
「Tottaa Pataaka Item Maal」は、2019年6月27日からNetflixで配信開始された作品である。題名は全て女性の隠語である。「Tottaa」とはヒンディー語の「तोता」のことで、「オウム」の意。そのカラフルな外観や千鳥足の歩き方が、特に性的に魅力のある女性のメタファーになっている。その発音は、ハリヤーンヴィー方言的な訛りをしている。「Pataaka」とはヒンディー語の「पटाका」のことで、「爆竹」の意。転じて、やはり若く美しい女性を意味することが多い。「Item」は英語であり、「Maal」はヒンディー語の「माल」、どちらも同じ意味で、本来は「物品」などを意味するが、セクシーな女性の同義語として一般に流通している。「アイテムガール」の「アイテム」である。
監督は「Tikli and Laxmi Bomb」(2017年)のアーディティヤ・クリパラーニー。前作はムンバイーが舞台だったが、本作ではデリーになっている。プネー生まれの彼はデリーとそれほど縁がないはずだが、わざわざデリーを舞台に選んだのは、映画の主題と関係があるだろう。「Tottaa Pataaka Item Maal」は、女性の安全問題を取り上げている。2012年のデリー集団強姦事件以来、ヒンディー語映画界ではレイプやアシッドアタックなどをテーマにしたいくつもの映画が作られてきた。「Tottaa Pataaka Item Maal」はその延長線上に位置づけることができる。また、この事件におかげでデリーは強姦と切っても切れない関係にある都市として定着してしまった。
ただ、奇才クリパラーニー監督のこと、その取り上げ方は尋常ではない。男性を集団強姦して女性の恐怖を味わわせるというラディカルなものだ。
キャストは、シャーリニー・ヴァトサー、チトラーンガダー・サタルーパー、ソーナール・ジョーシー、クリティカー・パーンデー、ヴィナイ・シャルマー、アハマリーン・アンジュムなどである。
舞台はデリーおよびグルグラーム。シャーイラー・カーン(クリティカー・パーンデー)は女性専用タクシー会社の若き経営者だった。彼女の運転するタクシーに、ソーシャルメディア専門家ヴィバー・シャルマー、空手講師チトラー(チトラーンガダー・サタルーパー)、そして警察官シャグン・ナルワル(ソーナール・ジョーシー)が相乗りした。タクシーは渋滞にはまり、四人は会話を始める。
シャグンは、暴力的な父親から逃げてきた女性が警察署の中で殺される現場を目撃し、それをトラウマとして抱えていた。ヴィバーは、姪のスルマイー(アハマリーン・アンジュム)を集団強姦およびそれを苦にした自殺で失っていた。チトラーは悪漢に立ち向かうために空手の訓練に打ち込んでおり、2度は撃退したが、3度目には4人組の男に囲まれレイプされた過去を持っていた。
四人は、途中で彼女たちに卑猥な言葉を投げ掛けてきたマヘーンドラ・プラタープ・チャウハーン(ヴィナイ・シャルマー)を気絶され、使われていない印刷所に幽閉する。彼女たちは、男性に世の女性の恐怖を味わわせるため、マヘーンドラを身体的にも精神的にも痛めつけ、集団強姦することにする。シャーイラーだけは乗り気ではなかったが、ヴィバー、チトラー、シャグンは喜々としてマヘーンドラを痛めつける。
手錠を掛けられ自由を奪われていたものの、当初マヘーンドラは彼女たちに威勢良く罵声を浴びせかけていた。だが、料理や掃除をさせられ、女性用下着を着せられ体毛を剃られ、調教されていく内に大人しくなっていく。その様子をヴィバーは録画し続けていた。
1週間後、マヘーンドラは解放される。ヴィバーは動画を編集しYouTubeにアップロードする。動画はすぐに公開停止になったが、世間を大いに騒がせた。その後、マヘーンドラは自殺し、遺体で発見された。
4人の主人公、シャグン、ヴィバー、チトラー、シャーイラーは、女性専用タクシーの中で出会う。シャーイラーは運転手であり、他の3人は乗客だった。渋滞の影響もあり彼女たちの間で会話に花が咲き、いつしか「女性は午後8時になるとそわそわし始める」というような愚痴が聞かれるようになる。辺りが暗くなると、女性は安心して外出できなくなる。インドの女性たちはこの恐怖を共有しているという。つまり、彼女たちは常にレイプに怯えて暮らしているのである。
この恐怖を男性にも味わわせてやりたい。それが「Totta Pataaka Item Maal」のストーリーの原動力になっている。四人は、たまたま冷やかしてきた男性マヘーンドラを捕まえ、拘束し、監禁し、そして調教を始める。当初、マヘーンドラは女性の存在意義を「料理を作り、子供を生む、セックスの道具」と決め付けていた。絵に描いたような女性差別主義者である。四人は彼に身体的・精神的な苦痛を与え続け、男性も集団強姦されることを思い知らせようとする。
まずは数日間、棚に閉じこめられていたマヘーンドラは、その中で糞尿を垂れ流し、痛めつけられる。棚から出されると、彼はスカートをはかせられ、掃除や料理などの家事をさせられる。体毛の濃かったマヘーンドラは髭や体毛を剃るようにもいわれ、ツルツルになる。体格が大きいマヘーンドラが本気を出せば4人の女性たちなどすぐに屈服させられそうではあったが、両手が手錠で拘束されていたことと、多勢に無勢ということで、大人しく言うことを聞いていた。一度は隙を見てチトラーと一対一になるが、空手の黒帯であるチトラーにねじ伏せられる。
1週間の調教が終わり、だいぶ従順になったマヘーンドラは、最後に全裸にされて肛門に棒を突っ込まれそうになる寸前までをしっかり録画され、解放される。その後、マヘーンドラは自殺してしまう。
マヘーンドラの自殺のニュースをもっともしみじみと眺めていたのはヴィバーだった。ヴィバーの姪スルマイーは、暴漢たちに集団強姦され、それを苦に自殺した。マヘーンドラの自殺は、スルマイーの自殺とよく似ていた。ただ、たまたま彼女たちを冷やかしてきた男性を捕まえて痛めつけ自殺に追い込むことに良心の呵責はないのかとも感じた。最後、ヴィバーはトイレに座り、泣き出す。その涙は決して後悔ではなく、スルマイーの仇を取った満足感から溢れ出た涙だと解釈できる。全くマヘーンドラに同情しておらず、監督の視点は常に女性側に付いている。
一人の男性観客として、4人の女性が寄ってたかって1人の男性をいたぶるこのストーリーをどう受け止めたらいいのか、迷うところでもある。だが、不思議と不快感は感じなかった。むしろ、女性側に立って彼女たちの行為を観察していた実感があった。
女性が集団で男性をいたぶるという異常シチュエーション先行型の映画だったが、それでも俳優たちの迫真の演技がなければここまでの完成度には達しなかっただろう。4人の女性が主人公だが、その中にスター女優は一人もいない。演技一本で勝負している女優たちばかりである。特にチトラーンガダー・サタルーパーはスキンヘッドで臨み、女優魂を見せている。
「Tottaa Pataaka Item Maal」は、デリー集団強姦事件を受け、世間で女性の安全問題が喫緊の課題として認識されるようになった2010年代の風潮をよく捉えた作品である。ただ、奇才クリパラーニー監督らしく、女性が集団で男性をいたぶるシチュエーションを淡々と映し出すという驚きの発想でその主題を具現化した。日頃から男性が大手を振っている社会に不満を抱いている女性たちが観たら胸のすく思いがするだろうが、意外に男性も主人公側に感情移入して観ることができる。必見の映画である。
