ムンバイーにあるアジア最大のスラム街ダーラーヴィー。「Slumdog Millionaire」(2008年)で一躍有名になり、メディアに登場する機会も増えた。ただ、スラム街と言っても、日本人が一般に想像するような不衛生で危険な貧困街ではなく、意外にキチンとした住宅街で、意外に普通の人々が住んでいる。住居費の高い大都会ムンバイーにおいて、中下流層の住宅需要を満たす重要な役割を果たしている。「Slumdog Millionaire」以降、ダーラーヴィーを巡るツアーが外国人観光客に人気となっていると聞くが、逆に言えば、観光客が容易に入っていけるぐらいの治安と秩序があるということだ。本当のスラム街は別にある。
ダーラーヴィー出身ではないが、ダーラーヴィーから遠くないクルラー出身のラッパー、Naezyの半生を描いたヒンディー語映画「Gully Boy」(2019年)が日本で2019年10月18日から「ガリー・ボーイ」の邦題と共に一般公開される。インド本国では2019年2月14日に公開された映画である。監督は「Zindagi Na Milegi Dobara」(2011年)などのゾーヤー・アクタル。女性監督なのに男臭い映画を作る傾向にあるのはファラー・カーンなんかと似ている。主演は現在絶好調のランヴィール・スィン。ヒロインは、これまた飛ぶ鳥を落とす勢いのアーリヤー・バット。他に、ヴィジャイ・ラーズ、カルキ・ケクラン、ヴィジャイ・ヴァルマー、スィッダーント・チャトゥルヴェーディーなどが出演している。また、ラップをテーマにした映画なだけあって、多くのラッパーが楽曲を提供している他、米国人ラッパーのNasがエグゼクティブプロデューサーとして参加している。マスコミ向け試写で鑑賞した。
「Gully Boy」は、ダーラーヴィーで生まれ育った青年ムラード(ランヴィール・スィン)が、ラップに目覚め、「ガリー・ボーイ」というステージネームを得て、ムンバイーで開催されたラップのコンテストに出場するところまでが描かれている。その間、ムラードはラップの師匠MCシェール(スィッダーント・チャトゥルヴェーディー)との友情、恋人の医学生サフィーナー(アーリヤー・バット)との恋愛、2人目の妻を迎えた父親(ヴィジャイ・ラーズ)との確執、音楽プロデューサーのスカイ(カルキ・ケクラン)との出会い、友人モイーン(ヴィジャイ・ヴァルマー)の逮捕などを経て心を揺さぶられて行くと同時に、自分の内に秘めた鬱積を言葉にし、リズムに載せて放出することを学んで行く。
「Gully Boy」でまず優れていたのは、ダーラーヴィーを舞台もしくは視座としつつ、インドの社会を下から上にグサッと縦に串刺しにし、現状を浮き彫りにしていたことだ。上記の通り、ダーラーヴィーはスラム街と言っても、最貧困層のみが住む地域ではない。例えばサフィーナーの父親は医師であり、かなりいい生活をしているし、ムラードにしても大学に通うぐらいの余裕はある家庭に過ごしている。その一方でモイーンは自動車泥棒や麻薬密売をして生計を立てている、犯罪者である。また、MCシェールは集合住宅に住んでおり、ダーラーヴィー在住ではないと思われる。この辺りがムンバイーの下半分である。上半分は、ムラードが父親の代わりに運転手を務めるシーンで登場する。何人もの使用人が働く富豪の家だ。また、スカイの家の相当裕福な家庭であることがうかがわれた。そして、スカイは米国留学しているだけあって、あまり差別意識がなく、ムラードに対して何の気後れもなく恋心を表明する。かつて「Dhobi Ghat」(2010年)という映画があったが、もしかしたらあの作品以上にムンバイーの現状をひとつのキャンバスの中に描けていたかもしれない。
ただ、ムラードの出身地を無理にダーラーヴィーに設定したことには下心を感じる。前述の通り、Naezyはクルラー出身であり、「Bombay 70」(クルラーの郵便番号)という曲を作っているくらい、クルラーに誇りを持っている。おそらく「ダーラーヴィー」の方が国内外に通りがいい、という戦略であろうが、そこにフィクションを持ち込む必要はなかったのではないかと感じた。
キャラ作りがとても良かった。ムラードは、ラッパーとは言え、どこかシャイで自信なさげだ。一方のサフィーナーは勝ち気な女性で、ムラードに対して極端にポゼッシブである。そこにスカイという第三者が入り、一旦は破局となるのだが、サフィーナーのお見合いを機に二人は仲直りする。電話をよこさないムラードに対して、「私に電話しなければお見合い相手と結婚する」と脅すシーンは秀逸だった。また、ランヴィール・スィンは今回、多くの曲を自分で歌っている。
あまり目立たなかったが、登場人物のほとんどはイスラーム教徒である。ダーラーヴィーの住人の3割はイスラーム教徒と言われており、インドの他地域よりもイスラーム教徒のプレゼンスは高い。また、MCシェールはヒンドゥー教徒だ。だが、宗教はこの映画ではほとんど文脈にもテーマにもなっていなかった。唯一、ムラードの父親が一度だけ、「イスラーム教徒は職を得るのが難しい」ということを言っており、イスラーム教徒の置かれた現状について少しだけ触れられていた。ちなみに、MCシェールのモデルは実在のラッパーDivineであるが、彼はキリスト教徒である。
音楽は「Gully Boy」の魂である。同映画のサウンドトラックには18曲が収められており、劇中でも多くの曲が使用される。そのほとんどがラップである。ここまでラップに特化した映画はない。NaezyとDivineも参加しており、Divineの出世作である「Mere Gully Mein」はそのまま劇中でも使われていた。見ていて思ったが、ラップは韻の美しさを競う点で、ガザル詩などの伝統的な韻文と似ている。ラップ三昧の「Gully Boy」はインド映画音楽の新たな地平を切り拓いたが、それは全く過去を切り捨てたものではなく、今までの蓄積の上に成り立っていると言える。
ところで、インド映画音楽にラップが導入されたこと自体は初めてではない。例えば「Chandni Chowk to China」(2009年)ではパーキスターン系米国人ラッパーBohemiaが「CC2C」というラップ曲を提供している。その後、ヨー・ヨー・ハニー・スィン、バードシャー、ラフタールなどのインド人ラッパーがヒンディー語映画の楽曲を担当するようになり、映画界でラップは既に市民権を得ていると言っていい。ちなみに、最後のラップ・コンテストに出演していたラッパーの多くは、インドを代表する本物のラッパーたちであり、実名出演していた。
また、ダーラーヴィーとラップということで言えば、「MTV Sound Trippin」という2012年のテレビ番組で、サンプリング・ミュージックの名手スネーハー・カーンワルカルがダーラーヴィーを舞台に「Scrap Rap」というラップ曲を作っている。
「Gully Boy」は、実在のラッパーの半生を緩やかにベースとして作られたラップ映画である。過去これほどまでラップで満たされたインド映画は存在しなかった。ストーリーも分かりやすく、インドの社会を満遍なく織り込んでいる。2019年の傑作の一本と言える。