今日はPVRアヌパム4で、2005年8月26日公開の新作ヒンディー語映画「Iqbal」を観た。プロデューサーはスバーシュ・ガイー、監督はナーゲーシュ・ククヌール。キャストは、ナスィールッディーン・シャー、シュレーヤス・タルパデー、ヤティーン・カリエーカル、シュエーター・プラサード、ギリーシュ・カルナド、キットゥー・ギドワーニーなど。
アーンドラ・プラデーシュ州の片田舎に住むイクバール(シュレヤース・タルパデー)は、聾唖ながらクリケット選手を夢見る少年だった。毎日牛追いをしながら投球の練習をしており、近くにあるクリケット・アカデミーの練習の様子を、妹カディージャー(シュウェーター・プラサード)の助けを借りて盗み聞きしていた。母親(キットゥー・ギドワーニー)はイクバールの夢を応援していたが、父親アンワル(ヤティーン・カルヤーカル)は大のクリケット嫌いで、イクバールに早く農業を教えなければと考えていた。 ある日、イクバールはクリケット・アカデミーのグルジー(ギリーシュ・カルナド)に自分の投球を見てもらう機会を得る。イクバールの投球に光るものを見出したグルジーは彼をアカデミーに入れることにする。もちろん、イクバールは父親に内緒でアカデミーに通った。ところが、イクバールの加入によりスターの座を奪われたバッツマン(打者)のカマルは嫉妬し、イクバールに罵声を浴びせかける。怒ったイクバールはカマルにビーンボールを喰らわす。だが、カマルの父親は大富豪であり、このいざこざはイクバールがアカデミーを去ることでしか解決しなかった。 アカデミーを追い出されたイクバールは、しばらく意気消沈していたが、クリケット雑誌で意外な顔を見つける。それは、村一番の酔っ払いとして爪弾きにされていたモーヒト(ナスィールッディーン・シャー)だった。実はモーヒトはかつて将来を有望された投手だった。イクバールはモーヒトにコーチを頼み込む。最初は断っていたモーヒトも、しつこいイクバールに根負けしてそれを受け容れる。最初はカディージャーが通訳をしなければコミュニケーションが取れなかったが、次第にイクバールとモーヒトは心を通い合わせるようになる。 イクバールが目標としていた、州チームのセレクションの日がやって来た。イクバールとモーヒトは、父親には内緒で母親と妹を連れてセレクションに参加する。残念ながら選ばれたのはカマルだったが、イクバールの投球を見た審査員は、彼をラームプル市のチームに入れることにした。何の経験もない少年がチームに採用されるのは異例のことだった。 喜ぶイクバールたちだったが、帰った彼らを待っていたのは、怒りを露にしたアンワルだった。アンワルはイクバールがクリケット選手になろうとしているのを聞いて怒り、用具を燃やしてしまう。そして無理矢理彼を畑に連れて行き、農業をさせる。モーヒトはアンワルに、イクバールにクリケットをさせるよう頼み込むが、アンワルは承諾しなかった。 だが、モーヒトも諦めなかった。モーヒトは自宅に特設の練習場を作り、真夜中イクバールを訓練する。そして、チームの練習が始まると、イクバールを家から脱走させる。試合デビューしたイクバールは次々にウィケットを連取する活躍を見せ、たちまち注目の選手となる。チームも勝ち進み、決勝戦まで辿り着く。相手はカマルのチームだった。そこには、インドチームのスカウトマンも視察に訪れていた。この試合で目立った活躍をした選手は、インドチームに採用される可能性大だった。 夜中一人で練習するイクバールのもとへ、グルジーがやって来る。グルジーはイクバールに対し、試合でカマルを活躍させるよう裏取引を申し出る。グルジーは、イクバールの父親が財政的に困窮していることを知っており、イクバールに250万ルピーの小切手を渡す。 試合の日、イクバールはカマルに対して真剣に投球することができず、チームも敗色が濃厚となりつつあった。だが、モーヒトに説得されたイクバールは気を取り直し、カマルをアウトにする決意を決める。イクバールが取った手段は、かつてモーヒトが編み出した必殺のチャッカル・ビューだった。油断させたカマルを一気にアウトに取ったイクバールは、試合中最も活躍した選手となり、インドチームにもめでたくスカウトされた。怒ったグルジーはイクバールに抗議するが、イクバールはグルジーの目の前で250万ルピーの小切手を破り捨てる。イクバールがスカウトマンからもらった契約金は500万ルピーであった。
ヒンディー語映画界ではスポーツを題材とした映画は過去にあまり作られていない。スポーツ映画は受けないというジンクスがあるようだ。例外的にヒットしたのは、「Lagaan」(2001年)である。「Lagaan」はインド人の大好きなクリケットをテーマにした映画だったが、ここにもうひとつ、異色のクリケット映画が誕生した。「Lagaan」とはだいぶ違う趣の映画だったが、深く考えなければ素直に感動できる佳作だった。
この映画が異色なのは、まず生まれつき耳が聞こえず口も利けない田舎の少年が、投球の腕一本でインド代表チームの選手になるまでを描いている点である。別に実話を基にした映画でもなく、一体そんなことが現実にあるのか、と考えてしまうが、それは深く考えてはいけない点である。主人公イクバールは、母親の胎内にいる間からクリケットの試合の音を聞いて育ったという設定であり、家畜の牛たちに大好きなクリケット投手(カピル、ハルバジャン、イルファーンなど)の名前を付けているほどであった。一方、農家の父親は3年間続く干ばつのおかげで、バイクを売ったり土地を売ったりして財政的にだんだん追い詰められていた。イクバールを聾唖学校で学ばせる資金もなく、息子にそろそろ農業を教えようと考えていた。だが、母親と妹はイクバールの夢を父親に内緒で応援していた。一度はクリケット・アカデミーへの入学を許され、夢への道が開けたと思われたが、周囲の嫉妬と上からの圧力によりイクバールは一旦夢を諦めなければならなかった。その後、モーヒトという酔っ払いのコーチを持ったことによりイクバールの運命は開け、まずは街レベルのクリケットチームに加入し、最終的にはインド代表にも選ばれる。
現在インド代表で活躍している選手たちが、一体どんなルートを経て選手になったのか、それはなかなかよく分からない。インドで「クリケット選手」と言ったら、それは「国代表」と等しい。日本の野球やサッカーでは、国内リーグの選手になれば一応スポーツ選手として認知してもらえるが、インドのほとんどのクリケットファンは、国内リーグには全くと言っていいほど注目していない。TVで放映されるのも、国対国の試合ばかりだ。ただでさえ人口が多い国なのに、その中から「クリケット選手」になれるのは本の一握りである。どれだけ国代表に選ばれるのが難しいかは容易に想像がつく。だから、聾唖の少年がインドチームに入るというストーリーはあまりに非現実的であった。それ以上に、イクバールが聾唖である必要があったのか、と思った。そうでなくてもこの映画は一応成り立ったように思える。
イクバールのサクセスストーリーが表のテーマだとしたら、裏のテーマはクリケット界にはこびる裏取引の現状の指摘である。実はモーヒトも、かつて将来を有望視されながら、裏取引の被害に遭った投手だった。裏取引の魔手はイクバールにも襲い掛かった。才能よりも人脈と金脈でクリケット選手が選ばれていく過程が暴露されていたのは新鮮だったが、あまりに単純化しすぎていたようなきらいもあった。
そしてもちろん、家族の愛情が映画をより感動的なものとしていた。特に、必死に兄を支える妹の姿がかわいかった。兄と妹の関係においてのみ、イクバールが聾唖であることが活かされていたと思う。イクバールがクリケット選手になることに最後まで反対していた父親が試合会場に訪れるシーンも感動的である。しかし、やっぱり家族の愛情の描写の仕方も単純化しすぎのような気がした。
主演のシュレーヤス・タルパデーは、まだデビューし立ての新人男優である。シュレーヤスはクリケット・アカデミーで実際に投手として訓練を受けていたこと、また学生時代に演劇をやっていたことから、オーディションで選ばれたそうだ。彼の投球フォームには演技っぽいところがなかった。助走をつけるために遠くまで歩いて行って、バッツマンを睨みながら振り返るときの目に力を感じた。ナスィールッディーン・シャーはやっぱりインド最高レベルの俳優だ。今回は、「ただの酔っ払いと思いきや実は栄光と挫折の過去を持つオヤジ」というおいしい役。「酒を飲むことは神様に反することにならないか」と言われたモーヒトは、「神様はいろんなことをおっしゃる。その小言を聞こえなくするために酒を飲むのさ」と嘯いていた。イクバールの父親を演じたヤティーン・カリエーカルもいい男優だと思った。
音楽は、サリーム・スライマーン、ヒメーシュ・レーシャミヤー、ケーダール・サローシュなどが合作している。歌が流れることはあるが、典型的インド映画によくあるダンスシーンなどは全くない。
映画は最初から最後まで南インドのどこかののどかな片田舎が舞台となっている。特に市場の様子や、ココナッツの木に登って実を取る人が映っていたシーンなどが印象に残った。また田舎に行きたくなった。
ビッグ・サプライズとして、伝説的クリケット選手、カピル・デーヴが特別出演していた。カピル・デーヴは1980年代に活躍した、投げてよし、打ってよしのオールラウンド・プレーヤーであり、1983年のインドのワールドカップ優勝にも貢献した。登場シーンの冒頭は、カピルの声だけが聞こえるのだが、それだけで観客のインド人たちはカピルだと分かったようで、ざわめきが沸き起こった。
「Iqbal」はクリケットをテーマにした映画だが、「Lagaan」ほどクリケットのルールの知識は要求されない。単なるスポ魂感動映画として観ることも可能だ。