Bobby

4.0
Bobby
「Bobby」

 1973年9月28日公開の「Bobby」は、巨匠ラージ・カプールが監督をした、1970年代を代表するロマンス映画である。当時は10代の恋愛を描いた映画が珍しく、エポックメイキングな作品になった。ラージ・カプール監督は米国アーチー・コミックの作品群を参考にしてこの映画を作ったといわれている。

 音楽監督はラクシュミーカーント=ピャーレーラール。主演はリシ・カプールとディンプル・カパーリヤー。リシは「Shree 420」(1955年)や「Mera Naam Joker」(1970年)に子役として出演したことがあるが、主演は初である。また、ディンプルにとっては本作がデビュー作であった。

 他に、プレーム・ナート、プラーン、プレーム・チョープラー、ソニア・サーニー、ドゥルガー・コーテー、アルナー・イーラーニー、ファリーダー・ジャラールなどが出演している。

 2025年4月12日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 ラージ・ナート(リシ・カプール)はボンベイ在住の大富豪ラーム・ナート(プラーン)とその妻スシュマー(ソニア・サーニー)の一人息子だった。だが、両親は子育てに時間を割かず、ラージは乳母のブラガンザ夫人(ドゥルガー・コーテー)に育てられた。ラージは全寮制学校で学び、卒業してボンベイに帰ってくる。このときラージは19歳になっていた。

 ラージは、ブラガンザの孫娘ボビー(ディンプル・カパーリヤー)と出会い、恋に落ちる。ボビーは16歳の少女だった。だが、ボビーの父親ジャック(プレーム・ナート)は漁師であり、ブラガンザ家とナート家の社会的地位には大きな隔たりがあった。ボビーと結婚したいと言い出したラージに対しラームは彼女の父親を連れてくるように言う。両家の顔合わせは失敗に終わり、ラームとジャックは大げんかをする。

 ラームはラージを大富豪ペストンジーの娘アルカー(ファリーダー・ジャラール)と結婚させようとする。だが、アルカーは子供っぽい言動の女性であり、ラージは自分が売られたと感じる。ラージは家を飛び出し、ボビーのいるゴアへ向かう。ボビーはブラガンザ夫人と共にいたが、ラージが家出をしてきたと知って彼を叱り、ラージとボビーを閉じこめてラームを呼び寄せる。ラームはジャックと共にゴアを訪れるが、そのときまでに二人は逃げ出していた。

 ラームはラージに懸賞金25,000ルピーを掛けて捜索する。ラージとボビーは懸賞金を狙ったプレーム・チョープラー(プレーム・チョープラー)とその一味に捕まりそうになるが、そこへラージとジャックが助けに入る。ラージとボビーは二人から逃げるため崖から川に飛び込むが、ラージとジャックが彼らを助ける。二人とも心変わりを起こしており、ラージとボビーの結婚を認める。

 ラージ・カプール監督は、多額の製作費を掛けて作った野心作「Mera Naam Joker」を盛大に外してしまい、借金で首が回らなくなっていた。その財政難を打開するために作られたのがこの「Bobby」であった。この映画がヒットしなければカプール監督は破産するところであったが、金をもうけることを最優先してヒットを狙ったこの作品は大ヒットになって、カプール監督も無事に借金を返済することができた。なるべく製作費を抑えるため、大スターを起用せずに、新顔のリシ・カプールとディンプル・カパーリヤーを主演に抜擢し、若者映画という体裁にした。この映画を観る際には、そんな製作の経緯を知っておいた方がいいだろう。

 「Bobby」は数あるラージ・カプール監督作の中でも最大のヒットとされているが、興行的な成功とは裏腹に、映画としての完成度は決して高くない。ロマンス映画ではあるが、ラージとボビーの関係がどのように育まれていったのかロジカルに提示されていないし、ボビーのキャラクターも「21世紀の女性」を自称している割には奥手なところもあって不安定かつ不明瞭だ。不必要な歌と踊りのシーンが多く、冗長にしてしまっている。最後のまとめ方も唐突すぎる。カプール監督の作品の中では最大のヒットかもしれないが、最高傑作とはいえない。

 ただ、インドにおいて「Bobby」が後世のロマンス映画に与えた影響は大きい。まず、階級の垣根を越え、親の反対を乗り越えて恋愛結婚を成就してみせた点が非常に新しく、インドのロマンス映画の定型パターンになった。ラージの属するナート家はヒンドゥー教徒の富裕層であり、ボビーの属するブラガンザ家はキリスト教徒の低所得層だ。本来ならば宗教の差もあるはずだが「Bobby」では宗教の話題には触れられておらず、純粋に社会的・経済的な格差が強調されていただけだった。また、製作費を抑えるための苦肉の策だった「若者映画」「青春映画」という触れ込みが怪我の功名で功を奏し、インド映画業界がティーネイジャーのロマンス映画に関心を寄せるきっかけにもなった。「Bobby」ではファッションや音楽の面で若者文化が礼賛されていることも注目され、それは1990年代に至ってアーディティヤ・チョープラーやカラン・ジョーハルといった映画メーカーたちに引き継がれていく。

 リシ・カプールは「Bobby」の大ヒットによって一躍スターとなり、以後もロマンス映画を中心に活躍する。一方、当時としては大胆な赤いビキニを着たことが話題になったディンプル・カパーリヤーも人気女優になるはずであったが、公開時には当時の大スター、ラージェーシュ・カンナーと既に結婚しており、早々と引退してしまう。結婚時、ディンプルはまだ15歳だった。彼女が再び銀幕に戻ってきたのはカンナーとの離婚後の1984年だった。

 挿入歌の数は多すぎるきらいがあったが、それでも現在まで愛されている名曲がいくつかある。もっとも有名なのは「Main Shayar To Nahin(私は詩人ではない)」だ。「詩人ではないはずの私があなたを見たら詩人になってしまった」という歌詞のバラードであり、今でもよく口ずさまれる。ラージとボビーが小屋に二人きりで閉じこめられてしまったときに流れる「Hum Tum Ek Kamre Mein Band Ho(あなたと私はひとつの部屋に閉じこめられた)」は、性的な展開を匂わすシチュエーションを歌った曲で、当時は若者に大いに受けたことだろう。

 映画の中では保護者の同意なく結婚できる年齢が話題になっていた。ラージは19歳、ボビーは16歳であったが、まだ結婚するには保護者の同意が必要だとされていた。ただ、本人の意思のみで結婚できる年齢が男性21歳、女性18歳に引き上げられたのは1978年であり、この映画の公開時には男性18歳、女性16歳だったのではないかと思う。そうだとするとラージとボビーは保護者の同意なく結婚できたはずである。この辺りはもう少し詳しく調べてみる必要がある。

 「Bobby」は、「Mera Naam Joker」の大失敗のために借金地獄に陥ったラージ・カプール監督が借金返済のために投資対効果の最大化を狙って作った作品であったが、それが功を奏して新鮮な若者映画が生まれ、トレンドセッターになった。人物設定や筋書きに甘さが見られ、決してカプール監督の最高傑作ではないが、興行的にもっとも成功した作品であり、彼を財政的に救った映画でもある。インド映画史において非常に重要な作品だ。観て損はない。