Kashmir Ki Kali

3.5
Kashmir Ki Kali
「Kashmir Ki Kali」

 1964年11月20日公開の「Kashmir Ki Kali(カシュミールの蕾)」は、カシュミール渓谷を舞台にして繰り広げられるマサーラー映画である。題名がロマンティックであるために「ロマンス映画」と紹介されることもあるが、ロマンスに留まらず、あらゆる娯楽要素が詰まった作品だ。

 監督はシャクティ・サーマンタ。作曲はOPナイヤル、作詞はSHビハーリー。主演はシャンミー・カプールとシャルミラー・タゴール。シャンミーはラージ・カプールの弟で、1950年代から60年代に掛けて第一線で活躍したスター俳優だ。アジア人初のノーベル賞受賞者ラビンドラナート・タゴールを輩出した名門タゴール家の血筋を引くシャルミラーは、サティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)監督のベンガル語映画「Apur Sansar」(1959年/邦題:大樹のうた)でデビューしていたが、ヒンディー語映画に出演するのは本作が初となる。

 他に、プラーン、ナースィル・フサイン、ドゥマール、アヌープ・クマール、マダン・プリー、パドマデーヴィー、ムリドゥラー、トゥン・トゥンなどが出演している。

 ちなみに、ポスターでは「カシュミール」のヒンディー語綴りが「काश्मीरカーシュミール」になっているが、「कश्मीरカシュミール」の方が一般的である。

 デリーで工場を経営していた実業家サンジーヴ・ラールの息子ラージーヴ・ラール、通称ラージュー(シャンミー・カプール)は、父親亡き後、工場を受け継いだが、労働者のために金を湯水のように使い、母親ラーニー・マー(パドマデーヴィー)を困らせた。ラール家に仕える下女カルナー(ムリドゥラー)はラージューを早く結婚させるように助言する。マネージャーのシャームラールは花嫁候補を集めるが、結婚する気のないラージューは彼女たちを追い払う。そして、結婚から逃れるために、親友のチャンダル(アヌープ・クマール)と共にカシュミール渓谷へ向かう。シュリーナガルにはラール家の別荘があり、ボーラーラーム(ドゥマール)が管理人をしていた。

 ラージューがシュリーナガルの別荘に着いてみると、マーヤー、チャーヤー、レーカーという3人の若い女性と、彼女たちの世話人ラマー・デーヴィー(トゥン・トゥン)が長期滞在中だった。ボーラーラームが勝手にホテルにしていたのである。だが、母親に居所を知られたくないラージューはそれを黙認する。また、女性たちの前では正体を明かさず、チャンダルにラージーヴ・ラールを名乗らせ、自分は単なる運転手だと嘘を付く。

 ラージューはシュリーナガルへの道中でチャンパー(シャルミラー・タゴール)という花売りの女性と出会い、恋に落ちていた。ラージューはシュリーナガルでチャンパーと再会し、愛を育む。ところが、モーハン(プラーン)という材木屋もチャンパーを狙っていた。チャンパーの父親ディーヌー(ナースィル・フサイン)は盲目のため働けず、モーハンに借金をしていた。しかも、モーハンはチャンパーがディーヌーの実の娘でないという秘密を知っていた。弱みを握られていたディーヌーはモーハンからチャンパーと結婚させるように圧力を受けていたが、チャンパーはモーハンを嫌っていた。とうとう我慢ができなくなったチャンパーはラージューのところへ行き、結婚を決めようとするが、そこへマーヤー、チャーヤー、レーカーが現れ、ラージューに結婚を迫る。彼の正体がばれてしまったのである。それを見たチャンパーはラージューに遊ばれたと感じ、彼を避けるようになる。そして、父親からモーハンとの結婚を強要される。

 ラージューは実家から緊急の連絡を受け一時的にデリーに帰る。カルナーが危篤状態にあった。カルナーは死に際にラージューに出生の秘密を明かす。実はラージューはディーヌーとカルナーの子であった。カルナーは飲んだくれのディーヌーから幼いラージューを守るために家出し、仕えていたラーニー・マーに子供を託した。当時子供のいなかったラーニー・マーはラージューを実子として育てたが、後にラーニー・マーにも女児が生まれる。だが、ディーヌーがやって来て女児を誘拐してしまった。ディーヌーが誘拐した女児こそがチャンパーであった。ディーヌーは女児を殺そうとしたが、足を滑らせて失明し、その後は彼女を実の娘として育てた。一方、ラーニー・マーは我が子が生きていることを知り、捜索のためにラージューと共にシュリーナガルにやって来る。

 ラージューはモーハンから、チャンパーこそがラーニー・マーの娘であることを知る。ラージューとラーニー・マーはチャンパーに会いに行き、ラーニー・マーこそが実の母親だと明かす。その場にいたディーヌーもそれを認める。だが、モーハンが手下を連れてやって来てラージューを縛り上げ、チャンパーを誘拐して無理やり結婚しようとする。ラージューは束縛を抜け出してチャンパーを追い、モーハンを打ちのめして彼女を救い出す。

 結婚から逃れるためにカシュミール渓谷を訪れた大富豪ラージューと、盲目の父親と同居し、花を売って生計を立てる貧しくも美しい女性チャンパーの恋物語といえば、インド有数の景勝地であるカシュミール地方の美しい山と湖の景色を背景とした甘いロマンス映画が思い浮かぶ。だが、ラージューとチャンパーの出生に秘密が隠されており、それが意外な展開を生む。単にロマンスで終わらせないところがマサーラー映画の鑑である。

 ポイントとなるのは、ラール家に仕える下女カルナーの存在だ。冒頭から登場するが、下女ながらやたら家庭内で発言権を持っており、違和感がある。その違和感は正しく、終盤で彼女の正体が明かされる。実はラージューの実の母親は、ラーニー・マーではなくカルナーだったのだ。カルナーは、当時子宝に恵まれていなかったラーニー・マーに息子を売り、下女として彼の成長を見守っていたのである。

 さらに驚くべきことに、ラージューを迎え入れた後にラーニー・マーが生んだ女児がチャンパーであった。カルナーの夫ディーヌーが女児を誘拐し、育てたのだ。当初は女児を殺そうとしたが、事故に遭って失明したことで心を入れ替え、彼女を唯一の心の支えとして育てることにしたのである。つまり、ラージューとチャンパーは、運命の悪戯によって親が入れ替わっていた。本来ならばラージューは貧しいディーヌーに育てられ、チャンパーは裕福なラーニー・マーに育てられるはずだった。そのラージューとチャンパーが偶然に再会し、恋に落ちたのである。

 映画らしいドラマティックな展開ではあるが、あまりに出来過ぎなストーリーであり、容易に納得することはできない。それより大きな問題は、ディーヌーをどう扱ったらいいのか、よく分からないことだ。ラーニー・マーから生まれたばかりの女児を奪ったディーヌーの行為は、どう正当化しようとしても正当化できない。だが、真実を知らないチャンパーは、天罰によって失明したディーヌーを実の父親だと思って、花を売って健気に支え続けた。ディーヌーが実の父親ではないこと、しかも自分を誘拐した張本人であることを知った後も、チャンパーはディーヌーを愛し続けようとした。果たしてそういうものであろうか。真実を知った瞬間、愛情が憎悪に変わらないだろうか。今まで育ててもらった恩の方が、父親が自分を誘拐した犯罪者だったという事実に勝るものだろうか。そのあたりの心情の機微がほぼ抜け落ちていたのだが、むしろこの部分を映画の中核にすべきだったと感じた。

 このような運命の悪戯が背後にありながらも、映画が主に追うのはラージューとチャンパーが愛を深めていく様子である。ムハンマド・ラフィーとアーシャー・ボースレーの歌う「Isharon Isharon Mein Dil Lenewale」や「Taarif Karoon Kya Uski」など、いくつもの恋歌によって二人の恋心が爽やかに描かれる。「Kashmir Ki Kali」の挿入歌はどれも素晴らしく、何度も聞き返したくなる曲ばかりだ。また、シャンミー・カプールは当時もっともダンスのうまいスターとして知られており、特に「Haay Re Haay, Yeh Mere Haath Mein Tera Haath」ではバングラーを踊って、そのダンススキルを遺憾なく披露している。

 シャンミー・カプールに負けず劣らず、相手役シャルミラー・タゴールもなかなかの踊りを見せていた。撮影時にはまだ10代だったはずで、美しさがほとばしっている。ただ、歯並びの悪さが気になった。

 映画の大部分は実際にシュリーナガルを含むカシュミール渓谷で撮影されている。映画公開直後の1965年には第2次印パ戦争が起こっており、カシュミール地方も戦場になった。ギリギリのタイミングでカシュミール地方でのロケができたと思われる。

 「Kashmir Ki Kali」は、「地上の天国」と呼ばれるカシュミール渓谷を舞台に、金持ちの男性と貧しい女性の間で繰り広げられるロマンスを主題にした映画である。だが、その牧歌的な題名とは裏腹に、人間の欲望や運命の残酷な悪戯も渦巻くストーリーになっており、娯楽要素満点である。挿入歌も素晴らしい。興行的にも成功し、シャンミー・カプールとシャルミラー・タゴールのキャリアにとっても重要な作品になった。押さえておくべき作品である。


Kashmir Ki Kali Full Movie | Shammi Kapoor & Sharmila Tagore's Classic Romantic Movie | Madan Puri