Ardh Satya

4.0
Ardh Satya
「Ardh Satya」

 1983年8月19日公開の「Ardh Satya(半分の真実)」は、実直な警察官が汚職にまみれたシステムに呑み込まれていく様子を描いた、パラレルシネマの傑作である。マラーティー語作家SDパーンヴァルカルの短編小説「Surya」を原作としており、題名は映画中で引用される詩人ディリープ・チトレーの詩から題名が取られている。

 監督は、パラレルシネマの旗手の一人に数えられるゴーヴィンド・ニハラーニー。「Ankur」(1974年)や「Manthan」(1976年)など、パラレルシネマの傑作の数々で撮影監督を務めてきて、「Aakrosh」(1980年)で監督デビューをした。「Ardh Satya」は彼の監督3作目となる。プロデューサーはアドラブス・フィルムス社の創業者マンモーハン・シェッティーである。

 主演はオーム・プリーとスミター・パーティル。他に、アムリーシュ・プリー、マードゥリー・プランダレー、ナスィールッディーン・シャー、サダーシヴ・アムラープルカル、シャーフィー・イナームダール、イーラー・アルン、サティーシュ・シャー、KKラーイナーなどが出演している。

 代々警察官の家に生まれ、父親(アムリーシュ・プリー)から強制されて警察官になったアナント・ヴェーランカル巡査(オーム・プリー)は、ボンベイのゴールチョーキー警察署に赴任し、早速地元ギャング、ラーマー・シェッティー(サダーシヴ・アムラープルカル)の子分3人を逮捕する。だが、上司のハイダル・アリー巡査(シャーフィー・イナームダール)は、アナント巡査がラーマーに会いに行っている間に彼らを勝手に釈放してしまう。

 アナント巡査は、大学教員ジョーツナー・ゴーカレー(スミター・サーンニャール)と出会い、恋仲になった。アナント巡査はジョーツナーとデート中にバスで彼女に痴漢行為をした男性に公衆の面前で暴力を働く。この行動が問題になるが、上司の取り計らいでおとがめなしになった。また、アナント巡査は、停職処分になり飲んだくれていたマイク・ロボ(ナスィールッディーン・シャー)と出会う。アナント巡査は会うたびにロボから金を無心されていた。

 あるとき、道端で重度の火傷を負った男性が見つかり、アナント巡査が死ぬ直前に聴き取ったところ、ラーマーの命令で暴力を受けたことが分かる。アナント巡査はラーマーを逮捕しに行くが、ラーマーがどこかに電話をすると、アナント巡査は叱責を受け、ラーマーを見逃さざるをえなくなる。

 それでも、アナント巡査は強盗を逮捕する手柄を挙げ、メダルの顕彰や昇進を心待ちにしていた。だが、メダルは最後だけ現れて犯人を逮捕した刑事部の警官に持って行かれてしまった。アナント巡査はストレスから酒に溺れるようになり、ジョーツナーから心配されていたが、とうとう歯止めが掛からなくなり、窃盗で逮捕されたこそ泥を尋問中に殺害してしまう。アナント巡査は停職処分になる。

 アリー巡査から助言を受け、停職処分取り消しのために、アナント巡査はラーマーを訪ねる。ラーマーは選挙に立候補して政治家になっていた。ラーマーはアナント巡査の復職は困難だと返答しながら、もしそれが実現したら内通者になることを要求してきた。アナント巡査はラーマーを絞殺し、ゴールチョーキー警察署に出頭する。

 映画の序盤にひとつの詩が登場する。ジョーツナーお気に入りの詩で、それを主人公アナント巡査が読み上げるのである。

चक्रव्यूह में घुसने से पहले
कौन था मैं और कैसा था
यह मुझे याद ही न रहेगा

चक्रव्यूह में घुसने के बाद
मेरे और चक्रव्यूह के बीच
सिर्फ़ एक जानलेवा निकटता थी
इसका मुझे पता ही न चलेगा

चक्रव्यूह से निकलने के बाद
मैं मुक्त हो जाऊँ भले ही
फिर भी चक्रव्यूह की रचना में
फ़र्क़ ही न पड़ेगा

मरूँ या मारूँ
मारा जाऊँ या जान से मार दूँ
इसका फ़ैसला कभी न हो पाएगा

सोया हुआ आदमी जब
नींद से उठकर चलना शुरू करता है
तब सपनों का संसार उसे
दोबारा दिख ही न पाएगा

उस रोशनी में जो निर्णय की रोशनी है
सब कुछ समान होगा क्या?

एक पलड़े में नपुंसकता
एक पलड़े में पौरुष
और ठीक तराज़ू के काँटे पर
अर्ध सत्य

円陣に入り込む前に
私は誰だったのか、どうだったのか
私には分からなくなるだろう

円陣に入り込んだ後
私と円陣の間に
ただひとつの危険な類似があったことは
私には分からないだろう

円陣から抜け出た後
たとえ自由になったとしても
円陣の構造に
違いはないだろう

死のうか、死なそうか
殺されようか、殺そうか
その決断は永遠にできないだろう

眠っていた人が
眠りから覚めて立ち上がり歩き出したとき
夢の世界は
二度と見えなくなるだろう

決断の光の中で
全ては同じだろうか?

片方の皿には不能
片方の皿には男らしさ
そして天秤の針には
半分の真実

 「円陣」とは、「マハーバーラタ」においてアルジュナの息子アビマンニュが突入し、脱出できなくなって殺された円陣のことだと考えていい。抜け出すのが困難な迷宮のようなイメージである。その円陣に入り込んだ後、誰も元の自分ではいられなくなる様子が詩で歌われている。

 詩の中に題名が登場することからも明らかに、この詩が「Ardh Satya」の主題を設定し、主人公の置かれた状況を象徴している。全く歌と踊りがないわけではないが、詩が物語の軸になっている点は、大衆娯楽映画とは異なった意味でインド映画らしさが感じられる。大衆娯楽映画の対立軸として生まれたパラレルシネマ運動だが、その申し子ともいえる「Ardh Satya」にも大衆娯楽映画と同じ息吹が感じられるのは興味深い点だ。

 主人公アナント巡査は、決して望んで警察官になったわけではなかった。だが、若者らしい実直さにあふれており、法律を犯した者を片っ端から捕まえることを正しいと疑っていなかった。ところが、彼はボンベイの警察署で汚職と不正にまみれたシステムを目の当たりにし、必死にあらがおうとするものの、まるで大蛇に絡め取られるように、その不正の中に沈み込んでいく。正義を通そうとすれば停職をちらつかされ、警察の職を続けようと思えば悪人にこびへつらわなくてはならない。

 アナント巡査は天秤に掛けられていた。悪人の仲間になって「不能者」として生きるか、それとも正義を貫いて自滅するか。どちらにも真実はなかった。だが、どちらかを選ばなければならなかった。その苦悩が「Ardh Satya」全体を通して克明に描き出されている。

 もうひとつ天秤に掛けられていたのは、警察という仕事そのものだ。警察は法と秩序を維持し市民を犯罪から守ることを使命としている。だが、悪人と対峙するためには時に暴力に頼らなくてはならない。映画公開の前年にはワダーラー事件があり、エンカウンターによるギャング掃討作戦が始まっていたことにも注目したい。警察の腐敗がアナント巡査の精神をむしばんだことは疑いがないが、警察の仕事そのものが矛盾に満ちていたことも彼を追いつめたのだといえる。ジョーツナーはむしろそれを心配してアナント巡査に警察を止めるように助言したのだった。

 最後にアナント巡査はラーマーを絞め殺すが、これをどう解釈したらいいのだろうか。権力に迎合し汚職に加わって安穏な生活を送るのを否定したのは確かだが、かといって正しい道を選んだとも英雄的な行動に出たともいえない。これこそが「半分の真実」ということだろうか。

 オーム・プリーは、正義感に満ちた若者が腐敗したシステムに押しつぶされていく様子を迫真の演技で演じ切った。スミター・パーティルが演じたのは、それほど心の動きが激しい役柄ではなく、見せ場は限られていた。だが、悩めるアナント巡査のオアシスとして重要な役割を果たしていた。アムリーシュ・プリーやナスィールッディーン・シャーはピンポイントの役柄で援護をしていた。

 「Ardh Satya」は、実直な警察官を主人公にした警察映画だが、派手な銃撃戦などよりも、巨大な汚職システムに心をむしばまれていく様子にフォーカスした、心理描写の優れた映画である。大衆娯楽映画ではないが、詩が映画の軸になっている点で、インド映画としての本質を守っている。必見の映画である。