12 ‘O’ Clock

2.0
12 'O' Clock
「12 ‘O’ Clock」

 ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督はヒンディー語映画界にホラー映画というジャンルを確立した立役者の一人である。彼は1990年代から「Raat」(1992年)や「Kaun」(1999年/邦題:ストーミー・ナイト)といったホラー映画を手掛けており、2000年代に入ってからも「Bhoot」(2003年)をヒットさせた。一時期は年間数本もヴァルマー監督の作品が公開されるほど映画を量産しており、まるで工場のようだった。失敗作も多かったが、ヒンディー語映画界のトレンドセッターだったのは確実だ。ただ、奇をてらった彼の作風は次第にマンネリ化していき、観客から飽きられてきた。ヴァルマー監督自身も以前のように精力的に次々と映画を送り出すことも少なくなり、いつしかヒンディー語映画界において彼が話題になることは減っていった。

 2021年1月8日公開の「12 ‘O’ Clock」は、個人的に久々に観たヴァルマー監督印のホラー映画であった。元々「Geher」という題名だったらしく、「12 ‘O’ Clock Nightmare」や「अंदर का भूतアンダル カ ブート」という別の題名も見受けられるが、ここではポスターが確認できる「12 ‘O’ Clock」とした。

 音楽監督はMMキーラヴァーニ。キャストは、ミトゥン・チャクラボルティー、クリシュナー・ガウタム、マカランド・デーシュパーンデー、ディヴィヤー・ジャグダレー、マーナヴ・カウル、フローラ・サーイニー、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、アリー・アスガル、ダリープ・ターヒルなどが出演している。

 大学生ガウリー(クリシュナー・ガウタム)は、父親ラーオ(マカランド・デーシュパーンデー)、母親(ディヴィヤー・ジャグダレー)、祖母、弟と共にムンバイーに住んでいたが、最近様子がおかしかった。ラーオは試験のストレスで一時的に元気がないと考えていた。ちょうど同じ頃、ムンバイーでは連続殺人事件が起きており、警察官フランシス・デスーザ(マーナヴ・カウル)が事件を担当していた。

 ある日、ガウリーが連続殺人をしているのは自分だと言い出す。ラーオは警察署に行って相談する。当初はまともに取り合わなかったフランシスであったが、警察しか知り得ない情報をラーオが持っているのに気づき、彼の自宅を訪れる。フランシスを見たガウリーは、男性の声で彼に話しかける。ガウリーの中には、2年前にフランシスが射殺したサイコキラー、バーブーの亡霊が乗り移っていた。ショックを受けたフランシスは警察署に逃げ帰り、ラーケーシュ・パトナーイク警視総監(ダリープ・ターヒル)に報告する。パトナーイク警視総監はフランシスの言うことを信じず彼に休暇を与えるが、フランシスは妻マーヤー(フローラ・サーイニー)を絞殺した後、拳銃自殺を遂げる。

 パトナーイク警視総監は旧知の精神科医デーバーラヤ(ミトゥン・チャクラボルティー)に相談する。デーバーラヤは既にガウリーと会っており、彼女の治療に取りかかっていた。デーバーラヤとパトナーイク警視総監はガウリーに会いに行くが、ガウリーの身体は既に完全に乗っ取られていた。彼らは呪術師(アーシーシュ・ヴィディヤールティー)に相談に行くが、彼らの目の前で呪術師はバーブーの亡霊によって殺されてしまう。

 デーバーラヤはラーオに、もはやガウリーを殺すしかないと提案する。ラーオと妻は隙を見てガウリーにケロシンを掛けて焼き殺す。

 ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の作品は、奇をてらったカメラアングルに特徴がある。「12 ‘O’ Clock」でもヴァルマー節は健在で、逆再生を使ってトリッキーな映像を作り出したり、わざわざ水中から陸上のやり取りを捉えたりと好き放題であった。惜しむらくはそれらが映画の質向上につながっていないことである。伊達や酔狂で映像を映し出していると思われても仕方がない。

 また、人を食ったようなストーリーもヴァルマー監督の映画によく見られる。「12 ‘O’ Clock」はいわゆる憑依モノのホラー映画であり、大学生のガウリーに、2年前にフランシスにエンカウンターで射殺されたはずのサイコキラー、バーブーの亡霊が取り憑く。何とかして亡霊をガウリーの身体から追い出すのがこの種のホラー映画の定石のはずであるが、なんとこの映画ではガウリーを亡霊もろとも焼き殺すことで結末としてしまっている。これでは元も子もないではないか。

 「12 ‘O’ Clock」という題名も大いに疑問だ。確かにガウリーは夜中になるとむっくりと起き上がって奇怪な行動を取るが、それが深夜12時きっかりに起こっていたような描写はなかったし、それ以外にもこの時刻が何かの伏線になっていることもなかった。謎の題名である。

 ガウリーに取り憑いたバーブーの魔力が理不尽なほど強すぎるのも興ざめである。バーブーがガウリーの身体を操って殺人をするならまだ分かるのだが、この映画ではそのようなシーンはない。バーブーには遠隔で殺人をする力が備わっており、ガウリーとは全く離れた場所にいる人も殺すことができてしまう。それならバーブーはわざわざガウリーの身体に乗り移る必要もなかった。場当たり的に恐怖シーンを演出しているために論理性が二の次にされており、かえって恐怖が感じられにくくなってしまっている。

 ヴァルマー監督の全盛期に彼が量産してきたホラー映画に見られた欠点が「12 ‘O’ Clock」にはそのまま残っており、懐かしい気持ちも少しだけあったが、全く成長していないことへの残念さの方が勝った。

 俳優陣はなかなか豪華である。だが、ほとんど有効に活かされていなかった。最大の無駄遣いはミトゥン・チャクラボルティーだ。満を持しての登場した精神科医の役であり、彼が事件を解決すると思いきや、困ったラーオから「どうすればいい」と問われて「何もできない」とつぶやくだけの、何のために登場したのか起用したのかよく分からない無力な人物であった。

 マーナヴ・カウルやアーシーシュ・ヴィディヤールティーも個性的な俳優たちなのだが、彼らの才能に敬意が払われているとは思えない起用法であった。マカランド・デーシュパーンデーは普段の変な演技は抑え気味であったが、こういうシリアスな演技もたまには見たかったので印象は悪くなかった。映画の中心となるガウリー役を演じたクリシュナー・ガウタムは初見であったが、大学生としてのガウリーと、サイコキラーに乗っ取られたガウリーをよく演じ分けられていた。

 「12 ‘O’ Clock」は、ヒット作も多いが問題作も多いラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督が久々に撮ったヒンディー語のホラー映画である。だが、彼の悪いときの癖がまた出てしまっており、奇をてらいすぎて、何だかよく分からない映画になってしまっている。無理して観る必要はない。