Babita Singh Reporting

3.0
Babita Singh Reporting
「Babita Singh Reporting」

 2026年8月28日からAmazon Primeで配信開始された「Babita Singh Reporting」は、幼馴染みの死を巡る女性警察官の個人的奮闘を描いた犯罪スリラー映画である。

 監督はアンビカー・パンディト。過去に短編映画がウェブドラマのエピソード監督を務めたことはあるが、長編映画の監督は初である。主演は、マラヤーラム語映画「The Great Indian Kitchen」(2021年/邦題:グレート・インディアン・キッチン)のニミシャー・サジャーヤン。

 他に、アンシュマン・プシュカル、バルン・ソーブティー、ラージェーシュ・クマール、ギーティカー・ヴィディヤー・オーリヤーン、ナワル・シュクラー、スミター・ラージワール、プリヤー・ヤーダヴ、クルディープ・サリーン、プリヤンカー・セーティヤー、ラジャト・ダヒヤー、ニティン・ゴーエルなどが出演している。

 バビーター・スィン(ニミシャー・サジャーヤン)は、ボーパールの警察署に勤める警部補だった。上司のセーティー警部補(ラージェーシュ・クマール)から情報漏洩の罪をかぶるように頼まれる。ちょうど、妹グッディー(プリヤー・ヤーダヴ)のゴードバラーイー(ベビーシャワーに似た儀式)に出席するために休暇が欲しかったバビーター警部補は、それを受けてしまう。バビーターは2週間の停職となり、夫のシャラド(アヌシュマン・プシュカル)と共に故郷リーワーに帰る。

 リーワー駅に着いた途端、幼馴染みのバンスィー・サイニー(バルン・ソーブティー)に迎えられる。バンスィーは芸術家であり、ダシャハラー祭のときに燃やすラーヴァナ像を作る職人であった。バビーターはバンスィーと近く会う約束をして別れる。翌朝、バビーターはバンスィーが殺されたことを知る。警察は容疑者も逮捕していた。バビーターはバンスィーの葬儀へ行き、彼の遺体を見て、真犯人は別にいると直感する。

 バビーターはゴードバラーイーの準備を手伝いながら、バンスィー殺人の真犯人を独自に探す。容疑者の青年はバビーターを強盗しようとしただけで殺してはいないと言い、それは嘘ではなさそうだった。バンスィーがここ最近ふさぎ込んでいたのを知ったバビーターは、彼の弟マンガル(ニティン・ゴーエル)に会いに行く。どうやらバンスィーの妻ルーパー(プリヤンカー・セーティヤー)とマンガルの間で、先祖代々の家を巡って争いが起きていたようだった。マンガルは酒屋のオーナーであり、飲んだくれだった。

 バビーターはまた、旧友のアルチャナーと会う。アルチャナーは学生時代にバンスィーの片思いの相手だった。バンスィーが殺された日、アルチャナーはバンスィーに会ったという。アルチャナーは持参金の不足を夫からいびられており、そのときバンスィーは彼女に密かに金を渡したのだった。だが、その後の足取りは分からなかった。アルチャナーの夫バールドワージ(ラジャト・ダヒヤー)は暴力的な警官であり、家庭内暴力も行っていた。バビーターはアルチャナーから、バンスィーが殺された日、家の前に赤い自動車がとまっていたという情報を得る。

 ゴードバラーイーの日、バビーターは家の駐車場に赤い自動車を見つけ、それが親戚の一人であることを知る。彼はダシャハラー祭の主催者であり、バンスィーにラーヴァナ像の製作を依頼していた張本人だった。バビーターは彼の運転手がバンスィーの死に関与していると気付き、彼を追う。だが、彼はマンガルから命令されてバンスィーから金を盗もうとしていただけだった。バビーターは酒屋までマンガルに会いに行くが、彼もバンスィーの死にショックを受けていた一人であり、真犯人ではなさそうだった。

 バビーターは、ルーパーがバンスィーを殺したのではないかと疑う。隣家の監視カメラの映像を無理やり入手し見てみると、ルーパーが娘のベーラーに火を付けようとしている様子が映っていた。バビーターはルーパーに詰め寄るが、彼女も真犯人ではないようだった。あまりに真犯人探しにのめり込んでいたため、シャラドや家族は彼女に手を焼くようになる。バビーターは自動車をぶつけて入院し、グッディーは出産した。

 ダシャハラー祭の日、広場へ行ったバビーターは、ラーヴァナ像に秘密が隠されていると感じ、その上まで上る。そこで彼女は、バンスィーが飛び降り自殺をした姿を幻視する。バンスィーの死は殺人ではなく、ルーパーとマンガルの争いを苦にした自殺だった。また、バビーターの携帯電話に病院から電話があり、検査の結果、彼女の妊娠が伝えられる。

 ボーパールに戻ったバビーターは復職し、セーティー警部補の不正を告発する。

 主人公のバビーターを演じたニミシャー・サジャーヤンは、決して美人ではない。肌の色も黒いし、太っている。ヒンディー語映画でありがちな、美人でセクシーな女性警察官とは程遠い。バビーターは、父親が殺人事件に巻き込まれて死んだ代償に警察官に採用された特別枠の人間であり、他の警察官との間にも溝があった。どうやら警察官になる前は教師をしていたようだった。ヒンディー語映画の女性警察官としても、実際の警察の中でも、異色の存在といえるかもしれない。だが、その一般人的な風貌は、「Babita Singh Reporting」にドキュメンタリー映画的な現実感を与えていた。

 物語の主軸になっているのは、バビーターが妹グッディーのゴードバラーイー(ベビーシャワーに似た儀式)に出席するために故郷リーワーに帰郷している間に直面した幼馴染みバンスィーの死である。なかなか休暇が許可されなかったバビーターは、上司の犯した軽微な失敗をかぶり、停職処分になって2週間の自由を得ていた。地元警察は即座に、廃墟で薬をやってラリっている青年を容疑者として逮捕し一件落着としていたが、バビーターは、真犯人は別にいると直感し、独自に捜査を始める。

 怪しい人物を複数登場させて観客を混乱させるのは、このような推理映画の常套手段である。バンスィーの弟マンガル、アルチャナーの暴力夫バールドワージ、バンスィーの妻ルーパーなど、怪しい人物が何人も出て来て、事件に関わった可能性を示唆する。あまりに捜査にのめり込んでしまったため、時にはゴードバラーイーそっちのけで聞き込みなどをしている状態で、夫のシャラドから呆れられる。バビーター自身もいったんは真犯人探しを諦めるが、そんなときに新たな手掛かりが見つかるもので、ますます暴走するようになる。

 その結果、彼女がたどり着いた結論は、バンスィーは誰かに殺されたのではなく自殺をしたという事実だった。これは意外な展開だった。この種の犯罪スリラー映画では、自殺と思われていた事件が実は他殺だったという流れがほとんどだ。だが、「Babita Singh Reporting」はその逆だった。これはこれで新鮮だったのだが、他殺が実は自殺でしたとなると、肩透かしに映ってしまう。しかも、自殺の動機がよく分からなかった。

 むしろ、この映画で優れていたのは、インド社会における女性への抑圧が巧妙にストーリーに織り込まれていたことだ。たとえばシャラドはバビーターに、無理に警察の仕事を続けなくてもいいと何度も言っていた。警察という仕事は、休みがなかなか取れないし、社会的な地位も高くないし、女性向きの仕事でもない。シャラドは比較的理解力と包容力のある夫であったが、彼女の仕事については全く理解がなかった。バビーターは肥満気味だったが、それについても家族内でジョークとして通っていたし、彼女がなかなか子供を生まないことも周囲の人々の話題に上り、彼女を傷付けていた。バビーターだけではない。妹のグッディーは、婚家での人間関係に悩んでいたし、アルチャナーは夫から暴力を振るわれていた。これらの描写はメインストーリーとはあまり関係ないところで行われていたが、もしかしたらこちらの方が監督の真意なのかもしれない。そうだとすると、「The Great Indian Kitchen」とよく似た主題の映画ということになる。とても自然な形で女性から尊厳が奪われていくのである。

 シャラドとバビーターは異カースト間結婚という設定もサラリと差し込まれていた。シャラドはブラーフマンだと明言していたが、バビーターはおそらくOBC(その他の後進階級)あたりであろうと思われる。二人の結婚の裏にもかなりのドラマがあったはずだが、それは観客の想像に任されていた。シャラド側の家族があまり出て来ないのは、異カースト間結婚と関係あるかもしれない。

 ダシャハラー祭がクライマックスになっていた。ダシャハラー祭は「悪に対する善の勝利」を象徴する祭礼であり、インド映画ではよく参照される。ダシャハラー祭では、巨大なラーヴァナ像を燃やすのが通例である。死んだバンスィーはラーヴァナ像を作る職人という珍しい設定であった。映画の最後で、バビーターがラーヴァナ像の中に入って階段を上って上まで行く場面がある。ラーヴァナ像の中がこのような構造になっているのは初めて知った。ラーヴァナ像には火薬が仕掛けてある。これからラーヴァナ像を燃やそうとしているときに中に入るのはとても危険な行為だ。だが、そうすることでバビーターはバンスィーの最期を感じることができたのだった。

 「Babita Singh Reporting」は、主に2つの視点で評価できる作品だ。ひとつは犯罪スリラー映画としてである。停職中の女性警官が帰郷先で幼馴染みの死について疑問を抱き独自に捜査を始め、それが自殺であることを突き止める。もうひとつは女性を自然な形で抑圧し尊厳を奪うインド社会の悪習を浮き彫りにする社会派映画としてである。映画に登場する女性たちは、何かと抑圧されており、それを自然に受け入れてしまっているところもあった。だが、一連の出来事を通してバビーターはそれに立ち向かう勇気を手にするのである。しっかり作られた映画であったが、多少解釈に困る部分もあった。観て損はない映画だ。