今日はPVRアヌパム4で、2004年1月30日公開の新作ヒンディー語映画「Paap(罪)」を観た。監督は「Jism」(2003年)の女性監督プージャー・バット。キャストはジョン・アブラハム、ウディター・ゴースワーミー(新人)、グルシャン・グローヴァー、モーハン・アーガーシェー、デンズィル・スミスなど。
ヒマーチャル・プラデーシュ州スピティーの、ある静かなチベット仏教僧院では、デリーに住む、リンポチェ(宗教指導者)の転生した姿である男の子を連れて来ることになった。その役目を、僧院の麓に住む家族の娘カーヤー(ウディター・ゴースワミー)が担うことになった。カーヤーは物心ついたときから山奥で育ち、生まれて初めてデリーを訪れた。カーヤーはリンポチェの生まれ変わりである、ラーモーという6歳の男の子と出会い、彼と共にデリーのホテルに宿泊する。そこでラーモーはある殺人事件の唯一の目撃者となる。警察官シヴァン(ジョン・アブラハム)はラーモーとカーヤーを事件の目撃者ということで、デリーに強制的に滞在させる。ラーモーは犯人の特定に協力させられるが、なかなか犯人は見つからない。そのときラーモーが偶然見たTVに、ラージ・メヘター警視監(グルシャン・グローヴァー)が映っていた。ラーモーはTVに向けて指を刺す。何と上司が殺人事件の犯人だったのだ。 シヴァンは別の上司にそのことを打ち明けるが、実は彼もラージ・メヘターの一味だった。シヴァン、カーヤー、ラーモーは警察に命を狙われることになった。シヴァンは二人をスピティーまで連れて逃げるが、その途中で腹に銃弾を受け、カーヤーの村に着いたときには瀕死の状態になってしまっていた。カーヤーの父はシヴァンの存在を鬱陶しがるが、しぶしぶ家で治療させることにした。シヴァンはカーヤーの献身的な看病のおかげで回復する。 カーヤーはもうすぐ出家して僧院へ入る運命にあった。カーヤーはそれを好ましく思っておらず、詩を書いては日々夢想の中に暮らしているような女の子だった。シヴァンとカーヤーは次第に惹かれあうようになるが、状況はそれを許さなかった。カーヤーの父はシヴァンから娘を守り、シヴァンに冷たく当たっていた。一度シヴァンはカーヤーに愛を告白し、父をとるか自分をとるか選択を迫るが、デリーにいた親友がラージらに殺されたことを知り、カーヤーを後にしてデリーへ復讐へ向かうことを決意する。シヴァンはカーヤーに「やはり僕たちの住む世界は違ったみたいだ」と言って決別を言い渡す。 しかしラージ・メヘターらにもシヴァンの居所が知れてしまう。彼ら汚職警官3人組はカーヤーの村を襲撃するが、シヴァンは彼らを一人一人始末する。 シヴァンが村を去る日が来た。シヴァンはカーヤーに別れを告げることなく、村を後にする。しかし、シヴァンを嫌っていた父親は娘に、「愛を捨てて生きることが一番悲しいことだと悟った」と言い、シヴァンと一緒になることを暗に許す。カーヤーはシヴァンの後を必死で追い、ヒマーラヤの山々に囲まれた平地の中で抱き合う。
インドの中のチベット世界というと、ジャンムー&カシュミール州のラダック地方や、スィッキム州あたりが有名だが、ヒマーチャル・プラデーシュ州東部にもチベット世界がある。スピティーやラーハウルと呼ばれる地域である。「Paap」は、スピティーを舞台にした、しかも当地でロケが行われた、インド映画にしては珍しい雰囲気の映画だった。プージャー・バットのプロダクションは以前にもゴアを舞台とした「Sur: The Melody of Life」(2002年)や、ポンディチェリーを舞台とした「Jism」(2003年)など、インド国内ロケでありながら、まるで外国ロケのような雰囲気の映画を作ってきた。ゴア、ポンディチェリーと来て、次にチベット文化地域へ目が向くのは自然の成り行きだったかもしれない。
2時間ほどの映画で、インド映画にしては短く、ストーリーもそれほど複雑ではなかったため、さらりと見れる映画だった。やはりスピティーの荒涼とした山岳地帯の風景が映画を独特なものとしており、それだけでインド人観客の感動の溜息を誘っていた。主人公の女の子カーヤーは、必要以上に恥じらいのある女の子で、男に手を触れただけで「罪」と感じるような子だった。それでいながら、カーヤーの妄想はすさまじく、シヴァンに激しくキスされるようなことを思い浮かべたりしているからアンバランスだった。はっきり言って、かなりエロい映画であった。
カーヤーを演じたウディター・ゴースワーミーは、チベット人とインド人のハーフみたいな顔をしており、この映画に適した顔をしていた。元々モデルのようで、この映画が女優デビュー作となる。しかし、彼女の登場シーンはすごい。いきなり下着姿で湖を泳ぎ出すのだ。女性が監督をしているくせに、なぜか無意味にエロいシーンが入っているのが不思議だった。顔が一般的なインド人顔ではないため、普通のインド映画に主演女優として出演するのは少し難しいかもしれない。
ジョン・アブラハムは、どの映画でも同じような演技をする男優だということがだんだん分かってきた。彼の映画は「Jism」と「Aetbaar」(2004年)を見たが、どちらも同じような演技だった。常にオーバーアクション気味で、必ず汗びっしょりで目を充血させながらしわがれた声でしゃべり、やたらと脱いで筋肉を見せびらかそうとする。役を演じるというより、自分自身を演じるタイプの、シャールク・カーンみたいな男優になっていくだろう。
「Paap」の音楽はいい出来栄えで、サントラCDは現在売上トップである。音楽監督はアヌ・マリク。アヌラーダー・パウドワールの歌う「Intezaar」、ヌスラト・ファテー・アリー・カーンの孫ラーハト・ファテー・アリー・カーンが歌う「Mann Ki Lagan」、パーキスターンのポップグループ、ジュヌーンのメンバー、アリー・アズマトの歌う「Garaj Baras」の3曲が素晴らしい。プージャー・バットがプロデュースする映画の音楽は、「Sur」にしろ「Jism」にしろ、なぜかヒットになる傾向にある。
「Paap」はカラーチーのカラ映画祭で上映された最初のインド映画となったという。「罪」という題名から、もっとすごい罪を思い浮かべていたのだが、それほど罪深い行為が描かれていなかった。まあまあの映画であった。
一点。この映画にはチベット僧たちが多数エキストラ出演しているのだが、彼らの顔がスクリーンに映し出されると、なぜか観客から笑いが漏れた。チベット人のようなモンゴロイド系の顔がインド映画に出てくることに対する、軽蔑的な笑いのような雰囲気で、同じモンゴロイドとして、少し気に障った。