2024年7月26日からZee5で配信開始された「Chalti Rahe Zindagi(人生を生きていこう)」は、新型コロナウイルスの感染拡大によりインド全土にロックダウンが敷かれた頃の様々なエピソードをオムニバス形式でひとつの映画にまとめた作品である。この映画自体がコロナ禍に撮影された。
監督はアールティ・S・バーグリー。過去に何本か映画を撮っているが未見である。キャストは、スィーマー・ビシュワース、バルカー・セーングプター、インドラニール・セーングプター、ローヒト・カンデールワール、マンジャリー・ファドニス、スィッダーント・カプール、トリマーラー・アディカーリー、スミター・バールティー、ヴァイバヴ・アーナンド、フローラ・ジャコブ、プリヤル・パンドールワーラー、アナヤー・シヴァン、ミーラー・セーングプター、ハルシュ・ゴーガリヤーなど。
舞台はムンバイーの中級団地(ソサイエティー)であり、登場人物の大半はこのソサイエティーの住民だ。インドでコロナ禍が始まる2020年始めから物語が始まる。映画は3部構成で、第1部は「Parda(カーテン)」、第2部は「Bread(パン)」、第3部は「Ab Normal Hai(もう普通だ/普通ではない)」と題されている。それぞれの部に主要キャラは存在するが、それぞれの登場人物がお互いにつながっており、それぞれが完全に独立したエピソードではない。
アールー(バルカー・セーングプター)は、夫のガウラヴ、娘のイーシャーと共にソサイエティーに暮らしていた。ロックダウンが始まったとき、ガウラヴは外出していて留守だった。なかなか帰ってこなかったのでアールーが心配していると、ガウラヴは、ソサイエティーに新しく引っ越してきたバルカーの家にいることが分かる。バルカーは向かいのB棟に住んでいた。バルカーの夫アルジュン(インドラニール・セーングプター)が留守の間、ガウラヴはバルカーと密会し不倫をしていたのである。しかも、B棟でコロナ陽性者が出て封鎖されてしまった。ガウラヴとバルカーは検査で陰性にならないと解放されそうになかった。そんなとき、アルジュンが帰ってくる。自宅には戻れなかったため、アールーは彼を自宅に招き入れる。アールーは常に家のカーテンを閉めていたが、アルジュンはそれを開けさせる。アールーはアルジュンと共に初めてタバコを吸う。
クリシュナ(スィッダーント・カプール)は、ソサイエティーの住民に日用品を届ける仕事をしていた。コロナ禍になっても彼は住民のために食料品や薬などを届けていた。アーカーシュ(ローヒト・カンデールワール)はニュースアナウンサーの卵だったが、ロックダウンになったため、自宅からネットを使って発信をしていた。クリシュナはアーカーシュを慕っており、彼に毎日自作の詩を朗読する動画を送っていた。だが、ロックダウンが長引くと、クリシュナは食料品を調達できなくなり稼げなくなった。とうとう家賃が払えなくなったため、クリシュナは妻子を連れて故郷の村まで徒歩で移動することにする。だが、途中で列車に轢かれて死んでしまう。
古典舞踊教師ナイナー(マンジャリー・ファドニス)は強迫性障害を患う70歳の義母リーラー(スィーマー・ビシュワース)と娘のスィヤーと共に暮らしていた。ナイナーは新型コロナウイルスに過敏反応しており、ナイナーやスィヤーに消毒の徹底をしつこいくらい強要していた。しかも、マスクや消毒液などを盗んで溜め込んでいた。ナイナーは義母の症状が悪化していることに悩んでいた。しかも、ロックダウンのせいで生徒が減り、生活が苦しくなりつつあった。とうとうストレスからナイナーにも強迫性障害のような症状が現れる。異変に気付いたリーラーとスィヤーは彼女を慰め、安心させる。
ロックダウンが解除され、ナイナーのダンススタジオは再びオープンする。アルジュンとバルカーは離婚していた。アールーもガウラヴとは住んでいなかった。アーカーシュはクリシュナを追悼するビデオをアップロードして共感を呼び、ニュースアナウンサーの仕事を得る。
コロナ禍やロックダウン中に新聞やニュースで見聞きしたようなエピソードを盛り込んだ作品である。オムニバス形式ということで、それぞれのエピソードが深掘りされているわけではない。さらに、コロナ関連の映画はヒンディー語映画界に限っても既に何本も作られており、既にコロナ禍が遠い過去の出来事のように思えるようになった2024年に公開されたのは、「満を持して」と表現するよりも、時機を逸してしまったという印象の方が強い。
第1部の物語の要点は、ロックダウンによってあぶり出された不倫である。ガウラヴはリーラーと不倫関係にあったが、彼らが不倫をしている間にロックダウンに移行し、身動きが取れなくなってしまう。さらに、近くでコロナ陽性者が出たため、検査も受けなければならなくなる。ガウラヴの妻アールーは、夫の不倫を知りショックを受ける。そして、その仕返しとばかりに、リーラーの夫アルジュンを自宅に招き入れる。アルジュンも妻の不倫を知ることになる。ロックダウンという異常な環境の中で、サレ夫とサレ妻同士の彼らは奇妙な友情を交わし始める。そんな行き所のない感情を描いたエピソードだった。
第2部は、都市部に出稼ぎに来ていた移民たちがロックダウンによって食い扶持を失い、一斉に村に向かって移動し始めたという、ロックダウン中もっとも話題になったトピックを扱っている。公共交通機関もほぼ停止しているため、彼らの多くは徒歩で何百キロも移動した。その途中、事故に遭ったり病気になったりして死ぬ者もいた。クリシュナも犠牲になった一人だった。線路で寝ていたところ、突然列車が通過し、轢かれてしまったのである。だが、クリシュナは詩人でもあり、自作の詩を動画にして送っていた。彼の死後、その動画は大いにバズり、多くの人々に知れ渡ることになる。
クリシュナが作った以下の詩の一部から、題名も引用されている。
गुज़रा हुआ कल छोड़ दे।
आनेवाला कल थाम ले।
जो हो गया सो हो गया।
किसी को न इलज़ाम दे।
ग़मों का सौदा घटता रहे।
बढ़ता रहे पल पल ख़ुशी।
उम्मीद का जुगनूँ जलता रहे।
चलती रहे ज़िंदगी।
過ぎ去った過去は忘れろ
やってくる未来を抱きしめろ
起きたことは仕方がない
誰も責めてはいけない
悲しみの応酬は減るように
喜びはどんどん増えるように
希望の蛍は光り続けよ
続いていけ、人生よ
素朴な単語のみで構成された、分かりやすく、しかし力強い詩で、絶妙に素人っぽさがあって、映画の雰囲気にピッタリだ。クリシュナの死後、彼の妻はこの動画を見て、涙する。まるで自分の死を予感し、残された妻子にエールを送っているかのようだ。
第3部は、コロナ禍によって強迫性障害を悪化させた老婆と、彼女のケアに疲れ果てた嫁の物語だ。老婆リーラー役を演じたスィーマー・ビシュワースの演技が素晴らしく、新型コロナウイルスを必要以上に恐れる姿を、身体と言葉、あらゆる手段を使って表現していた。
全体として、決してコロナ禍をネガティブに描出した作品ではないと感じた。不幸な出来事もあったが、コロナ禍を経て、よい方向に人生が変わった人もいた。どんなことがあっても、前向きに生きていくことを忘れてはならないというメッセージが発信されていたといえる。
「Chalti Rahe Zindagi」は、コロナ禍のインドで起きた様々な出来事をオムニバス形式でまとめた映画である。実際にロックダウン中に苦労して撮影されたとされる。ほとんど有名な俳優もおらずとても地味な作品だが、コロナ禍を前向きに捉えようという明るさが感じられる点はユニークだ。これといったものはないが、悪い映画ではない。