Reporting Live

3.0
Reporting Live
「Reporting Live」

 2026年10月9日にNetflixで配信開始された「Reporting Live」は、河川や海で砂の違法採掘を行うサンドマフィアが引き起こす人災、行政と企業の癒着と汚職、そしてジャーナリズムの劣化を告発する硬派なドラマ映画である。実話にもとづくストーリーとされるが、特定の人物や事件を映画化したものではない。日本語字幕付きで配信されており、邦題は「ニュースリポーター」になっている。

 監督はドゥルヴ・トリパーティー。ロンドン映画学校卒で、短編映画の監督の経験はあるが、長編映画の監督は初である。

 主演は「Kesari」(2019年/邦題:KESARI ケサリ 21人の勇者たち)などに出演のパリニーティ・チョープラー。2023年の結婚や2025年の出産の影響か、近年は出演が少なく、本作は久々の主演映画となった。

 他に、デーヴェーン・ボージャーニー、アモール・パーレーカル、シェーカル・スマン、アーディル・フサイン、ナーサル、シャーシュワタ・チャタルジー、ピトーバーシュ・トリパーティー、サミール・コーチャルなどが出演している。

 ムンバイーのニュースチャンネル「アーザード・バーラティー」に務めるレポーターのサンディヤー・ヤーダヴ(パリニーティ・チョープラー)と映像ジャーナリストのヴィノード・シャルマー(デーヴェーン・ボージャーニー)は名コンビで、特ダネを求めてムンバイー中を駆け巡っていた。最近も、漁師を集落から追い出してショッピングモールを建てようとしている大手開発企業ゴールデンスカイ社に対する抗議活動の取材をした。

 ムンバイー郊外のヴィサルガーオン村で橋が崩落しスクールバスが川に落下して多くの子供が亡くなる事件が発生し、サンディヤーとヴィノードは現場に取材に向かう。村人たちは日食のせいだと口をそろえるが、シヴ(アモール・パーレーカル)という老人とその弟子マンゲーシュ(ピトーバーシュ・トリパーティー)は、サンドマフィアによる川底の砂の違法採掘が橋梁落下の原因だと主張する。シヴは二人を違法採掘現場に連れて行って見せる。サンディヤーとシヴはサンドマフィアの手先から脅しを受けるもののオフィスに映像を持ち帰り、ニュースで報道してもらう。上司のシャーム(シェーカル・スマン)やヴィドゥル(アーディル・フサイン)は二人の成果を褒め称える。このスクープによりアーザード・バーラティーの視聴率はうなぎ登りになり、関係者が逮捕される。

 ところが、シヴは殺され、ヴィサルガーオン村での違法採掘はすぐに再開し、シャームは会社理事から圧力を受けるようになった。シャームは会社を守るため、サンディヤーとヴィノードにヴィサルガーオンやサンドマフィアの取材を禁止する。それでもヴィドゥルはジャーナリズムを信奉しており、二人に勤務時間外での取材を許可する。サンディヤーとヴィノードは取材を続け、違法採掘された砂が最終的にゴールデンスカイ社に届けられていることを突き止める。アーザード・バーラティーでの報道はできなかったため、ネットニュースをしているラーケーシュに報じてもらう。

 サンディヤーは以前、ヴィサルガーオン村でゴールデンスカイ社のヴェールラージ社長(ナーサル)と会ったことがあった。サンディヤーとヴィノードはヴェールラージ社長に呼び出され脅しを受ける。それでも引き下がらないでいたら、二人は会社をクビになり、ヴィノードの娘イーラーが一時的に誘拐され、サンディヤーの飼い犬ゾーイーが殺されてしまった。ヴィノードは怖じ気づき、サンディヤーとケンカ別れしてしまう。一人になったサンディヤーはゴールデンスカイ社を相手に訴訟を起こした人々を訪ね歩くが協力を拒否される。最終的にサンディヤーはヴィノードと仲直りし、少し前にアーザード・バーラティーを退職したベテランジャーナリストのJD(シャーシュワタ・チャタルジー)を一緒に訪ねる。JDもゴールデンスカイ社の悪事に踏み込んで辞職させられたのだった。JDは二人を市局の役人ショーバー・デーシュムクに引き合わせ、デーシュムクはゴールデンスカイ社を攻めるポイントを教える。

 サンディヤー、ヴィノード、マンゲーシュは環境局のオフィスに潜入し、ゴールデンスカイ社が採掘許可申請のために提出した書類を確認する。そこで環境調査が未実施のまま許可が出されていた不正を見つける。彼らは報告書を作成し、ヴィドゥルを通じてシャームに提出する。ところがサンディヤーはシャームがヴェールラージ社長と懇意であることに気付く。ヴィドゥルはすぐにこのスクープを報道することを独断で決め、チャンネルの主任アナウンサーであるカールティク(サミール・コーチャル)を追い払ってサンディヤーにスクープを報道させる。ニュースは瞬く間に広まり、ヴェールラージ社長は窮地に立たされる。

 この日、イーラーは学校の発表会で歌を歌うことになっており、サンディヤーとヴィノードは招待されていた。二人は学校に向かうが、その途中でトラックにひき殺される。

 とても真摯に作られた映画だと感じた。サンドマフィアの活動がよく調査され、それが都市部の人々にどう関係し、農村部の人々にどんな影響を与えているのか、その仕組みが丁寧に説明されていた。また、ジャーナリズムが商業主義化することで汚職や不正が野放しになる現状にもメスが入れられていた。ただ、きれいにまとまりすぎているような印象を受けた。そして悲しいエンディングにしたことにも疑問を感じた。

 「Reporting Live」で主人公サンディヤーが集中的に取材を進めることになるのがサンドマフィアの活動である。なぜ砂の違法採掘がそれほど問題になるのか。人身売買や武器・麻薬の密輸に比べるととても地味だ。だが、コンクリートの7割は砂でできており、砂がなければ都市は成立しない。また、川底から砂を採掘することで地盤が緩み、橋が落下したり、河川の流域が変化して農業に打撃を与えたりする。さらに、違法に安価な砂を入手するならず者企業は公共事業の入札で圧倒的に有利になり、他の優良企業を駆逐してしまう。巨万の富を蓄えたならず者企業は官僚や警察を買収し、さらに支配権を確固たるものとする。サンドマフィアの暗躍はインド社会に汚職と不正を蔓延させる原動力になっているのである。

 サンドマフィアの違法採掘を止めるために戦っていた活動家がシヴァだった。だが、村の中でも彼はほとんど支持を得られておらず、逆に暴行を受ける始末だった。それでもシヴァは諦めず、サンドマフィアに声を上げ続けていた。サンドマフィアの被害に遭っている当の本人たちから支援が得られない以上、彼らを止められるのはもはやジャーナリズムしかなかった。サンディヤーは特ダネ欲しさ半分、不正に対する義憤半分でこの問題について取材を始める。彼女を娘のようにかわいがってくれたシヴァがサンドマフィアに殺されたことで、この問題は彼女にとって個人的な戦いに変化する。

 ただ、サンディヤーはサンドマフィアやそのバックにいるゴールデンスカイ社のヴェールラージ社長との戦いと同時に、勤務先のアーザード・バーラティー経営陣とも戦わなくてはならなかった。シャーム社長は、サンドマフィアの報道までは協力してくれたが、ゴールデンスカイ社の名前が出ると途端に抑制してくるようになる。なぜならシャーム社長はヴェールラージ社長と通じていたからだ。だが、サンディヤーは権力の監視者たるジャーナリストの責務を重んじ、諦めずに取材を続ける。彼女にとって幸いだったのは、直接の上司であるヴィドゥルが誇り高いジャーナリストだったことだ。彼はサンディヤーの陰ながら支える。

 主人公が人間関係にとても恵まれた映画だと感じた。まず、サンディヤーにはヴィノードという良き相棒がいた。しかも、ヴィノードの妻プージャーにも理解力があった。普通、若い女性の同僚が夫と常に行動を共にしていると警戒するものだと思うが、プージャーはサンディヤーを妹扱いし、彼女を完全に信頼して、ヴィノードを任せていた。そしてヴィドゥルという偉大な上司の存在があった。人間関係のドロドロした部分が中和されていて、主題に忠実だったものの、きれいすぎる印象も受けた。

 また、サンディヤーは果敢に違法採掘現場に潜入していく。マフィアに脅されたり、飼い犬を殺されたりと、彼女は危険にもさらされるのだが、彼女の身に極端な危害が加わることはない。そのおかげで安心して観ていられるのだが、逆に緊張感を損なっていた。また、全体的な流れから勝手に主人公にいわゆる「プロットアーマー」を感じることになるため、サンディヤーとヴィノードが殺されてしまう結末には必要以上にショックを受けざるをえない。

 久々の主演作となったパリニーティ・チョープラーは、少し顔がふっくらとした。デビュー当時は童顔すぎてシリアスな演技には向かなかったが、年を取り落ち着きが出たことで、今回のような役も違和感なく演じることができるようになったと感じる。

 ただ、「Reporting Live」でもっとも株を上げたのはヴィノード役を演じたデーヴェーン・ボージャーニーではなかろうか。ふくよかでコミカルな風貌をしているためにどうしても脇役が多くなるが、今回は脇役ながら出番が多く、パリニーティと肩を並べる存在感を見せていた。さらに、ベテラン俳優のアーディル・フサインも理解ある上司ヴィドゥル役でおいしいところを持って行っていた。

 「Reporting Live」は、女性レポーターがサンドマフィアの暗躍や大企業の不正を暴こうと奮闘する硬派な物語である。砂の違法採掘が社会に与える影響についてよく調査されていて参考になるが、緊張感に欠けること、そして結末がそれまでの比較的平和な雰囲気をぶち壊しにすることが中だるみと後味の悪さを生んでしまっている。観て損をすることはないが、突出したものがないという感想は避けられないだろう。