Meenakshi Sundareshwar

3.5
「Meenakshi Sundareshwar」

 大半のヒンディー語映画が舞台とするのはムンバイーか北インドのどこかの都市や農村であり、登場人物がヒンディー語を話すことに違和感を感じることは少ない。それらの地域ではヒンディー語が通じるからである。たとえ南インドが舞台となったとしても、都市部ならばヒンディー語が通じる。ただし、タミル・ナードゥ州だけは別だ。反ヒンディー語運動の先鋒であるタミル・ナードゥ州ではヒンディー語が必修となっておらず、インドで最もヒンディー語の通じない州となっている。だから、タミル・ナードゥ州を舞台にしたヒンディー語映画というのは今まで意図的に作られて来なかったのではないかと思う。

 2021年11月5日からNetflixで配信開始された「Meenakshi Sundareshwar」は、そんなことを感じさせられた映画だった。なぜならこの映画は、タミル・ナードゥ州の古都マドゥライを舞台にし、主にタミル人を登場人物としたヒンディー語映画だったからである。いつの間にかタミル人もこの映画が示すようにヒンディー語を流暢に話すようになったいたとしたら大きな驚きだが、おそらくはそうではなく、演出であろう。台詞の中にはタミル語も混じっていたが、基本的にはヒンディー語で会話がなされていた。「Meenakshi Sundarshwar」は、世にも珍しいタミル系ヒンディー語映画なのである。

 監督はヴィヴェーク・ソーニー。過去に短編映画を撮っているが、長編映画はこれが初めてである。プロデューサーはカラン・ジョーハルとアプールヴァ・メヘターである。主演は「Mard Ko Dard Nahi Hota」(2019年/邦題:燃えよスーリヤ!!)のアビマンニュ・ダサーニーと「Pagglait」(2021年)のサーニヤー・マロートラー。他に、シヴクマール・スブラマニアム、ニヴェーディター・バールガヴァ、プールネーンドゥ・バッターチャーリヤ、コーマル・チャブリヤー、マノージ・マニ・マシュー、リティカー・アトゥル・シュロートリー、ソーナーリー・サチデーヴ、ヴァルン・シャシ・ラーオ、スケーシュ・アローラー、チェータン・シャルマー、クマン・ノンヤイ、ダニーシュ・スードなどが出演している。

 舞台はタミル・ナードゥ州マドゥライ。サーリー屋を営む古い家に生まれ育ったスンダレーシュワル(アビマンニュ・ダサーニー)は、工科系大学を卒業後、1年間求職中だった。お見合いのために間違った家に入ってしまい、そこで出会ったミーナークシー(サーニヤー・マロートラー)と結婚することになる。

 結婚初夜、スンダレーシュワルには面接の知らせが届き、ミーナークシーを放っておいて準備を始める。その面接はうまく行かなかったが、バンガロールにある会社からインターン採用のオファーがあり、単身バンガロールへ向かう。その会社は独身者しか雇わないとのことで、スンダレーシュワルは独身と嘘を付いてインターンをすることになる。彼は1年以内にアプリを開発することになった。

 だが、ミーナークシーと遠距離になったことで、二人の間に溝が生まれ始める。スンダレーシュワルはミーナークシーに嘘を付くようにもなった。それがミーナークシーにとってはショックだった。ミーナークシーは孤独を感じるようになり、大学時代の友人アナンタン(ヴァルン・シャシ・ラーオ)と会うようになる。また、家の縛りが厳しく、外で働くことを許してもらえなかったこともミーナークシーにはストレスとなった。

 大事な最終プレゼンの日、ミーナークシーがバンガロールを訪れたことでスンダレーシュワルは正気を失い、彼女を怒鳴ってしまう。スンダレーシュワルはプレゼンの場で既婚者であることを暴露し、そのまま会場を去って行く。だが、ミーナークシーは実家に戻っており、スンダレーシュワルの電話を取ろうとしなかった。しかし、ラジニーカーント主演「Darbar」の公開初日に映画館へ行ってみると、ラジニーカーンとの熱烈ファンであるミーナークシーに会うことができた。スンダレーシュワルとミーナークシーは抱き合う。

 ただ単に舞台設定がタミルなだけでなく、ストーリーの随所にタミル文化が練り込まれ、なぜヒンディー語で作られたのか分からなくなるような作品だった。それでも、マドゥライのシンボル、ミーナークシー・スンダレーシュワル寺院と同じ組み合わせであるミーナークシーとスンダレーシュワルの仲睦まじさと、新婚早々迎えた危機を、スローテンポで、かつ色彩豊かなミュージカルを交えて、じっくり描き出したロマンス映画になっており、ちょうどいい案配の娯楽映画となっていた。

 映画の冒頭でも語られていたように、主人公二人を結びつけたのは、神様とラジニーカーントであった。スンダレーシュワルとはシヴァ神のことで、マドゥライの土着の女神であるミーナークシーと結婚した。二人を祀るのがミーナークシー・スンダレーシュワル寺院である。スンダレーシュワルとミーナークシーは別々の相手とお見合いをすることになっていたのだが、勘違いからお見合いをすることになり、お互いを気に入る。その判断に、二人の名前も寄与していたのだった。

 ミーナークシーは、タミル語映画界のスーパースター、ラジニーカーントの大ファンだった。一方、スンダレーシュワルは映画自体を観ないという珍しいインド人であった。ラジニーカーントが恋のキューピッドとなるのは終盤である。離れ離れになった二人を再び結びつけたのが、ラジニーカーント主演「Darbar」(2020年/邦題:ダルバール 復讐人)だったのである。スンダレーシュワルはミーナークシーに会えずにいたが、ラジニーカーント映画が公開されたときには必ず初日の初回を観ると彼女が言っていたのを思い出し、「Darbar」の公開で沸く映画館に向かうのである。

 主演の男女の力関係は現代ヒンディー語映画らしかった。スンダレーシュワルは、真面目なところだけが取り柄の青年であったが、どこか鈍いところがあり、大学卒業後もなかなか就職できず、求職中の身だった。一方のミーナークシーは経営学を修めており、頭脳明晰な女性として描かれていた。スンダレーシュワルの家に嫁ぎ、大家族に適応しようとするが、気の強いところもあり、叔母に言い返すシーンもあった。だが、ミーナークシーはスンダレーシュワルの自立心を買っており、彼が就職のためにバンガロールへ行くことも後押しし、孤独に耐えながらも彼を応援していた。

 結婚前後の二人の仲があまりに仲睦まじかったのだが、スンダレーシュワルがバンガロールに住み始める中盤以降、ストーリーが動き出す。彼がインターンとして入った会社は、ワンマン社長の方針により、独身者しか採用しなかった。どうしても就職したかった彼は独身だと嘘を付き、インターンを続ける。また、今まで女性と付き合ったことがなかったスンダレーシュワルにとって、新妻との長距離の関係を維持するのは至難の業であった。二人の間にすれ違いが起こるようになり、次第に溝が深まって行く。だが、ラジニーカーントのおかげで再び二人はよりを戻すことができたのだった。

 果たしてスンダレーシュワルはバンガロールでの就職を完全に蹴ってしまったのか、家業のサーリー店を手伝うことになったのか、その辺りの結末は語られなかった。彼が開発した「トゥゲザー」というアプリはなかなか好評で、もしかしたら特別扱いされて、既婚者でも就職を許してもらえたかもしれない。そして、二人でバンガロールに住むことになったかもしれない。だが、何となく二人は、ミーナークシー・スンダレーシュワル寺院のお膝元であるマドゥライで暮らしていた方が幸せになれそうな予感はあった。あまりにバンガロールは都会過ぎて、純朴なこのカップルには似合わないのである。

 往年の女優バーギヤシュリーの息子アビマンニュ・ダサーニーにとって、「Mard Ko Dard Nahi Hota」でのデビュー後、この「Meenakshi Sundareshwar」が主演第2作となる。顔の作りにどこか気の弱さが出ており、使いどころの難しい男優のような気がするが、今回は気の弱い男性役でピタッとはまったため、何とかこなすことができていた。相手役のサーニヤー・マロートラーの方がキャリアは上であり、演技力に至っては圧倒的に上だ。細かい仕草や表情、そして佇まいに独特の気品があり、惹き付けるものを持っている。

 最近のヒンディー語映画ではダンスシーンが差し挟まれることが少なくなったのだが、タミルっぽさに溢れたこの映画にはダンスシーンが多めに入っていた。また、ミュージカル的な入り方だったのも特徴だった。音楽監督はタミル語映画界で活躍するジャスティン・プラバーカラン。タミル語映画の音楽をヒンディー語の歌詞にしたような聞き心地のいい音楽だった。

 日本人として驚きだったのは、村上春樹の「ノルウェイの森」英訳版が小道具として登場したことだ。登場しただけで、それが重要な伏線になっていたりはしなかったのだが、インドで村上春樹の英訳本が結構知名度を獲得していることが分かる。ちなみに、村上春樹と対比されていたのはインド人人気作家チェータン・バガトであった。チェータン・バガトの小説は「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)などの原作となっている。

 「Meenakshi Sundareshwar」は、言語がヒンディー語なだけで、そのストーリーや味付けはタミル語映画と呼んだ方がいいくらいである。サーニヤー・マロートラーの演技がずば抜けており、スローテンポのストーリーテーリングも彼女の魅力を引き出せていた。なぜヒンディー語で作られたのか不思議なくらいの突然変異的なヒンディー語映画であるが、またひとつNetflix映画の佳作が生まれたと言える。