2010年代のヒンディー語映画のトレンドは女性中心映画の隆盛であった。女性を主人公に据え、女優が主演をし、女性向けの主題を取り上げた映画が多く作られ、ヒットするものもあった。かつては主演男優の添え物に過ぎなかった女優は、2010年代のこの変化を受けて、単身映画を背負って立つようにもなり、高いヒット率を誇る女優も登場した。ヴィディヤー・バーランとカンガナー・ラーナーウトがその代表だ。
2017年4月14日公開の「Begum Jaan」は、ヴィディヤー・バーラン主演の女性中心映画である。監督は、主にベンガル語映画界で活躍しているスリジト・ムカルジー。「Begum Jaan」は、彼自身が2015年に発表し高い評価を受けたベンガル語映画「Rajkahini」のリメイクである。
ヴィディヤー・バーランの他には、イーラー・アルン、ガウハル・カーン、パッラヴィー・シャールダー、プリヤンカー・セーティヤー、リディーマー・ティワーリー、フローラ・サーイニー、スミト・ニジャーワン、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、チャンキー・パーンデーイ、ラジト・カプール、ヴィヴェーク・ムシュラン、ラージェーシュ・シャルマーなどが出演している。また、ナスィールッディーン・シャーが特別出演している。
時は1947年。パンジャーブ州の片田舎に、女丈夫のベーガム・ジャーン(ヴィディヤー・バーラン)が経営する売春宿があった。ベーガムは地元のラージャー(ナスィールッディーン・シャー)の庇護を受けており、彼女を邪魔する者はいなかった。売春宿には、ルビーナー(ガウハル・カーン)、グラーボー(パッラヴィー・シャールダー)など、訳あって転がり込んで来た女性たちが住んでおり、身体を売って生活していた。 ところが、印パが分離独立することになり、国境線がベーガムの売春宿の上に引かれることになった。印パ両政府から役人が派遣され、ベーガムに宿を明け渡すように要求する。ベーガムはラージャーに助けを求める。ラージャーはデリーまで行って掛け合うが、独立によって王族が権力を失うことを知り、もはやベーガムを守れないと伝える。また、悪名高い殺し屋のカビール(チャンキー・パーンデーイ)がベーガムの売春宿の明け渡しに協力することになる。 ある晩、売春宿はカビールの攻撃を受ける。ベーガムたちは銃を取って応戦するが、多勢に無勢で、売春宿は燃やされてしまう。そしてベーガムらは火の中に身を投じ、焼死する。
「幼い頃は父親に頼り、結婚後は夫に頼り、夫の死後は息子に頼る」というのが女性の人生というのはインドでよく語られていたことである。つまりは女性の自立が認められていないということだ。そんな社会において、仕事を持つ女性は売春婦しかいない。ヒンディー語では、「仕事をする女性(धंधेवाली)」という言葉がそのまま「売春婦」を意味する。しかしながら、売春婦には自由があるとされることもある。男性に頼ることなく、自分で自分の身体の使い方を決め、自分で自分の人生を歩む自由。「Begum Jaan」には複数の女性たちが登場するが、主人公のベーガム・ジャーンをはじめ、ほぼ全ての女性が売春婦であるが、悲愴感はそれほどない。むしろ、それぞれの家庭などで苦しい目に遭って来た後にベーガムの売春宿に転がり込んできており、彼女たちは実家では得られなかった自由を謳歌しているのである。
そんな彼女たちの人生に大きな転機をもたらしたのが印パ分離独立であった。英領インドはインドとパーキスターンに分割され、パンジャーブ地方とベンガル地方が分断されることになった。そしてその国境線が、平野にポツンと建つベーガムの売春宿を通ることになったのである。
英国の支配から解放され、インド中の人々が自由と独立を祝う中、ベーガムたちは自分の家に住む自由を奪われ、立ち退きを要求されることになった。これはなにも彼女たちだけの身の上に起こったことではない。パンジャーブ地方とベンガル地方に住む多くの人々が移住を余儀なくされた。パーキスターン領となった地域に住むヒンドゥー教徒やスィク教徒はインド側に移動し、インド領となった地域に住むイスラーム教徒はパーキスターン側に移動することになった。
印パ分離独立時の動乱を描いた映画は「Train to Pakistan」(1998年)などいくつもあるが、「Begum Jaan」はその動乱そのものを描いた作品ではなかった。焦点はベーガムと彼女が経営する売春宿に集中している。家父長制度の強いインド社会において、男性に頼らず生き抜く女性たちを力強く描いている。とは言っても、ベーガムがそこまで権力を持つことになったのは、ラージャーの庇護があったからであり、結局は家父長制度や男尊女卑社会の枠組みの中にいることになっている。それは「Begum Jaan」の自家撞着とも言えるし、社会の複雑さの表現とも言える。
劇中では、インド史に残る強い女性たちのエピソードが、売春宿に住む老婆の口から語られる。ジャーンスィーのラーニー、ミーラーバーイー、ラズィヤー・スルターンなどである。共通するのは、勇敢であったり、巨大な抑圧に屈しなかったりした女性たちである。結末ではベーガムたちは火の中に身を投じるが、その死に方は、チットールの王女パドマーヴァティーを想起させた。そして案の定、最後にパドマーワティーのエピソードが語られた。これらの小話から映画のテーマがより明確になっていた。
ただ、ストーリーテーリングや編集などに多少の未熟さを感じた。各シーンが散漫に並べられていた印象で、観客を引きつけるグリップ力が弱かった。人物設定も雑で、複数いる女性たちの誰が誰だか分からなくなることがあった。原作のベンガル語映画は評価が高いようだが、果たしてヒンディー語映画になって劣化したのか、それとも原作に元々あった弱点なのか、疑問に感じた。
ヴィディヤー・バーランは既に演技派女優としての地位を確立しているので、彼女の演技について今更とやかく言うことはない。「Begum Jaan」では、売春宿の経営者を威圧感たっぷりに演じていた。
「Begum Jaan」は、1947年の印パ分離独立を時代背景にした女性中心の映画である。主演はヒンディー語映画界きっての「単身で稼げる女優」ヴィディヤー・バーラン。残念ながら興行的には失敗に終わった。確かにヴィディヤー主演の映画の中では質は低い。無理して観る必要はない映画である。