
1991年11月22日公開の「Lamhe(瞬間)」は、ロマンス映画の名手として知られたヤシュ・チョープラー監督が、数ある監督作の中でも、個人的に一番のお気に入りとして名を挙げていたロマンス映画である。興行的には失敗に終わったものの、批評家から高い評価を受け、後にカルト的な人気を誇るようになった。
チョープラー監督にとって、大ヒットしたロマンス映画「Chandni」(1989年)に続く作品であった。前作でヒロインを務めたシュリーデーヴィーを再び起用し、彼女に母と娘のダブルロールを演じさせ、18年越しの純愛を映画にした。作曲はシヴ=ハリ、作詞はアーナンド・バクシーである。
シュリーデーヴィーの相手役を務めるのは、「Mr. India」(1987年)や「Tezaab」(1988年)などの大ヒットでスターとしての地位を確立していたアニル・カプールでる。アニルは既に「Mr. India」などでシュリーデーヴィーと共演しており、相性の良さを証明していた。
他に、ワヒーダー・レヘマーン、アヌパム・ケール、ディーパク・マロートラー、ディッピー・サーグー、マノーハル・スィン、イーラー・アルンなどが出演している。
2025年11月19日に鑑賞し、このレビューを書いている。
ロンドン在住の大富豪ヴィーレーンドラ・プラタープ・スィン、通称ヴィーレーン(アニル・カプール)は、乳母ドゥルガー・デーヴィー、通称ダーイー・ジャー(ワヒーダー・レヘマーン)に連れられて、祖地ラージャスターン州に初めてやって来る。彼の両親は大きな宮殿に住む王族であった。宮殿に隣には、ヴィーレーンの父親の親友タークル(マノーハル・スィン)が住んでいた。タークルはヴィーレーンの帰還を歓迎する。タークルにはパッラヴィー(シュリーデーヴィー)という一人娘がいた。ヴィーレーンはパッラヴィーに一目惚れしてしまう。ところが、パッラヴィーにはスィッダールト・クマール・バトナーガル(ディーパク・マロートラー)という恋人がいた。タークルが急死し、彼の葬儀が行われるが、そこでスィッダールトの存在を知ったヴィーレーンは失意の内にロンドンに帰る。
その後、パッラヴィーはスィッダールトと結婚し、やがて妊娠する。ところがある日、ダーイー・ジャーからスィッダールトとパッラヴィーが交通事故に遭ったと知らせを受け、ヴィーレーンはインドに直行する。スィッダールトは即死し、パッラヴィーは女児を生んで息を引き取った。女児はプージャーと名付けられ、ダーイー・ジャーが育てることになった。ヴィーレーンはプージャーの誕生日にインドに戻るが、その日はパッラヴィーの命日でもあり、プージャーとは顔を合わせずにロンドンに帰ることを繰り返していた。だが、プージャーは逆にヴィーレーンへの興味をかき立てられ、いつしか彼のお嫁さんになるのを夢見るようになった。
プージャー(シュリーデーヴィー)の18回目の誕生日、ヴィーレーンはインドに戻り、彼女と顔を合わせる。プージャーはパッラヴィーに瓜二つだった。ヴィーレーンに好意を寄せるプージャーは彼にアプローチするが、年齢差に加え、プージャーを見るとパッラヴィーを思い出してしまい、ヴィーレーンはうろたえる。ヴィーレーンはプージャーを残してロンドンに帰る。
ダーイー・ジャーとプージャーはロンドンにやって来て、ヴィーレーンの家に住むようになる。ヴィーレーンにはアニーター・マロートラー(ディッピー・サーグー)という恋人がおり、彼女はヴィーレーンとの結婚を真剣に考えていた。アニーターはプージャーを敵視し、彼女をヴィーレーンの人生から追い払おうとする。だが、プージャーもアニーターに対抗する。ヴィーレーンの親友プレーム・アーナンド(アヌパム・ケール)に後押しされたプージャーはヴィーレーンに愛の告白をするが、ヴィーレーンはそれを拒絶し、彼女の顔を平手打ちする。そして、アニーターにプロポーズする。プージャーはショックを受けるが、ヴィーレーンの部屋で自分の肖像画を見つけ、彼の愛を確信する。ところがそれはパッラヴィーの肖像画だった。ヴィーレーンはプージャーに、彼女の母親パッラヴィーを愛していたことを打ち明ける。プージャーはそれを受け入れられず、ダーイー・ジャーと共にインドに帰る。
インドに戻ったダーイー・ジャーとプージャーの元にロンドンからヴィーレーンとアニーターの結婚式招待状が届く。プージャーは、ヴィーレーンが結婚したら自分も他の人と結婚すると約束していたが、それを反故にし、誰とも結婚しないと言い張る。すると、ヴィーレーンがインドにやって来て、彼女を責める。そして、実はアニーターと結婚していないことを明かす。ヴィーレーンはプージャーを抱きしめる。
ヤシュ・チョープラー監督の前作「Chandni」も挿入歌の多い映画だったが、「Lamhe」はそれにも増して歌と踊りのシーンが多い映画だった。ソングシーンやダンスシーンの合間にストーリーが申し訳程度に進んでいくような案配で、ここまで来ると多すぎるという印象を受ける。昔の映画音楽のメドレーまであり、しかもそれが結構長かった。全体的に、映画というよりもミュージックビデオ集を見させられているかのようであった。
舞台は大まかにラージャスターン州とロンドンに分かれており、見事な対比がなされていた。特にラージャスターン州の広大な砂漠や壮麗な王宮、それに砂漠の楽士たちが奏でる郷愁あふれる音楽やラージャスターニー語による民謡が、インドの魅力を醸し出していた。ただ、なぜか前半に雨のシーンが多く、砂漠の光景と相容れなかった。もちろん、インドでは雨はロマンスの象徴であり、パッラヴィーに一目惚れしたヴィーレーンの心情を表しているし、ラージャスターン州に雨が降らないわけでもないのだが、違和感は拭えなかった。
「Lamhe」が取り上げた恋愛の主題は年の差だ。まず、ヴィーレーンはパッラヴィーに一目惚れしたものの、パッラヴィーより年下だった。インドでは、年上の女性と年下の男性の結婚は伝統的に忌避されており、ヴィーレーンの世話役ダーイー・ジャーも二人がすんなり結婚できるとは思っていなかった。事実、パッラヴィーにはスィッダールトという恋人がおり、ヴィーレーンと会った後もその気持ちは揺るいでいなかった。つまり、パッラヴィーは年下のヴィーレーンを最初から弟扱いしており、恋愛の対象もしくは夫の候補としては全く見なしていなかったのである。パッラヴィーの本心を知ったヴィーレーンは失恋し、失意の内にロンドンに帰ることになる。
パッラヴィーはスィッダールトと結婚し妊娠する。だが、二人は交通事故に遭い、スィッダールトは即死し、パッラヴィーは女児を生んで息を引き取る。女児はプージャーと名付けられた。運命の悪戯から、プージャーの誕生日はパッラヴィーの命日となった。ヴィーレーンはパッラヴィーを忘れようとするが、プージャーの誕生日にインドを訪れるたびにパッラヴィーのことを思い出してしまい、なかなか前へ進めなかった。ロンドンではアニーターという恋人もできるが、彼女との結婚にも前向きになれなかった。
パッラヴィーの死から18年の歳月が流れ、プージャーは18歳になった。プージャーはパッラヴィーに瓜二つで、ヴィーレーンは彼女の顔を見て驚く。プージャーは幼少時からヴィーレーンのお嫁さんになることを夢見ており、成長した今、その夢を実現させようとするが、ヴィーレーンは素直に彼女のアプローチを受け入れることができなかった。
ひとつの理由は年齢差だ。ヴィーレーンとプージャーの間には18歳前後の年の差があった。今度はヴィーレーンの方が年上になるが、やはりこれだけ年齢が離れていると世間体が悪い。だが、それよりももっと大きな問題は、プージャーを見るとパッラヴィーのことを思い出してしまうことだ。また、自分の愛した女性の娘と結婚することに背徳感を覚えるのも無理のないことだ。ヴィーレーンはプージャーに好意を寄せられ、ジレンマに陥る。さらに、アニーターからは結婚の圧力が掛かっていた。
ところで、プージャーはヴィーレーンが母親に横恋慕していたことを知らなかった。だから純粋な気持ちでヴィーレーンに言い寄ることができた。だが、真実を知った後、プージャーは一転してヴィーレーンとの結婚を考えられなくなる。ヴィーレーンは自分の顔にパッラヴィーを追い求めているのであり、いくら自分を愛してくれても、それは間接的なものになってしまう。しかも、別の男性と結婚した女性を、死んだとはいえ、10年以上も愛し続け、忘れられないヴィーレーンに不気味さを感じ取っていたともいえる。幼少時からの恋は冷め、プージャーは別の男性と結婚することを考えるようになる。
最終的にはヴィーレーンはアニーターを選ばず、プージャーも別の男性とは結婚せず、この二人が結ばれることになる。ヴィーレーンは、愛しているのはパッラヴィーではなくプージャー自身だと主張して彼女を安心させる。ヴィーレーンにとっては20年越しの恋愛の成就であり、プージャーにとっても10年以上想い続けてきた男性と結ばれたことになる。ただ、本当にこれで良かったのだろうかという疑問が多少胸に残る終わり方だった。
「Lamhe」は、ロマンス映画を得意としたヤシュ・チョープラー監督の作品群の中でもひときわ目立つ作品だ。まずは何といってもチョープラー監督の大のお気に入りだったということが挙げられる。また、興行的には失敗したものの、後に再評価され、「時代を先取りしすぎた映画」として知られるようにもなった。ただ、挿入歌が多すぎて冗長であるし、年齢差を軸にした恋愛もいまいち説得力に欠ける。公開当時、人気が出なかったのは決して観客の目が節穴だったからではない。正直なところ、再評価されすぎな作品だと感じる。
