Hindustan Ki Kasam (1999)

2.5
Hindustan Ki Kasam
「Hindustan Ki Kasam」

 1999年7月23日公開の「Hindustan Ki Kasam(インドの誓い)」は、インド独立50周年を意識して作られた超大作風のB級映画である。当時としてはかなりの予算が投じられ、CGなどの最新テクノロジーを駆使して作られている。印パ親善や宗教融和などの強いメッセージが込められていることも見逃せない。同名の映画が1973年にも作られ、戦争映画の傑作として記憶されているが、全く別の映画である。

 「Hindustan Ki Kasam」が公開されたのは、1999年5月3日から始まったカールギル紛争がまだ終わっていないタイミングだった。カシュミール地方に引かれた管理ライン(LoC)を挟んで起こった印パ間の武力衝突であるこのカールギル紛争は、宣戦布告なく始まったために「第四次」印パ戦争とは数えられていないが、双方に多くの犠牲が出た事実上の戦争であった。よって、公開当時のインド社会にはパーキスターンに対する反感が渦巻いていたはずである。そんなときに印パ親善を声高らかに宣言するこの映画を公開するにはよほど強い意志が必要だったと予想される。

 また、1990年代のインド政治はしばしば「マンディル(寺院)、マスジド(モスク)、マンダル(カースト)」という3つのキーワードで語られる。これは、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間の対立や、カースト間の摩擦によって政情が不安定だったことを示す。ただ、1999年2月19日にはアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相がバスに乗ってパーキスターンを訪れ、印パ親善ムードを作り出した。この年代の総括として公開された「Hindustan Ki Kasam」には、分断の時代を反省し、インド人としての連帯意識を抱いて平和な社会を築いていこうという希望に満ちたメッセージが込められている。

 監督はヴィールー・デーヴガン。アクション監督として1970年代から活躍した人物で、主演アジャイ・デーヴガンの父親でもある。「Hindustan Ki Kasam」は、ヴィールーがメガホンを取った唯一の作品であり、彼のドリームプロジェクトであった。音楽監督はスクウィンダル・スィン。

 主演のアジャイ・デーヴガンは初めて一人二役に挑戦している。ヒロインは、スシュミター・セーンとマニーシャー・コーイラーラー。重要な脇役としてアミターブ・バッチャンが出演している。他に、ファリーダー・ジャラール、プレーム・チョープラー、ナヴィーン・ニシュチョール、シャクティ・カプール、カーダル・カーン、グルシャン・グローヴァー、シャーバーズ・カーン、プラモード・ムトゥ、カシュミーラー・シャーなどが出演している。

 2025年7月1日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 アジャイ・マロートラー(アジャイ・デーヴガン)は、1971年の第三次印パ戦争で殉死したインド陸軍軍人チャンダル(ナヴィーン・ニシュチョール)の息子で、小説家だった。アジャイは、夢で見た出来事を小説にし、売れっ子になっていた。アジャイはミスコン女王のプリヤー(スシュミター・セーン)と出会い、恋に落ちる。

 BSブラール准将(プレーム・チョープラー)やヴァルマー少佐(シャクティ・カプール)は、アジャイの書いた小説が機密情報とピッタリ一致することに気づき、彼を逮捕して尋問する。だが、アジャイからは何の手掛かりも得られなかった。アジャイは精神科医ダストゥール(カーダル・カーン)の催眠療法を受け、過去の記憶の断片を思い出す。

 アジャイの母親マロートラー夫人(ファリーダー・ジャラール)はアジャイの双子の兄ラージューについて語り出す。1971年の第三次印パ戦争において、アジャイの父親チャンダルとアジャイの叔父カビーラー(アミターブ・バッチャン)は共に戦った。印パ間で停戦協定が結ばれるが、パーキスターン軍のジャッバル(グルシャン・グローヴァー)が卑劣な奇襲攻撃を行い、カビーラーは右腕を失う。このとき、たまたま前線にいたアジャイとラージューは離れ離れになる。マロートラー夫人は、ラージューは死んだものだと考えていた。

 ダストゥールは、アジャイが見る夢はラージューが実際に行っていることだと予想する。実はラージューはジャッバルによって戦場から連れ去られ、タウヒード(アジャイ・デーヴガン)と名付けられて幼少時からパーキスターンで訓練を受けていた。タウヒードはパーキスターンの諜報機関ISIのエージェントとして工作活動に関わっていた。また、ジャッバルはインドで実業家になっており、ISIのために働いていた。ジャッバルのホテルでダンサーをするローシャナーラー(マニーシャー・コーイラーラー)はタウヒードに惚れていた。

 アジャイは母親にラージューを連れ戻すことを約束し、彼を探し始める。ジャッバルのホテルの地下でアジャイとタウヒードは顔を合わせる。タウヒードはアジャイの言うことを信じない。アジャイは捕まるが、カビーラーの活躍で救出される。

 ISIのハイダル中将(シャーバーズ・カーン)は印パ親善を妨害し両国を戦争状態に追い込むため、印パ親善行事でテロを画策していた。パーキスターンの首相(プラモード・ムトゥ)がムンバイーを訪問することになっており、タウヒードは対空砲で首相の乗った飛行機を撃ち落とすミッションを与えられていた。その計画を知ったローシャナーラーはタウヒードを止めようとするが、殺されてしまう。アジャイはダストゥールの催眠療法によってその計画を察知し、計画を阻止しようとする。タウヒードは首相の乗った飛行機を狙うが、アジャイによって止められ、二人の間で戦いが始まる。だが、タウヒードはアジャイを兄弟だと認める。

 ジャッバルはヘリコプターで飛行機を撃墜しようとするが、アジャイとタウヒードは力を合わせて阻止し、パーキスターン首相を助ける。インド首相がパーキスターン首相を出迎え、パーキスターンではハイダル中将が逮捕される。

 この映画の公開の半年前に、アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相はバスに乗ってパーキスターンを訪れ、ラホールでナワーズ・シャリーフ首相と会談した。「Hindustan Ki Kasam」は複数のスター俳優が起用された大規模なプロジェクトであり、もっと前から企画されていたとは思うが、そのストーリーは、印パ間で新たに始まったこの親善イニシアチブをベースとしている。名指しはされていなかったが、シャリーフ首相とそっくりな「パーキスターン首相」が、今度は自分がインドを訪れる番だと宣言し、飛行機に乗ってムンバイーを訪れようとする。だが、印パ親善を望まないISIのハイダル中将が、インドに宥和的な首相を暗殺し、しかもそれをインドの仕業であるかのように見せかけて、両国を戦争状態に持って行こうとする。

 この邪悪な陰謀の実行者となったのがタウヒードであり、それを阻止するためのキーパーソンとなったのがタウヒードの双子の弟アジャイであった。アジャイとタウヒードは幼少時に離れ離れになり、お互いの存在すら知覚していなかったが、二人の魂は遠く離れていてもつながっており、アジャイは夢の中でタウヒードの行うことを見るようになった。作家のアジャイはそれをスパイ小説にして売り出し、人気になっていた。

 軸となるストーリーはかなり硬派なものだが、味付けは古き良きマサーラー映画の伝統にのっとっており、ロマンスやコメディーにも十分な時間が割かれている。途中で挿入される歌と踊りの数も多い。主演のアジャイ・デーヴガンが一人二役であるため、2人のヒロイン、スシュミター・セーンとマニーシャー・コーイラーラー、それぞれとの恋愛を表現するダンスシーンも用意されている。アミターブ・バッチャンのパワフルなセリフ回しもアクセントになっている。

 なにより感心したのは空中戦シーンである。序盤と終盤に空中でのアクションシーンが用意されており、実際に飛行機やヘリコプターを飛ばして撮影したものと思われ、かなり迫力がある。それに加えてCGもリアルさの追求というよりもファンタジーの演出のために適宜使われていた。もちろん、アジャイ・デーヴガンが一人二役で演じるアジャイとタウヒードが同時にスクリーンに登場する場面もいくつかあり、そこでも特殊効果が使われている。あらゆる手法を用いて表現したい映像を表現する努力が行われていた。これは、ヴィールー・デーヴガン監督が長年アクション監督として培ってきた経験をぶつけたのだと評することができる。

 しかしながら、いかに映画業界で長く実績を積んできたといっても、彼にとって映画全体を撮るのがこれが初めてである。「Hindustan Ki Kasam」は、明らかに一人の映画監督がキャリアの絶頂期に満を持して作る規模の映画であった。デビュー監督であるデーヴガン監督にとっては背伸びしすぎな企画であったといわざるをえない。詰めが甘く、雑多な印象が強いB級映画であった。より経験値の高い監督が撮っていれば、もっと引き締まった作品になっていたはずである。

 1991年にデビューしたアジャイ・デーヴガンは、「Hindustan Ki Kasam」撮影時には既に代表的なスターの地位にいた。アクション監督の息子ということもあって、アクションスターというイメージが強く、この映画でも基本的にはアクションで魅せていた。一人二役はインドの映画スターがキャリアの中で必ず通る通過儀礼のようなものであり、父親の監督作によって彼は初めてそのチャンスを与えられた。アジャイとタウヒードの演じ分けができていればいうことはなかったが、繊細な演技はしていなかった。

 スシュミター・セーンは1994年のミス・インディア、そしてミス・ユニバースであり、1996年に映画女優としてデビューしている。「Hindustan Ki Kasam」で演じたプリヤーはミス・ユニバースになっており、彼女自身の人生と重なる役だ。ただ、彼女はあまり活かされていなかった。

 よりチャレンジングな役を演じていたのはマニーシャー・コーイラーラーの方だ。タウヒードの恋人ローシャナーラー役として、途中で現れ、終盤に死んでしまうが、インパクトは彼女の方が強かった。特に、タウヒードがテロリストだと分かった後の彼女の毅然とした態度は、演技的にも目をみはるものがあったし、そのメッセージも、インドに住むイスラーム教徒を擁護する内容になっていた。

 「Hindustan Ki Kasam」は、インド独立50周年を記念する時期に作られ、アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相が主導した印パ間の親善と、あたかもそれを打ち消そうとするかのように始まったカールギル紛争とによって揺れ動いた時期に公開された曰く付きの作品だ。その内容はカールギル紛争を予言したと評してもいい。興行的には、初速は良かったものの勢いを維持できず、最終的には「アベレージ」の評価になったと記録されている。スケールの大きな作品に見えるが、実際にはB級映画の域を出ていないというギャップがその失速の原因だと思われる。ヴィールー・デーヴガンが生涯で撮った唯一の作品という点は特筆すべきだ。映画としての出来は良くないが、デーヴガン監督の野心や平和を願うメッセージはひしひしと感じる作品である。


Hindustan Ki Kasam HD Movie | Ajay Devgan Double Role | Amitabh Bacchan, Manisha Koirala