サルマーン・カーンが「Dabangg」(2010年)で演じた警察官チュルブル・パーンデーイは大人気となり、サルマーンの代名詞のひとつとなった。「Dabangg」シリーズも第3作まで作られている。それに続けとばかりに、今度はアジャイ・デーヴガンが「Singham」(2011年)で警察官バージーラーオ・スィンガムを演じ、やはり大人気となった。「Singham」シリーズは第2作まで作られている。変わったところではラーニー・ムカルジーが「Mardaani」(2014年)と「Mardaani 2」(2019年)で男性顔負けの女性警官を演じており、高い評価を受けている。インド映画では元々、警察官は人気の役柄で、多くの俳優が警察官を演じて来ているが、近年こういうトレンドが生まれると、他の俳優もより警察官を演じたくなるものかもしれない。
「Dabangg」、「Singham」に続き、今度はランヴィール・スィンが警察官を演じる「Simmba」が登場した。2018年12月28日公開のこの映画の監督は、「Singham」と同じローヒト・シェッティーである。ランヴィール・スィンの他には、サーラー・アリー・カーン、ソーヌー・スード、アーシュトーシュ・ラーナー、ヴァイデーヒー・パラシュラーミーなどが出演している。また、あっと驚くゲスト出演も多数用意されている。テルグ語映画「Temper」(2015年)のリメイクである。
お調子者の警察官サングラーム・バーレーラーオ、通称シンバ(ランヴィール・スィン)は、ゴア州のミラーマール警察署に配属となった。シンバは早速署の隣の食堂で働くシャグン(サーラー・アリー・カーン)を見初める。ミラーマール署の管轄地域は、ドゥルワー・ラーナーデー(ソーヌー・スード)というマフィアが牛耳っていた。シンバは幼い頃、ドゥルワーと会ったことがあった。シンバはドゥルワーに挨拶に行くが、幼少時のことは話さなかった。 ミラーマール警察署には、ニティヤーナンド(アーシュトーシュ・ラーナー)という実直な警察官がいた。ニティヤーナンドは、ドゥルワーと内通し、私腹を肥やすシンバを何度も諫めていたが、シンバは耳を貸そうとしなかった。逆に、ニティヤーナンドは、娘が通う大学に学費を支払えなくなっていたのを、シンバは違法に儲けた金で助けたことがあった。 シンバは、夜、子供たちに勉強を教える女子大生、アークルティ(ヴァイデーヒー・パラシュラーミー)と出会う。だが、アークルティは、子供たちに麻薬の運び屋をやらせているマフィアの隠れ家に乗り込み、そこで捕まってしまい、レイプされた上に死んでしまう。アークルティをレイプしたのは、ドゥルワーの2人の弟、ガウラヴとサダーシヴであった。 この事件をきっかけにシンバは改心し、ガウラヴとサダーシヴを逮捕する。だが、ドゥルワーが証拠を巧みに隠滅したため、裁判は不利に進んでいた。そこでシンバはエンカウンターに見せ掛けてガウラヴとサダーシヴを殺す。2人の弁護士がエンカウンターをフェイクだと訴えたため、中立の立場の警察官が調査のために派遣される。それは、バージーラーオ・スィンガム(アジャイ・デーヴガン)であった。 シンバはドゥルワーに捕まり、ピンチに陥るが、彼を救出に来たのがスィンガムであった。スィンガムとシンバはドゥルワーを打ちのめす。そして裁判では、ガウラヴとサダーシヴの有罪と、エンカウンターが本物であるとの判決が出される。
ローヒト・シェッティー監督は、ヒンディー語映画界ではもっとも娯楽に徹したアクション映画やコメディー映画を送り出して来た。その多くは大味な作りで、日本での公開に値するようなものではないのだが、インド人の好みにはガッチリと合うようで、高いヒット率を誇っている。僕も最初は彼の映画を認めていなかったが、映画という媒体が可能な限りの娯楽を詰め込む潔い姿勢に次第に根負けして行った。「Simmba」は、シェッティー監督の集大成のような作品だった。
まず、ゲストが豪華である。アジャイ・デーヴガン演じるバージーラーオ・スィンガムが特別出演し、重要な役回りを演じるのもそうなのだが、この映画の特別出演はそれだけに留まらない。まず、序盤に投入されるダンスシーン「Aankh Maarey」では、プロデューサーの一人であるカラン・ジョーハルが一瞬だけ特別出演する他、シェッティー監督の代表作「Golmaal」シリーズの主役4人を演じるアルシャド・ワールスィー、シュレーヤス・タルパデー、トゥシャール・カプール、クナール・ケームーまで登場し、踊りを踊る。また、映画の最後では、アクシャイ・クマール演じるヴィール・スーリヤヴァンシー警視副総監が現れ、続編の製作がほのめかされる。「Singham」、「Simmba」と来て、今度は「Sooryavanshi」と、警官映画が続くようである。
果たしてヴィール・スーリヤヴァンシーがどのような警察官かはまだ不明だが、「Dabangg」のチュルブル・パーンデーイ、「Singham」のバージーラーオ・スィンガム、そしてこの「Simmba」のシンバと、3人の警察官が揃ったことで、比較をすることが可能だ。この3名の中で、スィンガムだけは超が付くほどの実直な警察官であり、「Simmba」の中でアーシュトーシュ・ラーナーが演じたニティヤーナンドと近いキャラである。一方、チュルブルとシンバは汚職警官だが、色づけは少し異なった。チュルブルの方は、汚職しているものの、何だかんだ言って強きをくじき弱きを助ける、ロビンフッドのような警察官である。それに対しシンバは、序盤においては完全なる汚職警官で、金儲けのことしか考えておらず、マフィアとも軽々と手を組んでしまう。一瞬、何かの作戦でそういう行動を演じているのかと思ったが、途中で改心があったことを考えると、本気で汚職に手を染めていたと考える他ない。序盤は、地に墜ちた警官の悪行を見せつけられるので、あまり気持ちの良いものではなかった。
「Simmba」が特に力を入れて取り上げていたのはレイプ問題だった。2012年のデリー集団強姦事件で、インドのレイプ問題が世界で大々的に報道され、インドは「レイプ大国」の悪名を負うことになったが、それ以降も改善が見られないことが指摘されていた。しかも、容疑者が逮捕されても、インドの司法制度は彼らを適切に裁けていない現状も示唆されていた。そこで「Simmba」が提示する解決法は、警察官によるレイプ犯の抹殺である。インドの警察にはエンカウンターという文化がある。犯人を逮捕して司法の裁きを受けさせることなく、「正当防衛」の名の下に、現場で射殺してしまうのである。エンカウンターは、マフィアや武装勢力に対して執行されることが多いが、「Simmba」が提示していたのは、レイプ犯に対してもエンカウンターをすべきだというラディカルな主張である。そして、それは「女性たちの声」に後押しされているということになっていた。
ヒンディー語映画では、機能しなくなった「システム」を、内側から直すか、外側から直すかということが議論されて来た。「システム」とは、人間社会の在り方を決める諸々の事物で、政治、法律、司法、伝統、文化など、我々を取り巻くあらゆるもののことである。その「システム」を内側から直すとは、政治家、官僚、政治家などになって、決められたルールに従って直して行く道だ。一方、「システム」を外側から直すとは、ルールの外側に身を置いて物事を破壊して行く方法で、マフィア、スーパーヒーロー、超法規的な存在などが該当する。「Simmba」の立ち位置は完全に後者で、レイプを根絶するためには、時間の掛かる司法に解決を委ねるのではなく、スィンガムやシンバのようなルールに捕らわれない警官がエンカウンターを効果的に活用していくことが提唱されていた。
主演のランヴィール・スィンは、監督や脚本の要望に従って真摯に演技をしていたと思う。だが、終盤にアジャイ・デーヴガンとアクシャイ・クマールが登場することで、彼の存在が矮小化されてしまっており、少し可哀想だった。メインヒロイン扱いはサーラー・アリー・カーンであろうが、彼女に大きな出番はなく、むしろレイプされるアークルティを演じたヴァイデーヒー・パラシュラーミーの方が印象を残せていた。
基本的にヒンディー語映画ではあるが、マラーティー語の台詞率が高く、その特徴は「Singham」と共通していた。「Singham」シリーズの準続編扱いであるため、言語の共通性は正当化されるであろうが、いっそのこと別の地域を舞台にしても良かったのではないかと感じた。
中学生が考えたようなストーリーだったが、インドでは大ヒットした。「Simmba」そのものにヒンディー語映画の発展に寄与する何かがあったとは思えないが、ランヴィール・スィンに主演警官映画を与えた上に、「Singham」シリーズと、今後公開されるであろう「Sooryavanshi」をつなぐ役割を担っており、一定の意義を持った作品だと評することができる。