今日はチャーナキャーに、2003年11月21日公開の新作映画「Out Of Control」を観に行った。題名は英語だが、基本的にヒンディー語映画である。
プロデューサーは「Cooli No.1」(1995年)や「Mujhe Kucch Kehna Hai」(2001年)のヴァーシュ・バグナーニー。監督はラマンジート・ジューネージャーとアプールヴァ・アーシュラーニー。キャストはリテーシュ・デーシュムク、ブレンダ・ロドリック、アムリーシュ・プリー、リシター・バット、サティーシュ・カウシク、サティーシュ・シャーなど。主役のリテーシュ・デーシュムクは、マハーラーシュトラ州のヴィラースラーオ・デーシュムク前州首相の息子で、「Tujhe Meri Kasam」(2002年)でデビューした。映画のヒロイン、ブレンダ・ロドリックはプレイボーイ誌などのグラビアアイドルのようだ。
パンジャーブ州からニューヨークへ一獲千金を夢見てやって来た若者ジャスヴィンダル(リテーシュ・デーシュムク)は、新聞配達、タクシードライバー、ガソリンスタンド店員などの仕事をしながら地道に生活をしていた。親友のマンゴー(サティーシュ・カウシク)に連れられてたまたま入ったナイトクラブで、ジャスヴィンダルはサリー(ブレンダ・ロドリック)という白人女性と知り合いになる。サリーはヒンディー語映画ファンで、ヒンディー語をしゃべることができた。ジャスヴィンダルとサリーは一気に仲良くなり、恋人関係になる。 ところが、ジャスヴィンダルのヴィザが切れてしまい、移民手続きも認められず、インドへ帰らないといけなくなった。それをサリーに打ち明けると、サリーは「私と結婚しましょう」と言う。こうしてジャスヴィンダルとサリーは結婚し、彼はアメリカに移民することができた。 ある日突然、ジャスヴィンダルの元に故郷から電話があり、父親が重病だと告げられる。ジャスヴィンダルは急遽パンジャーブ州へ帰ることになる。 だが、父親ジャッター・スィン・ベーディー(アムリーシュ・プリー)の病気は、ジャスヴィンダルを呼び戻すための仮病だった。田舎に戻ったジャスヴィンダルは妹と共に強制的に結婚させられてしまう。ジャスヴィンダルは妹の結婚式が関係していたこともあり、サリーのことを父親に言い出せなかった。結婚式後、彼は新妻のリチャー(リシター・バット)を残して一人ニューヨークへ戻る。 ジャスヴィンダルはサリーにもそのことを言い出せず、悶々とした日々を過ごす。そこへ突然、ジャッター・スィンとリチャーがニューヨークへやって来た。ジャスヴィンダルは、サリーとリチャーを引き合わせないようにして何とかやり過ごしていたが限界があった。遂にサリーとリチャーの共通の知り合いでオカマのフラワー(サティーシュ・シャー)によって事実が明らかになってしまう。サリーは激怒し、ジャスヴィンダルを訴える。リチャーも失望してインドへ帰る。 ジャスヴィンダルは二重結婚と、永住権獲得のための詐欺結婚の2つの罪で起訴された。しかし、サリーは、彼のことが心配で戻ってきたリチャーを見て訴えを取り下げる。
見るだけで全身が気だるくなるような駄作。「Out of Question(問題外)」だ。グラビアアイドルのブレンダ・ロドリックの刺激的な肢体がなかったら、全く何の取り得もない映画で終わっていただろう。
前半は特に退屈。アメリカンドリームを夢見てパンジャーブ州の片田舎から単身ニューヨークへやって来たインド人の若者ジャスヴィンダル(アメリカではジミーと名乗っている)。新聞配達、タクシードライバー、ガソリンスタンド店員などをやっている様は非常に現実的だった。しかし、そんなうだつの上がらない出稼ぎインド人が、どうやって白人の女性と恋仲になり、挙句の果てに結婚できてしまうのだ?しかもその女性がヒンディー語映画ファンで、ヒンディー語がしゃべれて、おまけにプレイボーイ誌を飾るような美しくセクシーな女性なんてことは、天地がひっくり返っても絶対にありえない。・・・絶対に、と言うのは言いすぎだとしても、この映画のような事態が発生する確率は天文学的に少ない確率だろう。インド人の荒唐無稽な誇大妄想映画と言わざるを得ない。単純思考のインド人がこの映画を観たら、間違った夢や希望を植えつけられてしまう恐れがある。
インターミッションを挟み、後半になると少しは面白くなる。故郷でリチャーと結婚してしまったジャスヴィンダル。ニューヨークへ戻ったものの、以前のように落ち着いて仕事ができない。そこへ父親とリチャーが突然訪問して来る。リチャーにはサリーを隠し、サリーにはリチャーを隠して、なんとかばれないようにあたふたする様は、あまりに陳腐なコメディーだが、それでもいくつか笑えるシーンがある。
最後は裁判になるのだが、あまりに呆気ない解決のされ方で呆気にとられる。アメリカの裁判でこんな簡単に決着が付くとは思えない。最初から最後まで浮世離れした内容の映画だった。
映画中、ひとつだけ気になるセリフがあった。ナイトクラブで際どい格好をして歌を歌うサリー。それをかぶりつき席で見ていた下品なアメリカ人の酔っ払いが、サリーに絡み出した。それを見たジャスヴィンダルは、「少なくとも自分の国の女には尊敬を払え!」と言ってそのアメリカ人に殴りかかる。このセリフ、この発想、あまり日本にはないような気がする。日本人男性は日本人女性に対して、他国の女性に比べて多くの尊敬と気遣いをしているかと言われれば、全くそんなことはないし、そういう発想すらないだろう。インド人にとってまず重要なのは同族の女性で、それ以外の女性にはとりあえず何をしてもいいということだろうか。何となく騎馬民族っぽい考えに思えた。そういえば、インドでは女性の露出度などに対する規制がインド人と外国人では違う。この映画でも多くの白人が際どい格好をして踊っていたが、同じことをインド人女性がやったら検閲で引っかかるのは必至だろう(パンチラシーンもあったような・・・)。また、テレビでもハリウッド映画などの白人同士のキスシーンはほとんど垂れ流し状態だが、インド人同士のキスシーンにはまだまだ規制が強い。アダルトビデオでも、白人モノは割と規制が甘く、簡単に手に入るが、インド人モノは厳しく規制されており、あまり流通していない。これも自国の女性の尊厳を保護し、彼女たちに尊敬を払っているということだろうか。
この映画はブレンダ・ロドリックを楽しむ以外の目的で鑑賞する価値が全くない。けっこう拡大公開されており、インドではエロい映画が思わぬヒットを飛ばすことがあるため、この映画もロングランする可能性がないでもないが、僕にとってはこの映画は時間と金の無駄に過ぎなかった。