Sector 36

3.5
Sector 36
「Sector 36」

 2006年、デリー近郊の新興都市ノイダでインド中を揺るがす連続殺人事件が起こった。ノイダのセクター31と、近接するニターリー村から大量の人骨が発見され、それらが、過去2年間この地域で行方不明になっていた子供たちのものだと明らかになったのである。一般に「ニターリー事件」と呼ばれている。この事件への関与を疑われ、セクター31に住む実業家モーニンダル・スィン・パンデールとその使用人スリンダル・コーリーが逮捕された。彼らは近所の子供たちを次々に誘拐して殺害し、遺体を遺棄したとされた。ただ、その動機については、児童ポルノや臓器密売のアングルから捜査が行われたが、解明されていない。一旦は彼らに死刑判決が出たのだが、被告側が控訴し、公判は続けられた。そして事件発生から17年後の2023年にイラーハーバード高等裁判所は証拠不十分を理由に彼らを無罪放免にし、世間を驚かせた。

 2024年9月13日からNetflixで配信開始の「Sector 36」は、ニターリー事件をベースにした作品だ。ただし、ニターリー事件の真相究明を目的とした映画というよりも、警察を含む「システム」の実情をさらけ出し問題提起することに主眼が置かれている。ニターリー事件はあくまでそのための手段に過ぎない。日本語字幕付きで配信されており、邦題は「セクター36」である。

 題名や舞台を「セクター31」から「セクター36」に変えたのは配慮なのだろうか。しかし、ノイダのセクター36も実在する住所であり、その住民からすればこの変更はいい迷惑だ。ちなみに、ノイダのセクター36はセクター31に近接している。もっとも、事件現場はデリーのシャーダラー署の管轄ということになっており、「ノイダ」の名前は出て来ない。さらに、シャーダラーに「セクター○」という住所はない。よって、「ノイダ セクター31」を「シャーダラー セクター36」に変えたということだろう。

 監督はアーディティヤ・ニンバルカル。新人であるが、似たような題材の映画「Talvar」(2015年)で脚本を担当した人物である。また、「Haider」(2014年)などで助監督を務めており、ヴィシャール・バールドワージ監督に薫陶を受けたことがうかがわれる。

 キャストは、ヴィクラーント・マシー、ディーパク・ドーブリヤール、アーカーシュ・クラーナー、ダルシャン・ジャリーワーラー、バハールル・イスラーム、アジート・スィン・パーラーワト、マハーデーヴ・ラーカーワトなどである。

 2005年。デリーのシャーダラー署に勤める警察官ラームチャラン・パーンデーイ警部補(ディーパク・ドーブリヤール)は、管轄地域で行方不明になる子供が多発していることに気付きながらも放置していた。セクター36のドブからは遺体も見つかったが、それでも動きは鈍かった。だが、自分の娘ヴェードゥーが誘拐されそうになったことで、事件の捜査に本腰を入れるようになる。

 パーンデーイ警部補は捜査の過程で、セクター36に家を持つ実業家バルビール・スィン・バッスィー(アーカーシュ・クラーナー)とその使用人プレーム・スィン(ヴィクラーント・マシー)に疑いを持った。だが、バッスィーはシャーダラー署のトップであるジャワーハル・ラストーギー警部(ダルシャン・ジャリーワーラー)や内務大臣の息子の旧友だった。パーンデーイ警部補がバッスィーやプレームの捜査に取りかかろうとしたところ、ラストーギー警部から制止された。それを無視して捜査を進めようとすると、パーンデーイ警部補は停職処分になってしまう。

 ところが、ラストーギー警部は世間で注目を集めていた大富豪の息子の誘拐事件を解決したことで昇進し、シャーダラー署から異動になる。パーンデーイ警部補の停職も解けた。彼は停職中、プレームの動きを見張っており、新しい証人も得ていた。新しくシャーダラー署に赴任してきたブーペン・サイキヤー警視(バハールル・イスラーム)はパーンデーイ警部補の情報を信じ、プレームに事情聴取する許可を出す。

 連行されたプレームは自ら殺人の自白を始める。プレームの供述により、行方不明になっていた子供たちの遺骨がバッスィー宅やその周辺から大量に見つかった。バッスィーの関与も浮上し、プレームとバッスィーは逮捕される。だが、国内捜査機関IBIに異動していたラストーギーはバッスィーを助けるためにパーンデーイ警部補を停職にさせる。

 パーンデーイ警部補は留置所にいたプレームと話し、彼の実家に重大な証拠があるという情報を得る。彼はプレームの村まで出向き、彼の妻から、バッスィーとプレームが児童ポルノ作成や子供たちの殺害に関わっていた動かぬ証拠を得る。だが、彼はラストーギーの息の掛かった刺客に殺されてしまう。

 映画の冒頭では、ニュートンの「運動の第3法則」について語られる。これはいわゆる「作用反作用の法則」だ。何らかの物体に力を加えると、それと同じ強さだが逆向きの力で押し返す力が働くというものである。主人公のパーンデーイ警部補は、国家よりも個を優先し不正の温床となっている「システム」に対して、警察官としての正義感から、力を加えようとした。よって、彼はその反作用の力を受けることになる。物語を一言で言い表すならば、これになる。

 ニターリー事件をモデルにした児童連続誘拐殺人事件は、あくまでパーンデーイ警部補によるシステムとの戦いを演出するための乗り物になっていたにすぎない。この事件では、容疑者のバッスィーに非常に強力なコネがあり、内務省や警察上層部から彼にもみ消し圧力が加わった。しかも、パーンデーイ警部補は欲に目がくらんだ部下からの裏切りにも遭い、重要な証人を失った上に、最後には殺されてしまう。結局、彼にはシステムを変えることはできなかった。

 ただ、それでは何の救いもないエンディングになってしまう。一旦映画が終了した後、エンドロールの直前に、後日譚的にちょっとした映像が差し挟まれる。パーンデーイ警部補は行方不明ということになっており、彼を裏切り権力に迎合したシュラヴァン・クマール・パータクがパーンデーイ警部補の後釜に座っていた。だが、パータクの部下ビシュノーイー巡査の中にはまだ良心が残っていた。彼の自宅に、児童連続誘拐殺人事件の重要な証拠が収められたCD-ROMが届く。そこで映画は終わるため、CD-ROMを受け取った彼がその後どのような行動に出るのかは描かれていない。だが、一縷いちるの望みが示されていた。

 他の多くのインド映画と同様に、物語の進行の途中にお祭りが差し挟まれ、そこに意味が込められている。

 物語はちょうどナヴラートリ祭やダシャハラー祭の時期から始まる。ベンガル人はこの時期、ドゥルガー女神を礼拝するドゥルガー・プージャーを行い、北インド一体ではラームリーラーという「ラーマーヤナ」を題材にした野外劇が催される。どちらも「悪に対する善の勝利」を象徴したお祭りだ。羅刹王ラーヴァナの巨大な像を燃やすラーヴァナ・ダハンが行われた夜、パーンデーイ警部補の娘が誘拐されそうになる。それまで、近辺で多発していた子供の誘拐事件を他人事と考えていたパーンデーイ警部補は、事態の深刻さをようやく理解し、犯人逮捕に全力を傾けるようになる。彼の内面において良心が勝利したのである。また、ラーヴァナはスィーター姫を誘拐したことで悪名高い。当然、誘拐事件と重ね合わされている。

 その後、映画の中では時間が流れてディーワーリー祭の時期になる。ダシャハラー祭から20日後に行われる祭りで、ラーマ王子の帰還やラクシュミー女神の到来を祝う。上司の忠告を聞かずにバッスィーを容疑者として追及しようとしたことで停職処分になったパーンデーイ警部補は、ディーワーリー祭を境に停職を解かれ復職する。

 このように、祭りの描写によって時間の流れを表現すると同時に、そこに意味づけも行われている。これはインド映画でよく使われる技法である。

 2005年を時代背景とした映画であり、時代考証にも一定の努力が払われていた。たとえばまだスマホ登場前であり、携帯電話といえばフィーチャーフォンであった。ラップトップPCを開けば、そこにはWindows XPのデスクトップ画面が表れた。また、映像の記憶媒体はCD-ROMであった。よりストーリーに深く関わってくるのはTV番組だ。この時代、アミターブ・バッチャンが司会を務めるクイズ番組「Kaun Banega Crorepati(誰が億万長者になるか)」が人気を博していた。日本の「クイズ・ミリオネア」と同じ形式のクイズ番組だ。「Sector 36」の中では若干名称が変更されており、「Sab Banenge Crorepati(誰もが億万長者になるだろう)」、略称「SBC」になっていた。プレームはSBCの大ファンという設定だった。

 パーンデーイ警部補の捜査を邪魔しようとするラストーギー警部は、昇進後に「IBI」と呼ばれる捜査機関のトップになっていた。これは明らかに「CBI」のもじりだ。「CBI」は「Central Bureau of Investigation(中央捜査局)」を意味するが、おそらく「IBI」は「Indian Bureau of Investigation(インド捜査局)」のことなのだろう。実際のニターリー事件でも、捜査はある時点からCBIに委ねられた。

 演技面では、ヴィクラーント・マシーとディーパク・ドーブリヤールの激突が最大の見どころだった。どちらも演技力の高さで定評のある俳優たちだが、「Sector 36」ではさらに自らのレベルを引き上げる演技を見せていた。ヴィクラーント演じるプレームは猟奇的な殺人鬼であり、警察に自らが過去に行った殺人をベラベラとしゃべる。その狂気を、大袈裟に表現するのではなく、淡々と抑え気味に演じ、逆に怖さを倍増させていた。ディーパクはどちらかといえばコメディアンの印象が強いが、今回は一切笑いに関わらず、システムに立ち向かう警察官を熱演していた。

 「Sector 36」は、2000年代半ばのインドを震撼させたニターリー事件にインスパイアされながらも、その再現や真相究明に留まることなく、インド社会が抱えたより大きな問題に切り込もうとする、地味ではあるが野心的な作品である。最初から犯人が明らかになっているためにサスペンス要素は希薄で、エンディングの前に主人公が殺されてしまうなど、うまく片付いていない部分もあったが、ヴィクラーント・マシーとディーパク・ドーブリヤールの名演に何より釘付けになる。観て損はない作品である。

 ちなみに、この作品の日本語字幕はかなり酷かった。「プレーム」が「プリム」になっているなど、不正確な表記が目立ったし、「クリケット」を「野球」に置き換えてしまうなど、強引な翻訳もあった。翻訳者は映画を観ずに字幕を翻訳したのではなかろうか。この映画については、字幕を信じて観てはいけない。