
2013年5月10日公開の「Gippi」は、10代前半の女子が主人公の子供向け学園映画である。無名の俳優ばかりだが、カラン・ジョーハルがプロデュースしている。
監督は新人のソーナム・ナーイル。音楽はヴィシャール・シェーカル、作詞はアンヴィター・ダット・グプタン。タイトルロールのギッピー役を演じるのはリヤー・ヴィージ。新人であり、抜擢である。他に、ディヴィヤー・ダッター、ジャヤティ・モーディー、ターハー・シャー、ムリナール・チャーウラー、ドゥールヴァー・トリパーティー、アルバーズ・カドワーニー、アーディティヤ・デーシュパーンデー、ラーケーシュ・ヴァシシュト、パンカジ・ディール、アヴァンティー・タルワール、アナー・タルワールなどが出演している。
シムラーのセントメリー学校に通うグルプリート・カウル、通称ギッピー(リヤー・ヴィージ)は、シャンミー・カプールの曲で踊るのが大好きな、少し太めの9年生少女だった。離婚した母親パルディープ・カウル(ディヴィヤー・ダッター)と、生意気な弟ブーブー(アルバーズ・カドワーニー)と共に暮らしていた。パルディープは、最近元夫(パンカジ・ディール)が白人女性ジェニファーと婚約したことにいらついていた。
新学期が始まり、ギッピーは登校して親友のアーンチャル(ドゥールヴァー・トリパーティー)などと再会する。クラスで一番派手な少女で、何かとギッピーを見下してきていたシャミーラー・チャウハーン(ジャヤティ・モーディー)は、転校生のカビール(ムリナール・チャーウラー)と早速ベッタリしていた。ギッピーは父親の婚約式で、セントメリー高校に通うアルジュン(ターハー・シャー)と出会い、恋に落ちる。ギッピーはシムラーに帰った後もアルジュンに会いに行き、すっかり恋人気分になっていた。皆の前でシャミーラーを見返してやろうと、彼女の自宅で開かれたパーティーにアルジュンを連れて行く。だが、公衆の面前でアルジュンはギッピーとの関係を否定する。正気を失ったギッピーは、ヘッドガールの選挙に立候補してシャミーラーを負かすと宣言してしまう。また、このときアーンチャルとの関係も悪化してしまう。
ヘッドボーイとヘッドガールの選挙が公示された。シャミーラーはいち早く立候補し、ギッピーを挑発する。ギッピーは家族の支えもあって、アーンチャルに謝る。アーンチャルは、以前からギッピーにアプローチしてきていたアーシーシュ・サーラスワト(アーディティヤ・デーシュパーンデー)と付き合うようになっており、二人はギッピーに協力することを快諾する。また、シャミーラーの恋人だと思われていたカビールもギッピーへの協力を申し出る。
シャミーラーは成績優秀かつスポーツ万能で、しかも容姿抜群で人気者だった。彼女に対抗するため、ギッピーはダイエットを始め、勉強を頑張り、人から好かれるように努力する。また、ボーイフレンドの存在も必要だったが、カビールから告白され、それもクリアする。演説でギッピーは、シャミーラーのように優等生ではないが、普通の女の子がヘッドガールになれることを見せたいと話し、支持を集める。
投票が行われた。勝利を確実にしたギッピーは次第にシャミーラーのように振る舞うようになる。クリスマスパーティーの日に開票され、ギッピーは当選するが、普通の女の子でいたいと言って、ヘッドガールをシャミーラーに譲る。そして、自宅でアーンチャル、カビール、ブーブー、パルディープと共にアフターパーティーをする。
思春期を迎えた少女が主人公の、シンプルな筋書きの物語だった。しかも、主人公のギッピーはお世辞にも美人とはいえない。むしろ太っている。ならば何が優れているところがあるかといわれればそれも微妙で、勉強も運動も中程度の、ごく一般的な少女だ。唯一といっていい特技は、シャンミー・カプールの曲に合わせてダンスができることくらいであった。
よく見ると、彼女のクラスには他にもパッとしないメンバーが揃っている。親友のアーンチャルも地味な女の子だったし、ギッピーに好意を寄せるアーシーシュも、いかにもお人好しそうな男の子だった。唯一目を引くのはシャミーラーだ。まず、明らかに垢抜けていてきれいである。髪型などからファッションセンスの良さもうかがわれる。さらに、成績優秀でスポーツも万能、大会でいくつもメダルを取っている。いわゆる優等生である。シャミーラーの夢はヘッドガールになることで、今度の選挙に立候補することも早々に宣言していた。ちなみにヘッドガールとは生徒会長みたいなものである。
なぜだか分からないが、シャミーラーはやたらとギッピーを見下していた。当然、ギッピーもシャミーラーを敵視していた。この二人がヘッドガールの選挙で激突することになるというのが「Gippi」の軸となる出来事である。
その戦いには10代の女子ならではのこだわりみたいなものが見えて面白い。たとえば、選挙で勝つためにまず容姿を重視する。シャミーラーは長身かつスリムで、明らかに美人タイプである。それに対してギッピーは小太り体型をしている。まずはやせなければ勝てないということでダイエットを始める。また、ボーイフレンドの有無も重要な要素となる。ヘッドガールになるためにギッピーは急いでボーイフレンドを作ろうとする。もちろん、現実のインドの学校で、このような馬鹿馬鹿しい要素が選挙での勝因になることはさすがにないと思うのだが、それを堂々と描いてしまっているため、「もしかしたら」という思いも湧く。
この年頃の女子特有の話題として初潮もある。物語開始時にギッピーにはまだ生理が来ていなかったが、アルジュンとの失恋を経て初潮を迎える。ただ、初潮や生理が物語の重要な伏線になっているわけではなく、小道具扱いであった。
この映画は何を伝えようとしているのか。個人的には、「普通」であることの素晴らしさを訴えようとしていると受け止めた。インドの学校はとにかく「卓越」を求める。何かに秀でていることが重視され、シャミーラーのような万能な児童生徒が称賛される。だが、現実ではギッピーのような突出したものがない人がほとんどだ。それでもいいじゃないか。世の中の大多数の子供たちにそういう優しいメッセージを投げ掛けていると感じた。
また、ギッピーはボーイフレンドにこだわっていたが、実は彼女はもてていた。アーシーシュから言い寄られていたし、カビールにも告白された。どうしても手の届かないところに理想を求めてしまいがちだが、いったん冷静になって回りを見渡してみれば、愛を注いでくれる人がいることを思い出させてくれる。
家族の温かさが感じられる映画でもあった。母親グルプリートは離婚し、シングルマザーとしてギッピーとブーブーを育ててきていた。グルプリートは常にギッピーたちを見守っており、心強い支えになっていた。なぜ彼女が離婚に至ったのか分からないくらいいい母親であった。弟のブーブーも良かった。姉の喜びと悲しみの瞬間、常にそばにいて感情を分かち合っていた。こんな弟が欲しいと思えるキャラクターであった。カラン・ジョーハルのプロデュース作品という関係もあるのか、同性愛者であることがほのめかされていたが、まだ幼いので、断定は早いだろう。
「Gippi」は、ヒンディー語映画では数の少ない、10代前半の女子に焦点を当てた学園映画である。だが、筋書きは正直すぎるくらい単純で、対象年齢はもっと低く感じた。主人公をむやみにヒーロー化していないことは好感が持てるし、インドの学校生活が少し垣間見られるのも面白いが、それ以上の魅力を探し当てるのは難しい。無理して観る必要はない作品である。
