Dirty Politics

1.5
Dirty Politics
「Dirty Politics」

 2000年に「Bawandar」という映画があった。1992年のバンワリー・デーヴィー事件に基づいた、インドの女性問題などを扱った社会派映画であった。2012年のデリー集団強姦事件は、女性問題をはじめとしたインドの社会問題の分水嶺となったが、その20年前に起こったバンワリー・デーヴィー事件は、それと同じくらいの重みのある事件であったようだ。

 バンワリー・デーヴィーは、ラージャスターン州政府女性発展事業の草の根ワーカー「サーティン」として活動していた女性である。カーストは不可触民のひとつであるクマール(陶工)。グッジャル(農耕カースト)が支配的な村に住んでいた。バンワリー・デーヴィーは、1992年に幼児婚反対を訴えたことで村八分に遭い、さらに同じ村のグッジャルの男たち5人から集団強姦された。バンワリー・デーヴィーは警察に届出を出したが、カーストが低いことや貧しいことなどから、たらい回しに遭う。ただ、この事件は地元紙を皮切りに全国のメディアで取り上げられ、当時としてはインドの女性問題の象徴となった。しかしながら、裁判では証拠不十分で容疑者には無罪が言い渡された。

 バンワリー・デーヴィー事件の流れを知りたいのなら「Bawandar」以上にいい映画はない。事件の経緯を忠実になぞって映画化しており、バンワリー・デーヴィーがどのような不当な扱いを受けたのかがよく分かる。ナンディター・ダース、ディープティー・ナーヴァル、ラグビール・ヤーダヴ、ヤシュパール・シャルマー、そしてグルシャン・グローヴァーなど、当時既に確立されていた名優、及び、その後大いに活躍することになった演技派俳優などが出演しており、彼らの演技も見物だ。

 さて、2015年3月6日公開に「Dirty Politics」という映画が公開された。ヴィディヤー・バーラン主演「The Dirty Picture」(2011年)と似た題名だが、何の関係もない。その名の通り、政治劇であるが、この「Dirty Politics」もどうやらバンワリー・デーヴィー事件を着想源にしているようだ。ただ、ストーリーはかなり異なっており、「Bawandar」とはかけ離れた内容となっている。

 監督はKCボーカーリヤー。「Pyar Jhukta Nahin」(1985年)など、1980年代から90年代にかけて活躍していた監督・プロデューサーであるが、21世紀にはパッとした作品は撮っていない。作曲はアーデーシュ・シュリーワースタヴ、ロビー・バーダル、サンジーヴ・ダルシャン、作詞はサミール。キャストは、ナスィールッディーン・シャー、マッリカー・シェーラーワト、ジャッキー・シュロフ、アヌパム・ケール、オーム・プリー、アトゥル・クルカルニー、アーシュトーシュ・ラーナー、ラージパール・ヤーダヴ、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、スシャーント・スィンなど。演劇畑の俳優が多く、そうそうたる顔ぶれだ。その中で完全に浮いているのがセクシー系女優マッリカー・シェーラーワト。これら演技派俳優に囲まれたマッリカーがどんな演技を見せるのか。

 ラージャスターン州。政界で権勢を誇っていた女性アノーキー・デーヴィー(マッリカー・シェーラーワト)が突如行方不明となった。正義感あふれる警察官、ニルバイ・スィン(アトゥル・クルカルニー)とニシュチャイ・スィン(スシャーント・スィン)は、アノーキー・デーヴィー事件の関連で、地元のゴロツキながら、今回の州議会選挙で政治家への転身をもくろむムクティヤール・カーン(ジャッキー・シュロフ)を逮捕する。だが、上司カラン・スィン警視(ゴーヴィンド・ナームデーヴ)の介入によりムクティヤールはあっけなく釈放される。

 社会活動家マノージ・スィン(ナスィールッディーン・シャー)は州首相に働きかけ、アノーキー・デーヴィー事件の捜査を中央捜査局(CBI)に移管させる。事件の担当となったのは、敏腕捜査官のサティヤプラカーシュ・ミシュラー(アヌパム・ケール)だった。ミシュラーは、ムクティヤール逮捕後に閑職に追いやられていたニルバイとニシュチャイを呼び戻し、アノーキー・デーヴィーのボディーガード、バナーラーム(ラージパール・ヤーダヴ)から、彼女のことを聞き出す。

 アノーキー・デーヴィーは元々ダンサーだった。彼女は、ジャンセーヴァー党の党首ディーナーナート・スィン(オーム・プリー)に気に入られ、政治家として選挙に出馬することになる。だが、ムクティヤールも同じ選挙区から出馬を望み、最終的には同党の政治家ダヤール・スィン(アーシュトーシュ・ラーナー)の忠言を聞き入れ、ムクティヤールに党の公認を与えたのだった。これがアノーキー・デーヴィーとディーナーナート・スィンの間で亀裂を生む。アノーキー・デーヴィーは、ディーナーナートとの情事をビデオに録画していた。このデータが入ったCDを使い、アノーキー・デーヴィーはディーナーナートを脅す。だが、アノーキー・デーヴィーはムクティヤールに殺されてしまう。以上が事件の真相であった。

 ニルバイとニシュチャイはムクティヤール逮捕のための証拠を集め、再度彼を逮捕する。だが、ムクティヤールは移送中に何者かに殺されてしまう。また、マノージ・スィンはアノーキー・デーヴィーが持っていたCDを探すが、その途中にディーナー・ナートやダヤール・スィンによって送り込まれた暗殺者に殺されそうになる。ミシュラーはまずダヤール・スィンを逮捕し、次にディーナーナートを逮捕する。

 裁判が始まった。マノージ・スィンは、有力な証拠となるCDを手に入れていたが、ディーナーナートとダヤール・スィンは彼を脅すため、彼の娘ギーターを手下にレイプさせ、その様子を録画して、マノージ・スィンにCDを送りつける。しかし、ギーターはそれに屈しなかった。マノージ・スィンは2つのCDを裁判所に証拠として提出する。これらは決定的な証拠となり得るはずだったが、アノーキー・デーヴィー殺害の犯人はムクティヤールのみとされ、ディーナーナートとダヤール・スィンには無罪が言い渡された。裁判長は実はディーナーナートの友人で、裏でつながっていたのだった。

 この判決に怒ったマノージ・スィンは、自ら銃を取ってディーナーナートとダヤール・スィンを殺す。そして自首をする。マノージ・スィンを裁くのは、ディーナーナートとダヤール・スィンに無罪を言い渡したのと同じ裁判長だった。しかし、彼は自分の行いを恥じ、辞職する。

 事件の中心人物となるアノーキー・デーヴィーがまず行方不明となっている状態から映画が始まり、彼女の失踪の謎が徐々に掘り下げられて行く構成には多少の工夫が見受けられた。だが、全体的に古い作りであり、いかに演技派俳優たちを並べようとも、脚本や演出の古さを補完することはできていなかった。そもそも、アノーキー・デーヴィーを殺した犯人及びその黒幕、さらにその動機は、全くの予想通りで何のひねりもないので、謎解きの面白さは全くない。政党の党首がダンサーの女性に心を奪われて、彼女を政治家として立候補させようとするなどという幼稚な筋書きに対し、映画制作中に誰も何も言わなかったのか、その方が謎だ。レイプシーンが2回出てくるが、こういうところで観客を無理矢理誘き寄せようという戦略も1980年代を感じたし、今時CDを使って動画のやり取りをしている点も古臭さを助長していた。KCボーカーリヤー監督の映画は初めて観たが、20世紀から抜け出せていないとしか言いようがない。一体なぜ未だに映画を作り続けているのか。

 終わり方にも疑問を感じた。裁判で、アノーキー・デーヴィー殺害の黒幕二人が無罪を言い渡される部分は、バンワリー・デーヴィー事件を意識しているのかもしれない。だが、その後、マノージ・スィンが二人を殺してしまうのは、あまりに暴力的な終わり方だ。しかも、裁判長が辞職をして映画が終わっていたが、裁判長の辞職で解決する問題でもない。情状酌量の余地はあるかもしれないが、マノージ・スィンが2人を殺害したことには変わらず、彼は有罪にならざるを得ないだろう。そういう結末を避けるために、こういう中途半端な終わり方にせざるを得なかったのではないかと思わざるを得ない。

 主演マッリカー・シェーラーワトは元々セクシーボディーとセクシーな役柄で人気を博していた女優である。だが、最近は米国から元AV女優サニー・リオーネがヒンディー語映画界に殴り込んで来たため、元々業界内でセックスシンボルとして地位を築いていたマッリカー・シェーラーワトのようなセクシー系女優たちの分が悪くなっている。そんな中、この「Dirty Politics」において、演技派の俳優たちに囲まれて脱皮をもくろんだと思われるが、当然のことながら、演技のうまい俳優たちに囲まれることで本人まで演技がうまくなるということはない。マッリカーの演技力のなさがかえって目立ってしまっていた。

 ちなみに、この映画のポスターは物議を醸した。何が問題になったかと言うと、マッリカー・シェーラーワトの身に付けている布である。これはインドの国旗である三色旗だ。裸体を国旗で覆っているように見える。これが、国旗に対する不敬だということで物議を醸したのである。インドでは、国旗を身に付けるという行為は国旗を侮辱することになる。インド独特の浄・不浄の考え方の中で、一度身に付けた衣服というのは不浄の扱いとなる。国旗を身にまとうことで、国旗を不浄化すると見なされる。よって、問題になったのである。法律でも、国旗を衣服として使用することを明確に禁止している。そのようなことから、修正版のポスターでは、マッリカーはオレンジと白の布を身体にまとっている。

 「Dirty Politics」は、キャストだけを見ると豪華だが、1980年代から90年代のままで創造性が停滞している監督による作品であるため、21世紀の作品とは思えない古めかしさを醸し出している。サニー・リオーネに押されたマッリカー・シェーラーワト起死回生の一本になると良かったが、残念ながらそううまくは行かなかった。バンワリー・デーヴィー事件をベースにしているとされるが、それだったら名作「Bawandar」を鑑賞した方が何倍もいい。わざわざ観る価値はあまりない映画である。