例によって今日もヒンディー語映画を観に行った。観た映画は先週の金曜日(2002年9月20日)に封切られた新作映画「Gunaah(罪)」。PVRアヌパム4で観た。
「Gunaah」は、今年上半期大ヒットした映画「Raaz」(2002年)と監督&主演俳優が一緒だ。監督はムケーシュ・バット、主演はディノ・モレアとビパーシャー・バス。二匹目のドジョウ狙い、果たして吉と出るか、凶と出るか?
プラバー(ビパーシャー・バス)は腐敗した警察機構の改革に情熱を燃やす女警官。同僚で、悪徳警官のパーンデーイと何かと対立していた。 ある日プラバーは殺人事件の捜査に携わり、見事な推理で犯人を突き止める。容疑者の青年(ディノ・モレア)は警察に踏み込まれると間一髪で逃げ出す。プラバーは彼の後を追い、屋根の上に上がる。しかし足を滑らせて下に落ちそうになる。容疑者の青年はそれを見て、とっさにプラバーを助ける。しかし当然のことながらそれが原因で御用となってしまう。 逮捕された青年は、どんなに拷問を受けても一言もしゃべろうとしなかった。青年の名前はアーディティヤといった。プラバーはアーディティヤに惹かれるものを感じ、なんとか彼に共感してもらおうと自分の過去を語りだす。 プラバーは実は売春婦の娘だった。ある夜警官が買春しに母親の元を訪れたのだが、プラバーはその警官が母親に乱暴を働くのを見てとっさに金属の燭台を持ち、殴り殺してしまったのだった。それがトラウマとなり、今でも彼女を悪夢となって時々襲うのだった。 それでもアーディティヤは口を開こうとしなかった。そんなこんなしている内にアーディティヤは仲間の助けにより脱走してしまう。プラバーもその責任を取らされ、この事件から外されることになった。 アーディティヤはパルシュラームという男が率いる革命組織のメンバーだった。そして彼の父は有名な革命小説家だった。しかし彼はパーンデーイによって辱められた挙句に撃ち殺されたのだった。その事実を知ったプラバーはパーンデーイを裁判にかけ、退職処分にさせる。このときにはプラバーとアーディティヤは、警察と犯人という関係ながら、相思相愛になっていた。 退職となって怒ったパーンデーイはプラバーの自宅に押しかけてプラバーを痛めつけ、銃を撃つ。プラバーは一命を取り留めたが、今度はアーディティヤが怒り狂い、パーンデーイ殺害宣言をする。怖くなったパーンデーイは警察署に逃げ込んで助けを求める。アーディティヤは警察署へ自動車ごと突っ込んで、暑全体を火の海にさせる。そしてパーンデーイと一対一の殺し合いを繰り広げる。 いざアーディティヤがパーンデーイを殺そうと銃を構えたときにやって来たのが、病院から必死の思いで駆けつけてきたプラバーだった。アーディティヤは「お前を殺そうとした男を救って何になる?」と言うが、プラバーは「理由はどうあろうと市民を守るのが警官の役目」とアーディティヤを止める。しかしアーディティヤはパーンデーイに銃を撃つ。それを見たプラバーは涙を流しながらアーディティヤを撃つ。こうしてパーンデーイとアーディティヤは死んでしまう。1人残されたプラバーは泣き崩れる。
見ていて頭痛がしてくるような映画とはこのことだ。ストーリーがお粗末、登場人物の性格も曖昧で一貫性がない。音楽も並以下だし、音楽の使い方に必然性がない。終わり方も気持ち悪い。何の取り得もない。
ビパーシャー・バスはセクシー女優として華々しくデビューしたが、本人はセックスシンボルに甘んじるよりはやはり演技派として脱皮したがっているようだ。この映画では製作者側の「ビパーシャーはセックスシンボル」という思考と、ビパーシャー本人の「私は演技派」という思考が見事にぶつかって、何が何だか分からなくなっていた。意味もなくセクシーな服を着て登場する割には、顔は真剣に演技をしているのだ。ビパーシャーは僕のお気に入りの女優。先月リリースされた「Chor Machaaye Shor」(2002年)でも、女警官役を演じていたが、やっぱり訳の分からない役柄だった。頼むから手当たり次第に変な役を引き受けないでもらいたい。女優としての質が下がってしまう・・・。
ディノ・モレアは、アルジュン・ラームパールに匹敵するほどのハンサムガイだ。しかしこの映画では大半をずっと黙って過ごすという、特殊な役柄だった。初めて口を開いたときに出て来た言葉は、「I Love You」だった。それはそれでいいのだが、なんかこちらもうまく生かされていないような気がした。
この映画がヒットする理由はどこにもない。おそらく今週限りの命だろう。チケット代150ルピーを無駄にした。客入りも最低に近かった。存在そのものが「Gunaah(罪)」の映画だった・・・。