Chhorii

3.0
「Chhorii」

 2021年11月26日からアマゾン・プライム・ビデオで配信開始されたヒンディー語ホラー映画「Chhorii」。その題名の意味は「女の子」という意味だが、どちらかというと標準語よりも方言系で使われる言葉だ。そして、「ホラー映画+女の子」と来たら、インドに詳しい人ならピンとくる。これは女児堕胎や女児間引きの話だと。その期待を裏切らない筋書きの映画であった。

 監督はヴィシャール・フリヤー。過去に「Lapachhapi」(2017年)というマラーティー語映画を撮っており、この「Chhorii」はそのヒンディー語セルフリメイクとなる。主演はヌスラト・バルチャー。他に、ミーター・ヴァシシュト、ラージェーシュ・ジャイス、サウラブ・ゴーヤル、パッラヴィー・アジャイなどが出演している。

 子供たちのためのNGOを運営する女性サークシー(ヌスラト・バルチャー)は、ヘーマント(サウラブ・ゴーヤル)と結婚し、妊娠していた。だが、ヘーマントが借金を抱え、借金取りに追われていることを知り、二人で安全な場所に避難することを決める。運転手カジラー(ラージェーシュ・ジャイス)の実家は僻地の農村にあり、そこなら安全そうであった。サークシーとヘーマントはカジラーに連れられてその村へ行く。

 カジラーの家は、広大なサトウキビ畑の中にあった。案内がなければ迷ってしまうほどであった。ヘーマントとサークシ-はカジラーの妻バンノー(ミーター・ヴァシシュト)に迎えられる。カジラーとバンノーの間にはラージビールという息子がいたが、都会へ行っていていなかった。その妻ラーニー(パッラヴィー・アジャイ)は無口な女性で、家の中に入ろうとしなかった。

 サークシーは3人の子供を見掛ける。子供好きなサークシーは子供たちと遊ぼうとするが、バンノーはそれを禁じる。実はその子供たちは亡霊であった。異変を感じたサークシーはヘーマントと共に家を出ようとするが、カジラーとバンノーに捕らえられてしまう。彼らは、家に掛けられた呪いを取り除くため、妊婦を家に3日間留めようとしていたのである。

 サークシーが目を覚ますと、家には誰もいなかった。逃げ出そうとするが、サトウキビ畑は迷路になっており、脱出できなかった。そこで彼女は亡霊と向き合うことにする。彼女が見た子供たちは、カジラーとバンノーの子供たちであった。子供たちは、カジラーの弟ヨーゲーシュワルの妻スネーニーに懐いていた。だが、ある日スネーニーは誤ってヨーゲーシュワルを殺してしまう。スネーニーは殺され、妊娠していた彼女の子供も井戸に放り込まれ、バンノーの3人の子供も彼女と共に死んでしまった。以来、スネーニーは家に取り憑き、ラージビールと結婚した女性の前に化けて出て来たのだった。

 サークシーは全ての秘密を知ってしまった。実はラージビールはヘーマントであった。彼女はヘーマントの正体を暴き、家を去って行く。彼女を殺そうとしたヘーマントは、ラーニーに殺される。

 インドでは、男児の出産を重視する余り、女児の堕胎や間引きが行われて来た。インドの大部分のコミュニティーは男系であるため、男児が生まれなければ家が断絶してしまうということもあるのだが、インドの結婚制度では花嫁側が花婿側に多額の持参金を支払わなければならないため、経済的な理由からも女児の誕生を嫌うようになったのである。

 女児堕胎を防ぐため、胎児の性別検査は禁止されているが、それでも闇で性別検査はできてしまい、女児堕胎はなくならない。長年続いて来たこの悪習により男女比が異常な数値となっており、社会問題になっている。

 インドでホラー映画を作ろうと思った際、堕胎されたり間引きされたりした女児の亡霊を使って社会問題に切り込むという手法はいいアイデアだ。過去に「Kaali Khuhi」(2020年)というホラー映画もあった。「Chhorii」でユニークだったのは、生を全うできなかった女児の亡霊ではなく、男児の亡霊が出て来たことだ。女児堕胎問題を取り上げたホラー映画だということは早い段階から予想が付くのだが、男児の亡霊たちがどういう役割を果たすのか、その謎があったために最後まで飽きずに見入ることができた。また、女児堕胎を強要された母親の亡霊も出て来る。

 ただ、登場人物が少ない割には意外に人間関係が複雑である。3人の男児は、運転手カジラーの妻バンノーの実の子供たちであった。だが、カジラーの弟ヨーゲーシュワルの妻スネーニーに懐いていた。スネーニーは妊娠していたが、何らかの手段で胎児が女児であることが分かり、ヨーゲーシュワルに腹を切って堕胎させられそうになる。だが、誤ってそのナイフがヨーゲーシュワルに刺さってしまい、死んでしまう。

 この事件により、スネーニーは火を付けられるのだが生き延び、女児を出産する。カジラーはその子を井戸に投げ落とし、「これで今年は豊作だ」と喜ぶ。焼けただれたスネーニーは女児を追って井戸の中に飛び込み、その後を追ってバンノーの3人の子供も飛び込んでしまった。こうしてカジラーとバンノーの家にはラージビールしか残らなかった。ラージビールはその後、再婚を繰り返したが、スネーニーと3人の子供の亡霊に悩まされ、妻たちは死んでいった。

 呪術師によれば、妊娠8ヶ月の女性を家に3日間留めておけば、この呪いは解けるとのことだった。そこでサークシーが連れて来られたのだった。しかしながら、サークシーの夫ヘーマントが実はラージビールであることが最後に分かる。そうなって来るとつじつまの合わない部分がいくつかあり、話がこんがらがってしまう。そもそも、サークシーはヘーマントと結婚する前に彼の両親、つまりカジラーとバンノーと会わなかったのだろうか。スネーニーの亡霊は、なぜラージビールやその両親ではなく、ラージビールの妻たちを襲うのだろうか。カジラーは、逃げ出そうとしたラージビールをかなり本気で殴っているが、もし最初からグルだったとしたらこれはおかしくないか。かなり無理のある結末であった。こんがらがった人間関係はこんがらがったまま解決されず、ヘーマントは殺され、サークシーはサトウキビ畑を脱出する。

 ホラーシーンは、基本的には2000年代のヒンディー語ホラー映画の流れを汲んでいる。映像と効果音で怖がらせるタイプの、物理的なホラー映画だ。一段上の精神的なホラー映画には達していなかった。だが、主演ヌスラト・バルチャーの研ぎ澄まされた演技力があったおかげで、かなり怖いホラー映画に仕上がっていた。ちなみに、妊娠した女性が主人公の映画というと、過去に名作スリラー映画「Kahaani」(2012年/女神は二度微笑む)があった。

 どの地域の話なのか、よく分からなかった。自動車のナンバーが隠されていたりして、意図的に地域が曖昧にされていたように感じた。広大なサトウキビ畑が重要な役割を果たしていたが、サトウキビの生産地としてはウッタル・プラデーシュ州やマハーラーシュトラ州などが有名だ。カジラーやバンノーの話す方言は、かなり癖があって聴き取りづらかったが、特定の地域の方言というよりも架空の方言と言った感じで、やはり地域性が不明瞭であった。原作はマラーティー語映画なので、マハーラーシュトラ州が舞台だったのだろうか。

 「Chhorii」のメインテーマは女児堕胎であるが、主役のサークシーは男女同権主義者で、彼女の視点から、より広範な女性問題について触れられていた。例えばインドの農村では食事時、まずは男性が食べ、次に女性が食べる。男女に優劣を付けるインドの悪習にサークシーは敢然とノーを突き付けていた。ヌスラト・バルチャーがこの映画への出演を承諾したのは、この辺りのテーマ性が気に入ったからであろう。

 「Chhorii」は、演技派女優ヌスラト・バルチャー主演のホラー映画である。テーマはズバリ、女児堕胎および女性問題だ。11月25日は「女性に対する暴力撤廃の国際デー」だが、それに合わせて公開されたと思われる。ホラー映画としては中の上と言ったところだが、単に怖がって終わりの完全なる娯楽映画に終わらず、社会的なメッセージが込められているところは、いかにもインド映画らしい部分だ。