Shree 420

4.5
Shree 420
「Shree 420」

 1955年9月6日公開の「Shree 420」は、巨匠ラージ・カプールの初期の傑作に数えられる作品である。そのインパクトは非常に大きく、インド国内のみならず世界に及ぶ。我々日本人にとっても特別な作品だ。なぜならこの映画の挿入歌「Mera Joota Hai Japani(私の靴は日本製)」では日本製の靴が歌詞に歌われ、1947年に独立したインドと1952年に主権を回復した日本の新たな二国間関係を象徴することになったからだ。

 プロデューサー、監督、主演はラージ・カプール。「Shree 420」撮影時のラージは既に「Awaara」(1951年)などを当て大スターになっていた。音楽はシャンカル・ジャイキシャン、歌詞はシャイレーンドラとハスラト・ジャイプリー。

 ヒロインは「Awaara」などで共演したナルギス。他に、ナーディラー、ネモ、ラリター・パーワル、ラシード・カーン、イフティカールなどが出演している。

 題名は「ミスター420」といった意味だ。「420」はインドでは特別な意味を持つ数字である。これは旧インド刑法(IPC)第420条を指すが、この条文は詐欺罪について書かれている。よって、インドで「420」といった場合、それは「詐欺」や「詐欺師」を示すコードになる。つまり、「Shree 420」とは「ミスター詐欺師」という意味になる。

 学士号を持ち、正直さでメダルを受賞したこともあるランビール・ラージ(ラージ・カプール)は、職を求めてイラーハーバードからボンベイにやって来た。だが、容易に仕事が見つかりそうになかった。ラージは質屋(ラシード・カーン)にメダルを売って40ルピーを手にするが、それもすぐにスリにすられてしまう。ラージは、バナナ売りのガンガー・マーイー(ラリター・パーワル)に気に入られ、大富豪セート・ソーナーチャンド・ダルマーナンド(ネモ)の邸宅の前の路上に寝泊まりすることになる。

 ボンベイでラージは、貧しい子供たちのために学校を経営する女性ヴィディヤー(ナルギス)と出会い、恋に落ちる。ラージはヴィディヤーと将来を誓い合うが、結婚し、子供を作って、教育を受けさせるためにはお金が必要だった。ラージはヴィディヤーのためにもいち早く仕事を見つけ、一財産を稼ぐことを決意する。

 ラージはジャイ・バーラト・ラウンダリーに月給45ルピーで雇われる。熱したアイロンを放置し店を火災寸前にする失敗をするものの、クビは免れていた。あるときラージは、裕福な女性マーヤー(ナーディラー)の家に衣服を届けに行く。マーヤーはラージがトランプ賭博に長けているのと見抜き、彼を上流階級の社交界に連れて行く。そこでラージは「ピープリーナガルの王子」と紹介される。早速トランプ賭博に誘われ、そこでダルマーナンドを打ち負かす。だが、ダルマーナンドは彼の正体を見抜いていた。約2万ルピーを儲けたにもかかわらず、マーヤーは彼にほとんど分け前を与えず追い払う。だが、ダルマーナンドはラージを訪ね、彼に詐欺を働かせるために雇い入れる。

 ラージはダルマーナンドの指示で詐欺をし、大金を稼ぐ。いい気になったラージはディーワーリー祭の日にヴィディヤーに高価なサーリーを贈って連れ出し、社交界の仲間入りさせようとする。だが、ヴィディヤーはマーヤーから屈辱を受ける。ラージが堕落してしまっため、ヴィディヤーは彼との縁を切る。

 ラージはダルマーナンドの下で富裕層を狙った詐欺を繰り返し巨万の富を築き上げる。一方、ヴィディヤーの学校は資金難のために閉校してしまい、子供たちは犯罪者になってしまった。ラージはヴィディヤーを助けようとするが、ヴィディヤーは詐欺で儲けた金は受け取れないと拒絶する。そしてラージに忠告もする。

 ダルマーナンドは勝手にラージの名前を使って、貧しい人々に100ルピーでマイホームが買えると夢を見させて大金を集める。ラージはマーヤーと結託しダルマーナンドをだますことにする。ラージは集めた金を持って逃げようとするが、ダルマーナンドに止められる。ラージはダルマーナンドに撃たれるが、それは空砲であり、逆にダルマーナンドの悪事が人々に知れ渡る。ダルマーナンドやその仲間たちは逮捕され、ラージはヴィディヤーと共に旅に出る。

 冒頭1発目の挿入歌「Mera Joota Hai Japani」のサビは以下の通りだ。

मेरा जूता है जापानीメーラー ジューター ハェ ジャーパーニー
यह पतलून इंग्लिस्तानीイェ パトルーン イングリスターニー
सर पे लाल टोपी रूसीサル ペ ラール トーピー ルースィー
फिर भी दिल है हिंदुस्तानीピル ビー ディル ハェ ヒンドゥスターニー

私の靴は日本製
このズボンは英国製
頭の赤い帽子はソ連製
それでも心はインド製

 「インド製の心」とは、映画中に頻出する言葉を借りていえば、「ईमानイーマーン」、つまり誠実さや正直さである。とかく外見で判断されがちなこの世間において、中身こそが大事であるというのが「Shree 420」の中心的なメッセージであり、この「Mera Joota Hai Japani」は、主人公ラージの紹介ソングであると同時に、映画の主題を見事に提示している。

 また、「Mera Joota Hai Japani」の前には、道端で倒れる演技をしたラージがダルマーナンドに助けられる場面がある。ダルマーナンドは生き馬の目を抜く実業家であったが、聖人のイメージを世間に広めてもおり、倒れていたラージを自分の自動車に乗せて病院に連れて行こうとする。だが、ラージが仮病を使っていたことを知ると彼を自動車から降ろす。そのときラージは、「嘘を付いたら助けられ、本当のことを言ったら追い出される」と言って、この世の不条理を鋭く突く。

 「Shree 420」は、貧しくても正直に生きればいいのか、それとも他人をだましてうまく生きるのがいいのか、この難しい命題を突き付けてくる。特にボンベイのような大都市では、正直に生きているだけでは生活に必要な金すら稼ぐことができない。では、詐欺師になればいいのか。少額の詐欺を繰り返しているだけではそれは詐欺にしかならない。だが、巨額の金を動かして詐欺をすると、「大物」と呼ばれるようになる。手先が器用で弁が立ったラージは詐欺師の才能を発揮し、富裕層狙いの大物詐欺師として成功する。確かに金は手に入り、いい服を着られるようになり、自動車で移動できるようになった。だが、彼の心は休まることがなかった。しかも、彼の意中の人であるヴィディヤーはどんどん離れていってしまった。彼女と結婚することを夢見て金を稼いできたのに、その夢は遠ざかっていく一方だった。

 もちろん、「Shree 420」は最後には正直に生きる生き方を示す。そのメッセージは明確なのだが、メッセージの発信の仕方は曖昧だった。

 まず、ラージが間違いに気付いたのは、ダルマーナンドが貧しい人々からなけなしの金を巻き上げようとしていたからだった。ラージは、富裕層から金をだましとることについては何の疑問に感じていなかったのである。なぜなら彼らも同様に詐欺師だったからだ。ヴィディヤーからの警告もあったが、あまり効果は出ていなかったようである。かつて路上で共に寝た貧しい路上生活者たちが詐欺に被害に遭いそうになっていたのを知ってラージは初めて改心する。

 ちなみに、ダルマーナンドが貧困者から金を巻き上げるために思い付いた詐欺プランは、「ジャンターガル」と呼ばれる低所得者向けマイホームのキャンペーンだった。100ルピーでマイホームを提供すると約束し、何万人もの貧しい人々から集金することに成功したのである。もちろん、ダルマーナンドには約束通り彼らのために家を建てようという気持ちは全くなかった。集めた金を持ち逃げする気満々だったのである。米国のサブプライムローンを先取ったようなキャンペーンだ。

 ラージはダルマーナンドに操られているように見せかけてダルマーナンドをもだまし、彼を警察に逮捕させていた。このまとめ方には弱さを感じた。ラージは「ジャンターガル」に投資した貧困者たちの前で、貧しい人々の団結を訴える。だが、これで納得した出資者はほとんどいなかったのではないかと思う。彼らはマイホームのために100ルピーをかき集めて預けたのであり、マイホームが建たなければラージも共犯者の一人に過ぎない。

 さらに、ラージはヴィディヤーと共にボンベイを後にするが、彼らがたどり着いた先には貧困者向けの集合住宅があった。ラージが密かに建造していたとは考えがたい。単なる幻影であろうが、この幻影でもって映画を終わらせるのはあまりに理想主義的すぎる。

 そもそも、富裕層を一律に堕落した人間として提示し、貧困者を一律に誠実な人間として描写するのは、マルクス主義的な階級闘争論を真に受けすぎであり、あまりに単純すぎる図式だ。まるで誠実に生きているだけでは永遠に豊かな生活は送れないと主張しているようで、悲観主義にも見える。

 総じて、「Shree 420」の前半は見事であるが、後半に入り、映画のまとめに入ったところで、まとまりきらずに無理に終わらせているような印象を受けた。この作品をラージ・カプールの最高傑作に数えるのは難しいと感じる。

 ラージ・カプールは今回、一文無しの流れ者と、詐欺で成り上がり「王子」を名乗った成金という2つの姿を演じ分けた。前者の姿のときは「ピエロ」と呼ばれることも多かったが、彼の身のこなしはチャーリー・チャップリンから強い影響を受けていることを感じさせる。ただ、このピエロ状態も彼の本性ではなかった。悲しみを覆い隠すためにわざと道化師を演じていたのだった。だから、「王子」を演じるのも朝飯前だった。「王子」のラージが鏡を通して「ピエロ」のラージと向き合うシーンは本作での彼の演技のピークである。

 ヒロインのナルギスは、貧しくても希望を捨てない純粋無垢な女性を演じた。映画の中で彼女が演じたヴィディヤーは「女神」と呼ばれることが多かった。ヴィディヤーとは「知恵」という意味であり、学問の女神サラスワティーを想起させる。ヴィディヤーには、「インド製の心」が誠実さだとしたら、ヴィディヤーには「理想のインド人女性像」が詰め込まれている。

 それに対し、セカンドヒロインのマーヤーは、「幻」という意味であり、現金の偶像化された姿であるラクシュミー女神を想起させた。マーヤーはラージに上流社会の欺瞞に満ちた社交界を紹介し、後半にはいつの間にかラージの愛人的な存在になっていた。インド神話においてサラスワティー女神とラクシュミー女神は犬猿の仲だとされるが、「Shree 420」でのヴィディヤーとマーヤーもラージを巡って対立する関係として描かれている。そしてもちろん、ラージの心は常にヴィディヤーと共にあった。

 我々日本人にとっては、挿入歌の中でも「Mera Joota Hai Japani」がもっとも注目の曲になるのだが、「Shree 420」は他にも名曲揃いだ。雨の中ラージ・カプールとナルギスが歌う「Pyar Hua Iqrar Hua」は、雨とモンスーン関連の曲として必ず挙げられる名曲である。路上生活者が陽気に歌い踊る「Ramaiya Vastavaiya」は、テルグ地方の民謡から取られており、サビの部分だけ「ラーマは来る?」という意味のテルグ語フレーズになっている。この曲は、映画「Ramaiya Vastavaiya」(2013年)の題名になったり、「Jawan」(2023年/邦題:JAWAN ジャワーン)でフィーチャーされるなど、21世紀になっても愛され続けている。

 「Shree 420」は、貧しくても誠実に生きる生き方を賛美し、新しく独立国家として歩み出したインドの行く先を示そうとした作品だ。欺瞞に満ちた富裕層や上流階級を批判する一方、政府には、貧困者にローティー(食べ物)とマカーン(家)を届けるように促している。衣服で人を判断するのではなく、誠実さと教養を正当に評価し、適切な職を与えることの必要性も説かれている。日本人にとっては「Mera Joota Hai Japani」の存在がうれしい。後半に不満点もあるのだが、傑作であることには変わらない。必見の映画である。


Shree 420 - Superhit Comedy Film - Raj Kapoor - Nargis Dutt - Lalita Pawar