Mark Antony (Tamil)

4.0
Mark Antony
「Mark Antony」

 2023年9月15日公開のタミル語映画「Mark Antony」は、SFとギャング映画をミックスさせた変わり種の映画である。とある発明家が過去に電話を掛けることができるタイムフォンを発明し、過去に干渉することで現在を変えることができるようになった。それがギャング抗争に影響を及ぼすという筋書きである。

 監督はアーディク・ラヴィチャンドラン。音楽はGVプラカーシュ・クマール。主演はヴィシャールとSJスーリヤー。他に、リトゥ・ヴァルマー、スニール、セルヴァラーガヴァン、アビナヤー、YGマヘーンドラン、ニラルガル・ラヴィ、レディン・キングスレーなどが出演している。ヴィシャールとSJスーリヤーは一人二役である。

 物語は1975年と1995年を往き来する。1975年は、発明家チランジーヴィがタイムフォンを発明した時期であり、また、ギャング仲間だったアントニーとジャッキーにとって転機が訪れた年でもあった。一方、1995年は、アントニーの息子マークとジャッキーの息子マダンが生きている時代であった。1995年を「現在」に設定した理由はおそらく携帯電話登場前の時代にしたかったからだと思われる。

 ヒンディー語版も公開されたが、鑑賞したのはタミル語版であり、英語字幕を頼りに内容を理解した。

 1995年。かつて大物のギャングだったアントニー(ヴィシャール)の息子マーク(ヴィシャール)は、現在ではメカニックとしてガレージで働いていた。アントニーは1975年にライバルのエーカンバラム(スニール)に殺され、以後、アントニーの相棒だったジャッキー(SJスーリヤー)がマークを育ててきた。マークはジャッキーから父親の悪事について散々聞かされてきたため、父親を憎んでいた。母親ヴェーダヴァッリ(アビナヤー)を殺したのもアントニーだった。また、ジャッキーの息子マダン(SJスーリヤー)は父親と同じくギャングをしていた。マークはラミヤー(リトゥ・ヴァルマー)と恋仲にあった。

 マークはラミヤーから預かった中古車のトランクから、1975年に発明家チランジーヴィ(セルヴァラーガヴァン)が発明したタイムフォンを発見する。使い方をマスターしたマークは過去に電話をし、母親の命を助けようとする。だが、ジャッキーから聞かされていた過去は全く異なっていた。アントニーはギャングではあったが、弱きを助ける善良なるギャングであった。1975年12月31日に彼はジャッキーの裏切りに遭って殺されたのだった。ヴェーダヴァッリを殺したのもジャッキーだった。それを知ったマークは過去のアントニーに電話をし、ジャッキーの裏切りを伝える。アントニーはエーカンバラムと組んでジャッキーを殺す。

 マークが過去に干渉したことで、1995年のマークはギャングになっていた。一方、マダンはメカニックになっていた。また、ラミヤーはマダンと付き合っており、ギャングのマークを嫌っていた。マダンはタイムフォンを手に入れ、過去のジャッキーに電話をして、再び現在を変えようとする。何度か失敗するが、彼は1975年12月31日を変えてしまう。

 再び1995年の現状は変わった。ジャッキーは生きており、刑務所に入っていた。マダンはギャングに戻り、マークはメカニックになっていた。刑期を終えて釈放されたジャッキーはマダンにマークを殺すように命令する。マークはラミヤーを誘拐しマークを誘き寄せる。マークは殺されそうになるが、そこへアントニーが戦車に乗ってやって来る。アントニーは1975年に生き延びており、コロンビアに亡命して機会をうかがっていた。アントニーは「アナコンダ」という巨大なマシンガンを使ってジャッキーの手下たちを一網打尽にする。そしてジャッキーとマダンを殺す。ラミヤーはマダンもマークも覚えていなかったが、マークの愛を受け入れるアントニーはタイムフォンを使ってヴェーダヴァッリに電話をする。

 「Mark Antony」はSF映画の中でもタイムトラベル映画の一種になる。過去や未来への旅行はしないものの、過去に電話を掛けることができるタイムフォンが登場し、現在を変えることが可能になる。過去を変えたとき、現在がどう変化するのかについては大きく2つの考え方がある。ひとつは現在が即座に変わるというもの、もうひとつはパラレルワールドとなるものである。「Mark Antony」は前者の立場に立った映画であった。つまり、過去に電話をして出来事を変えると、それが今ある現在に影響を与える。たとえば、過去に死んだ人を助けると、その人が現在に現れるのである。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ系の時間の考え方だ。

 人類はまだ時間のコントロールを達成しておらず、もしタイムトラベルなどが可能となって過去の出来事を変えたら現在はどう変化するのかについて実証することができない。だが、過去を変えると今ある現在が変わるという設定は、どうも理屈では理解しにくい。過去のある出来事を変えたら、それだけが変わるのではなく、もっと大きな変化をもたらすはずである。それが無視され、単純化されて、都合のいい物事にしか変化が現れない。「Mark Antony」は決して論理的な解釈をしてはいけない映画である。

 見るべきなのはタイムトラベルをギャング映画と結びつけた発想である。ギャング映画として見た場合、「Mark Antony」はアントニーとジャッキー、そしてその息子世代であるマークとマダンの間の抗争になるが、直接戦うよりも、タイムフォンを使って現在を自分に有利に変えて優位に立とうとする点が斬新である。

 また、1975年も1995年も現在から見たらかなり昔であり、ノスタルジーを催す。当時の映画、映画スター、映画音楽などが引き合いに出され、それぞれの時代を生きたタミル語映画ファンへのサービスとなっている。特に話題になっているのが、1975年の場面で登場する、タミル語映画界のセックス・シンボルとして人気だったシルク・スミターだ。「The Dirty Picture」(2011年)でヴィディヤー・バーランが演じたシルクのモデルになった人物である。「Mark Antony」でシルク・スミターを演じたのはヴィシュヌプリヤ・ガーンディーというそっくりさん女優だが、さらにCGI処理が施されており、本人そのままになっている。ただ、シルクが人気になったのは1980年代であり、1975年に彼女が映画スターとして登場するのは時代考証上おかしい。

 特に序盤は展開がかなり早く、付いていくのに苦労する。人間関係はアニメ画とナレーションによってそそくさと紹介され、アントニーの死の真相も語りと断片的な映像によってスピーディーに明かされる。まるで「K.G.F」シリーズ(2018年2022年)のようである。このままのスピードで全編が進んでいったら大変だと思っていたが、次第にペースがゆっくりになり、映画に集中できるようになった。

 ヴィシャールとSJスーリヤーが一人二役で競演した映画であった。どちらも親と子を一人で演じた。親子ながら性格は異なり、メイクアップによって外見に変化が付けられていたが、やはり両者とも演技による演じ分けによって特徴付けを行っていた。特に終始エキセントリックな演技で魅せていたのがスーリヤーの方だ。大物感と小物感を自由自在に演じ分けられる俳優である。怪演技といっていい。

 「Mark Antony」は、タイムトラベルとギャング映画を融合させた変わり種のSF映画である。過去を変えることで現在がコロコロ変わる設定には安っぽさを感じたものの、ヴィシャールとSJスーリヤーが一人二役で競演し映画を盛り上げていた。興行的にも大成功し、ヴィシャールをスターに押し上げた。必見の映画である。