主にムンバイーのアンダーワールドを書き続けている作家フサイン・ザイディーの書籍は、これまでヒンディー語映画界で好んで映画化されて来た。フサイン・ザイディーの作品を原作とする映画には、「Black Friday」(2007年)、「Shootout at Wadala」(2013年)、「Phantom」(2015年)などがある。
2020年8月21日からNetflixで配信開始された「Class of ’83」も、フサイン・ザイディー著「The Class of 83」を原作とした映画である。プロデューサーは、シャールク・カーンの妻ガウリー・カーンなど。監督は「Aurangzeb」(2013年)のアトゥル・サバルワール。キャストの中で有名なのはボビー・デーオールのみで、その他の主要キャストは新人ばかりで、ヒテーシュ・ボージラージ、ブーペーンドラ・ジャーダワト、サミール・パランジャペー、ニナド・マハージャニー、プリトヴィク・プラタープ。脇役として、アヌープ・ソーニー、ジョイ・セーングプター、ギーティカー・ティヤーギー、ヴィシュワジート・プラダーンなどが出演している。
1980年代のボンベイ。カールセーカルやナーイクといったギャングが跋扈し、紡績工場のストライキが続いて労働者たちは職を失っていた。正義感の強い警察官ヴィジャイ・スィン(ボビー・デーオール)は、マノーハル・パートカル州首相(アヌープ・ソーニー)とカールセーカルが通じていることを察知し、州首相に詰め寄るが、彼は懲罰的な人事の餌食となって、ナーシクにある警察学校の校長に左遷された。 1983年卒生の最下位5人組、プラモード・シュクラー(ブーペーンドラ・ジャーダワト)、ヴィシュヌ・ヴァルデー(ヒテーシュ・ボージラージ)、アスラム・カーン(サミール・パランジャペー)、ラクシュマン・ジャーダヴ(ニナド・マハージャニー)、ジャナルダン・スルヴェー(プリトヴィク・プラタープ)は、かつて教員の家に忍び込んで暴行を加えるという狼藉を働いたが、ヴィジャイから目を掛けられており、パートカル州首相とカールセーカルに引導を渡す極秘の使命を受けていた。 五人は、カールセーカルの資金洗浄役をたまたま発見して射殺する手柄を立て、それ以降もギャングたちを次々に殺して行った。しかしながら、仲間内で対立するようになり、とうとう一般市民を射殺してしまったことで、ヴィジャイは現場に復帰し、彼らの処分を任せられる。 そんな中、一般市民射殺に加わっていなかったアスラムがカールセーカルのギャングに殺される。ヴィジャイは残りの四人と共に復讐の計画を立てる。彼らはカールセーカルの義理の娘を誘拐し、ドバイに逃げていたカールセーカルを誘き寄せ、殺害する。パートカル州首相は激怒するが、ヴィジャイにはきちんとアリバイがあった。
ヒンディー語映画界では随分前から、システムを巡る論争が繰り広げられている。システムとは、政治、社会、文化などを総括した言葉で、インドはこのシステムが腐敗しているとされる。そしてその腐敗したシステムを直すために、システムの中から直すべきなのか、システムの外から直すべきなのかが議論されて来ている。システムの中から直すというのは、例えば政治家、官僚、警察官などになって、既存のシステムのルールに則って改革を目指す道筋である。一方、システムの外から直すというのは、例えばギャングスターやナクサライトなど、社会や法律の枠組みの外に身を置いてシステムを攻撃または破壊し、新たなシステムを構築する道筋である。
インドで使われる独特な用語のひとつに「エンカウンター」がある。これは、警察がギャングやテロリストを、正当防衛を理由として、逮捕するよりも現場で射殺してしまうことを指す。本来ならば警察官は容疑者を逮捕し、裁判所で司法の裁きを受けさせるのが仕事である。だが、このプロセスは時間が掛かる上に、証拠不十分だったり上からの圧力だったりがあって、せっかく捕まえた容疑者が無罪放免されてしまうことも多かった。それを防ぐため、警察内部においてエンカウンターが黙認されるようになって行った。システムの中からルールに従って手続きを進めても犯罪者を裁けないため、システムの中にいながらルールから外れた行為を実行することによって、システムが本来成すべき秩序を保つ仕事を成し遂げていると説明することができる。
「Class of ’83」は、まだムンバイーがボンベイと呼ばれていた1980年代、エンカウンターという手段が警察内部で徐々に認められて行く過渡期を時代背景にした映画だ。似たような主題の映画には、「Department」(2012年)や「Shootout at Wadala」があったが、「Class of ’83」に特徴的だったのは、警察学校の校長とその教え子たちがエンカウンターという手法を使ってボンベイからギャングを一掃しようとするストーリーであろう。
1980年代感を出すために、わざとオールドレンズのような映像効果を使っていた。1時間半ほどの短い映画であるためか、無駄を排した最小限のシーン構成で物語が進み、一気に結末まで持って行っていた。5人の主人公が全員個性的に描かれていたかと言うとそうでもないのだが、シュクラー、ヴァルデー、アスラムなど、短い中にそれぞれ活躍の場が与えられていた。
そしてボビー・デーオールがいつになく貫禄のある演技をしていたのに驚いた。どちらかというと軽めの役柄が多かったボビーは、筋肉派の兄サニー・デーオールとの比較の中で、敢えてそういう役柄を選んでいたのだろうが、意外に重みのある役もできる俳優であることが今回分かり、彼のキャリアにとって非常に重要な作品となったと感じた。
「Class of ’83」は、ヒンディー語映画界で数多く作られている警察vsギャングの映画のひとつである。フサイン・ザイディーの著作を原作とした映画、と言えば分かる人も多いだろう。短い映画ではあるが、スピーディーな展開や、ボビー・デーオールの意外な好演など、見所も多く、インドでエンカウンターが根付いて行く過程を垣間見ることができる。硬派で良質な作品である。