得て、ボンベイに来ていた。
ラージューはミーナーに恋をするが、ミーナーはラヴィと仲良くなっており、やがて二人は結婚を決める。失恋したラージューは夜中にラヴィの家に忍び込んで彼を殺そうとするが、部屋に飾ってあった彼の子供の頃の写真を見て、ラヴィは弟だと気付く。その後、彼はラヴィを陰ながら応援するようになる。ラヴィとミーナーは婚約までするが、ミーナーの両親が、ラヴィがカンナー家の養子であることを知り、縁談を破談にしようとする。それを知ったラージャーはチノイに頼んでパーティーを開いてもらい、そこでラヴィの出自を公表しようとする。だが、ラージャーはミーナーに言い寄ろうとした酔っ払いバルビール・スィン(マダン・プリー)とケンカをし、パーティーはお開きになってしまう。
バルビール・スィンはチノイの部下だった。チノイはバルビールを叱責するが、激昂したバルビールはナイフを手に取ってチノイに襲い掛かる。乱闘の末、チノイはバルビールを殺してしまう。チノイは遺体をラージャーの部屋に置き、彼に濡れ衣を着せる。ラージャーは逮捕される。ヴィジャイは一部始終を目撃するが、母親の手術代と引き換えにチノイに加担することになる。
ラージャーの弁護は、弁護士資格を取ったばかりの新米ラヴィが引き受けた。公判でヴィジャイはラージャーが遺体を隠そうとしているのを目撃したと証言する。だが、ラージャーは巧みに矛盾を突き、ヴィジャイに、バルビールを殺したのはチノイだと証言させる。チノイは逮捕され、ラージャーは無罪放免となった。そこへケーダールナートがやって来て、ラクシュミーやヴィジャイと再会する。それを見ていたラージャーは、彼こそが父親だと気付き、ラヴィにもそれを伝える。こうしてケーダールナートは妻と3人の子供たちと再会することができた。
ビジネスで成功し、3人目の息子も生まれ、人生の絶頂期にあったケーダールナートを大地震が襲った。彼が新規開店した店舗は崩壊し、家族は離散し、ケーダールナート自身も殺人罪で刑務所に入れられてしまう。3人の兄弟はそれぞれ別々の人生を歩み始めるが、運命が彼らを引き合わせ、最終的にお互いを家族だと認識する。インド映画の定番である「離散と再会」型のストーリーである。
「Waqt」が新しいのは、ひとつの家族が4つに分割されたことだ。家長であるケーダールナートは刑務所で孤独な服役生活を送り、妻ラクシュミーは三男ヴィジャイと共にデリーで貧しい生活を送っていた。長男ラージャーは孤児院から脱走して泥棒になり、悪徳ダイヤモンド収集家チノイに拾われて、裕福な生活を送っていた。次男ラヴィも別の家族に拾われ、最近弁護士になったばかりだった。
映画の中では「時間」が擬人化され、「運命」と同義で使われて、人間の幸福と不幸を意のままに操っていると考えられている。この世の春を謳歌していたケーダールナートは傲慢になり、時間によって手痛いしっぺ返しを喰らった。だが、その時間がまた離散した家族を奇跡的な方法で結びつけるのである。
映画の中では、彼らがお互いに家族であると気付かないまま同じフレームに収まる場面がいくつもある。その中でも家族再会の最初のきっかけになったのはミーナーの存在だった。ラージャーとラヴィが同時にミーナーに恋してしまい、恋敵となるのだ。だが、ラージャーはいち早くラヴィが実の弟であると気付き、彼とミーナーの幸せを願うようになる。
もうひとつのきっかけはラージャーの逮捕だった。ラージャーの育ての親であるチノイに裏切られ、彼はバルビール殺しの犯人に仕立て上げられてしまう。ラヴィがラージャーの弁護をするが、その過程で、チノイの運転手をしていたヴィジャイともつながり、ヴィジャイを通してラクシュミーが加わる。また、警察がラージャーを逮捕するときに、たまたま通りがかったケーダールナートが手を貸していたため、彼も証人として裁判所に呼ばれる。裁判が終わるまで彼らはお互いが家族であることに気付かないが、ラージャーが無罪放免となった直後、全てがつながり、家族は抱き合って再会を喜ぶ。完全な予定調和ではあるが、あまりに完成されすぎており、分かっていてもつい感動してしまうシーンであった。
マサーラー映画の名に恥じず、さまざまな娯楽要素が詰め込まれていた。ラージャーとラヴィがボンベイの一般道を爆走してレースするシーンは、ゲリラ撮影しているのではないかと思われるほどハラハラドキドキものだった。それほど大きくフィーチャーされているわけではなかったが、ミーナーとレーヌがバドミントンをして遊ぶシーンも当時の観客には新鮮に映ったのではなかろうか。舞台はボンベイとデリーであるものの、ソングシーンにおいてカシュミールの美しい景色が映し出され、目の保養になっていた。
挿入歌の数々はどれも一級品で、しかもストーリーとの親和性も高い。ケーダールナートが妻ラクシュミーへの愛情を歌い上げる「Ae Meri Zohra Jabeen」、婚約を破談されたラヴィとミーナーが自分たちの将来がどうなるのか憂う場面で流れる絶妙な「Aage Bhi Jane Na Tu」など名曲揃いだが、映画の主題にもっとも沿っているのが、ムハンマド・ラフィーの歌う「Waqt Se Din Aur Raat」だ。時間が人間の運命を翻弄する様子がよく描かれている。
オールスターキャスト映画は、各スターにどのくらいの役割を担わせるのか配分が難しいのだが、「Waqt」ではそれぞれに出番が与えられ、非常にバランス良くスターたちが立てられていたと感じた。誰も引き立て役になっておらず、自ら輝いていたのである。チョープラー監督の優れたバランス感覚が既に発揮されている。
「Waqt」は、家族の離散と再会をストーリーラインの軸としながら、当時としては画期的なオールスターキャストによって複数のメンバーをその離散に絡めることで、重厚感のあるファミリードラマに仕立て上げられていた。ヤシュ・チョープラー監督の出世作でもある。必見の映画である。
