日本ではしばしばインド人は数学が得意だというイメージを持たれている。数字としての「0」を発見した国であること、二桁の九九を覚えているとされていること、一時期インド式数学が流行したことなどがその要因であろう。少し詳しい人になると、インドが生んだ天才数学者ラーマーヌジャンとの関連からそのようなイメージを持っていることもある。ラーマーヌジャンを題材とした映画「奇蹟がくれた数式」(2015年)が日本でも公開されたので、さらに知られるようになったことだろう。だが、これらの情報からインド人の数学の才能に直接結びつくような納得いく説明が得られるか、というとなかなか難しい。それに対して、アーナンド・クマールの半生を題材にしたヒンディー語映画「Super 30」からは、もしかしたら大きなヒントが得られるかもしれない。
アーナンド・クマールとは、ビハール州の州都パトナー在住の数学者・教育者である。父親は郵便配達員なので、文字が読めるくらいの学はある公務員だが、貧しい生まれと言っていい。彼は幼少時から数学の才能を発揮し、大学生の頃に国際的な学術誌に彼の論文が掲載されたほどで、ケンブリッジ大学の入学許可も下りた。ところが、父親の死と経済的な理由から渡英することができず、パーパル(スナックの一種)を売って生計を立てるようになった。また、その前から彼はラーマーヌジャン数学塾を設立し、インド工科大学(IIT)を目指す子供たちに数学を教え始めていた。だが、貧しい子供が学費を払えず塾に入れない姿を見て心を動かされ、2002年に「スーパー30」プログラムを立ち上げた。
スーパー30とは、30人の貧しくも優秀なIIT入学志望者に無料で数学を教えるプログラムである。IITはインド全国にあり、定員数の合計は1万人ほど。それに対し、毎年の受験者数は100万人以上。合格率は1%以下という、インドはおろか、世界でももっとも入学が困難な教育機関だ。ところが、スーパー30のIIT合格率は驚異的で、初年度には30人中18人が合格。その後もコンスタントに合格者を出し続け、2008年には30人全員合格という快挙を成し遂げた。その後も毎年必ず25人以上の合格者を出しており、2017年には再び合格率100%を達成した。こうして、スーパー30は一躍全国的に知られるようになった。
2019年7月12日公開の「Super 30」は、アーナンド・クマールの半生を、フィクションを交えつつ、緩やかに映画化した作品だ。既に一ジャンルとして確立したと言っていい、伝記映画の一種である。監督はヴィカース・ベヘル。「Queen」(2014年)の監督で知られている。主演はリティク・ローシャン。他に、ムルナール・タークル、ヴィーレーンドラ・サクセーナー、ナンディーシュ・スィン、パンカジ・トリパーティー、アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ、ヴィジャイ・ヴァルマーなど。2019年のインド滞在時にバンガロールにあるガルーダ・モールのINOXで鑑賞した。
「Super 30」には、娯楽映画として成立させるために、多くのフィクションが織り込まれている。その内でもっとも大きなものは、大手塾の経営者ラッラン・スィン(アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ)の存在である。パーパルを売って生計を立てていたアーナンド・クマール(リティク・ローシャン)は、彼の才能を知っていたラッランに拾われる形で塾講師となり、たちまちの内にスター講師となる。成功と共にアーナンドは少し調子に乗り始めたところもあるのだが、理数系の才能を持ちながら経済的事情で塾に通えない子供を見て自身の過去を思い出し、突如塾講師を辞め独立して、スーパー30を始める。この辺りの流れは事実とは異なる。実際のアーナンドは最初から自分でラーマーヌジャン数学塾を立ち上げているし、スーパー30はあくまでプログラムであって、独立した塾でもない。ただし、アーナンドが数々の嫌がらせを受けて来たのは本当のようで、そうしたものをラッランに凝縮したかったのだろう。
他にも、恋人スプリヤー(ムルナル・タークル)との関係、ラッランの塾生とアーナンドの塾生との対決、塾を脱走したフッガー・クマール(ヴィジャイ・ヴァルマー)の存在など、架空の人物や出来事が盛りこまれている。中には不必要もしくは意味不明のものもあった。特に、スーパー30の子供たちがホーリーのときにラッランの塾の前のステージで踊りを踊るシーンは冗長かつ不明瞭だった。目的は、裕福な家庭の子供たちに対して劣等感を抱かないように度胸を鍛えるというものであることは分かるのだが、このような方法や展開は非現実的だ。
映画中、アーナンドがラッランの塾に勤めていた頃には、授業のシーンがないために、アーナンドの教え方のどこがどう優れているのか、よく分からなかった。だが、スーパー30を始めてからは、アーナンドのユニークな教え方が紹介されるシーンがあった。それを見てアーナンド数学がとてもよく分かった。アーナンドは生徒たちに、日常生活の中で常に数学の問題を考えるように指導していた。それは、決して教科書や問題集に書かれた問題のみを指さない。彼が重視したのは、日常生活での実践的で実用的な数学である。例えば、ただ道を歩くだけでも、時速、距離、時間などを求める数学の問題になる。もっと言えば、この世の全ての物は物理法則に基づいて動いているのだから、全てを数式に変換することができる。まず、日常の具体的な事柄に注目させ、その中から自分で問題を作り出し、それについて数学的に解決を求める。少なくとも劇中では、の話であるが、おそらくアーナンドに取材をすることで映画化しているのだろうし、映画で描写されたことは事実そのものではないとしても、それに近いものだと考えられる。彼の教える数学は非常に実用的であり、課題解決力に加えて課題発見力を養う種類のものだった。インド人が数学が得意、というのも、もしかしたらこの辺りにヒントがあるように感じた。
映画の終盤では、アーナンド数学の実用性がかなり極端な形でクライマックスに仕立てあげられている。IIT-JEE(IITの共通入試)直前、ラッランによって送り込まれた刺客たちが、入院していたアーナンドとその生徒たちを殺そうと病院に押し寄せる。子供たちはアーナンドから教えられた数学(と言うより物理)の知識を駆使して罠を作り、刺客たちを翻弄する。それはまるで「ホーム・アローン」(1990年)のようだった。そして、一睡もしないままIIT-JEEに臨んだ30人の子供たちは、全員合格する。ちなみにそれもフィクションだ。前述の通り、スーパー30初回生の合格率は100%には至らなかった。
ビハール州が舞台であり、写実性を出すために、登場人物の大半はビハール州訛りのヒンディー語を話す。リティク・ローシャンもかなり訛ったヒンディー語で台詞をしゃべっている。よって、聴き取りは困難な部類に入る。言葉遣いに加えて、リティクは顔を褐色に塗って大衆の雰囲気を出そうとしている。元々、インド人離れした容貌をし、エリート的な役を演じることの多いリティクは、今回かなり思い切った役作りをしている。もちろん、「Koi… Mil Gaya」(2003年)や「Guzaarish」(2010年)などでもそのような役作りは見て来たのだが、ここ最近ではもっとも大胆な配役だ。カンガナー・ラーナーウトとの確執の中で、演技派として知られる彼女と同じ土俵で勝負に出ているように感じたのは勘ぐりすぎか。映画中ほぼ一貫して苦虫を噛みつぶしたような顔をしており、彼の違った一面を見られて良かった。好演である。
リティク・ローシャン以外では、父親を演じたヴィーレーンドラ・サクセーナーや、おとぼけ教育大臣を演じたパンカジ・トリパーティー、そしてラッラン・スィンを演じたアーディティヤ・シュリーヴァースタヴァなどの演技が映画に貢献していた。
「Super 30」は、インド最難関のIITの入試に特化した数学塾を作り、大きな成果を上げて来ているアーナンド・クマールの半生を映画化したものである。娯楽映画として成立させるために、多少スパイスを効かせており、バランスを欠くシーンがあったが、リティク・ローシャンの好演もあって、楽しめる作品となっている。インド人がどのように数学を学んでいるのか、という大いなる疑問へのヒントともなる。興行的にも成功しており、2019年のヒット作の一本だ。オススメである。