
1946年3月16日公開の「Dr. Kotnis Ki Amar Kahani(コートニース医師の不滅の物語)」は、1938年、日本との戦争に突入した中国を支援するため英領インドから派遣された実在するインド人医師ドワールカーナート・コートニースの伝記映画である。日本が明確に「敵」として描かれている珍しいインド映画だ。第二次世界大戦で英国の敵国だった日本が敗戦した後、かつインドが独立する前に公開された作品ということも念頭に置くべきである。カージャー・アハマド・アッバース著のノンフィクション「And One Did Not Come Back!」(1944年)を原作としている。
監督は、インド映画のパイオニアの一人とされるVシャーンターラームで、主演も務めている。原作者のカージャー・アハマド・アッバースが脚本も書いている。音楽はヴァサント・デーサーイー、作詞はディーワーン・シャラール。
ヒロインはジャヤシュリー・カムルカル。他に、バーブーラーオ・ペーンダルカル、ジャーンキーダース、ケーシャヴラーオ・ダーテー、マスター・ヴィナーヤク、プラティマー・デーヴィー、プロフェッサー・フドリーカル、サルヴィー、ウルハースなどが出演している。
ボンベイで医師免許を取得したドワールカーナート・コートニース(Vシャーンターラーム)は故郷ショーラープルに帰る。父親(ケーシャヴラーオ・ダーテー)は町に彼のために診療所を用意して待っていたが、コートニースは日本と戦争中だった中国に派遣される医師団への参加を希望した。父親は息子の決断を尊重する。
1938年、コートニースはアタル(プロフェッサー・フドリーカル)、チョールカル(サルヴィー)、バス(ウルハース)、ムカルジー(ジャーンキーダース)と共に船に乗り、セイロン、シンガポール経由で中国に上陸する。中国到着後、コートニースは実家から父親の訃報を受け取り、いったんは帰国しようとするが、父親の「任務を果たすまで帰国するな」という言葉を思い出し踏みとどまる。
医師団は延安でゲリラを率いるフォン将軍(バーブーラーオ・ベーンダルカル)に歓迎されるが、コートニース以外の医師は次々に体調不良になって帰国することになる。コートニースはアシスタントのチンラン(ジャヤシュリー・カムルカル)と恋に落ち、フォン将軍のとりなしによって結婚する。やがてチンランは妊娠する。
日本軍の攻撃が激化し、フォン将軍は退却を決める。コートニースはゲリラの兵士たちの間に正体不明の腫れ物が蔓延しているのに気付き、自らの身体にそれを感染させて治療法を見つける。おかげで多くの中国人の命が助かった。コートニースは日本軍に捕まってしまうが脱走し、ゲリラの隠れ家になっていた龍山にたどり着く。このときまでにチンランは男児を出産しており、彼らは感動の再会を果たす。
コートニースはてんかんに悩まされるようになっていたが、負傷兵たちの治療を続けた。だが、コートニースは次第に衰弱していき、立ち上がれなくなる。それでもフォン将軍が負傷して運び込まれると彼は起き上がってフォン将軍の手術をする。インドが日本に攻撃されたことを知ったコートニースはインドに帰国することを決めるが、その直後に息を引き取る。
残されたチンランは息子を連れてインドに渡り、コートニースの家族を訪れる。
隣人である中国を命を投げ出して医療支援した英雄的なインド人医師の物語である。日本を英・印・中の共通の敵として設定することで、英国植民地政府に対する愛国主義と、中印友好を演出しようとする明確な意図が感じられる。
この映画が製作された時期はおそらく日本の敗戦前後であり、もしかしたら撮影が始まった頃にはまだ第二次世界大戦の真っ只中にあったのかもしれない。少なくとも原作の出版年である1944年は日本のポツダム宣言受諾前である。また、主人公コートニースが実際に死去したのは1942年12月9日である。映画の中でコートニースは死ぬ直前に「インドが日本から攻撃を受けた」という知らせを受け取るが、これは日本軍によるカルカッタ爆撃のことを指していると思われる。ただし、日本軍がカルカッタに初めて爆撃を行ったのは1942年12月20日であり、コートニースの死後になるので、史実とは合わない。
それはともかくとして、「Dr. Kotnis Ki Amar Kahani」は、インドの宗主国である英国の属する連合軍が第二次世界大戦で勝利を収めた高揚感の中で公開されたはずで、英領政府としては、インド人による戦時中の美談を記録し称賛することは戦後処理として意義のある企画だったと思われる。大いに英領政府の後ろ盾が感じられる映画だ。
しかしながら、この作品を純粋に英領政府におもねって作られた親英プロパガンダ映画と評価するのには疑問がある。この映画には、中国に侵略した日本を撃退することで自由を勝ち取ろうという中国人に対する応援メッセージが込められているように見えるが、その自由への希求はそのままインドにもストレートに当てはめられるからだ。特に終盤でチンランが歌う勇ましい楽曲「Gulam Nahin Tum Josh Mein Aao」には、「Gulam Nahin Tum Josh Mein Aao, Yeh Desh Hai Tera Hosh Mein Aao(お前は奴隷じゃない、情熱を取り戻せ、この国はお前のものだ、正気を取り戻せ)」という歌詞があり、これはどう見てもインド国民に向けられている。
真意はどうあれ、「Dr. Kotnis Ki Amar Kahani」の悪役は日本軍である。チンランの家族は日本軍に皆殺しにされたという設定で、日本軍の残虐さが強調される。一瞬だけ登場する日本人キャラは、「眼鏡に出っ歯」というステレオタイプの日本人像そのままで描かれ、軽蔑すら受け止められる。その一方で、この時代のインド人に中国に対する悪感情がほとんどないのがうかがえるのは、その後の二国間関係の悪化を知っている我々にとっては、しごく興味深い。連合国の一員としてインドは中国を支える立場にあったとはいえ、純粋に中国に対する隣人としての友情が感じられるのだ。そもそもコートニースが中国に派遣されたのも、中国共産党の朱徳からの要請に国民会議派のジャワーハルラール・ネルーやスバーシュチャンドラ・ボースが応えたからであるし、コートニースを迎えた中国人たちもおおむね好意的に描かれている。コートニースは中国人女性チンランと恋に落ち結婚するが、これは史実であると同時に、中印友好の強烈なシンボルでもある。
中国に侵略してきた日本軍に立ち向かっている中国人たちは「ゲリラ」と呼ばれていた。一瞬だけ旗が見えるのだが、それは国民党のものであり、現在の台湾のものであった。ただ、この頃の「ゲリラ」には、国共合作後であるので、実際には共産党員も国民党員もいたはずである。フォン将軍のモデルになっているのもおそらく毛沢東であろう。実際にコートニースは毛沢東と会っている。
戦争を主題にした映画ではあるが、意外にシリアスな味付けにはなっておらず、むしろコミカルさを感じる。当初は「アーチン」と呼ばれ、男性だと思われていたチンランが、実は女性だったと分かるシーンや、コートニースとチンランの恋愛など、戦争中にもかかわらず和やかなエピソードも多い。「Dr. Kotnis Ki Amar Kahani」は、戦争の悲惨さを伝えようといった反戦映画の部類には入りにくいと感じる。あくまで英雄譚である。
まだインド独立前ということもあって、劇中に登場するインドの地図は、いわゆる「アカンド・バーラト(未分割インド)」である。現在のインド、パーキスターン、バングラデシュが全てインドの領土として描かれており、おまけにスリランカも含まれている。もしかしたらネパールやブータンも入っているかもしれない。さらに、中国の地図も出て来るのだが、こちらはどうだろうか。判別しにくいのだが、モンゴルやチベットが含まれた地図になっているようにも見える。

言語は基本的にヒンディー語である。チンランを含めた中国人キャラもヒンディー語を話す。ただ、会話の中で「再見」や「你们好」などの簡単な中国語フレーズが使われていたし、看板にも漢字が使われていた。おそらくスタッフの中に中国語がある程度できる者がいたはずである。
「Dr. Kotnis Ki Amar Kahani」は、第二次世界大戦中の中国に渡って抗日ゲリラの医療支援を行った勇敢なインド人医師ドワールカーナート・コートニースの伝記映画である。反日プロパガンダ映画のように見えないこともないが、実際にはインド国民に独立運動を促す目的で作られていると思われる。非常に興味深い作品だ。
