1973年5月11日公開の「Zanjeer(鎖)」は、主演アミターブ・バッチャンを「アングリー・ヤングマン」の異名を持つスーパースターに押し上げるきっかけを作り、それまでロマンス映画一辺倒だったヒンディー語映画界のトレンドをガラリと変えてしまったアクション映画である。当時を代表する脚本家コンビ、サリーム=ジャーヴェードの初期の作品のひとつでもある。アミターブ主演のサリーム=ジャーヴェード作品としては初めてとなる。
監督は、娯楽映画を得意とするプラカーシュ・メヘラー。音楽監督はカリヤーンジー=アーナンドジー。ヒロインは、当時アミターブと婚約中だったジャヤー・バードゥリー(後のジャヤー・バッチャン)が演じている。他に、アジト・カーン、ビンドゥー、プラーン、オーム・プラカーシュ、イフテカール、マック・モーハンなどが出演している。
サリーム=ジャーヴェードのドキュメンタリー・シリーズ「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」(2024年)を観て彼らの作品を見返したくなり、2024年9月2日に鑑賞してこのレビューを書いている。
舞台はボンベイ。ヴィジャイ・カンナー(アミターブ・バッチャン)は幼少時に両親を謎の刺客に襲われ、以来それがトラウマになっていた。両親を殺した男の右手には白馬の飾りが付いたチェーンがぶらさがっていたのをよく覚えていた。ヴィジャイの父親ランジートを知っていた警察官にヴィジャイは育てられ、彼も警察官になった。正義感が強いが直情的な彼の性格は、上司のスィン警視総監(イフテカール)を心配させていた。しかしながら、ヴィジャイは、違法賭博場を経営していたシェール・カーン(プラーン)と対決してねじ伏せ、彼を改心させるという手柄も立てる。以降、シェールはヴィジャイの親友になり、ガレージでメカニックをして生計を立てるようになった。
ヴィジャイは、謎の人物から密造酒に関するタレコミを受け取るようになる。しかもその情報は正確で、ヴィジャイは密造酒の取り押さえに成功する。密造酒のビジネスは、実業家ダルムダヤール・テージャー(アジト・カーン)が闇で行っていた。ヴィジャイはテージャーの関与を証明する証拠を得るために、密造酒を運搬するトラックの運転手を目撃した研磨屋マーラー(ジャヤー・バードゥリー)に犯人の特定を依頼する。マーラーはテージャーの手下から大金を受け取って沈黙を守る約束をしていたが、ヴィジャイの怒りと熱意に感化され、犯人特定に協力する。マーラーは命を狙われるようになるが、ヴィジャイが匿い助ける。ヴィジャイとマーラーの間には恋が芽生える。
テージャーはヴィジャイに収賄の冤罪を着せて刑務所に6ヶ月間放り込む。刑期を終えたヴィジャイは刑務所から出て来るが、警察官の職は失ってしまっていた。しかも、マーラーに復讐を諫められたため、ヴィジャイはテージャーと休戦することにする。ヴィジャイにタレコミをしていたデシルヴァ(オーム・プラカーシュ)からさらなるタレコミを受けてもヴィジャイは動こうとしなかった。
ヴィジャイと休戦したはずのテージャーはそれを反故にし、手下にヴィジャイを襲わせる。シェールの助けもあってヴィジャイは助かる。マーラーはヴィジャイに復讐を許す。ヴィジャイはシェールと共にデシルヴァのところへ行き、彼から密造酒工場の情報を得る。ヴィジャイとシェールは工場に突入し、そこの労働者からテージャーの関与の証拠を引き出す。スィン警視総監はテージャーの家や工場を急襲して封鎖する。テージャーは愛人モーナー(ビンドゥー)と共に逃げようとするが、ヴィジャイに止められる。ヴィジャイはこのとき、テージャーこそが父親を殺した犯人だということにも気付く。ヴィジャイはテージャーを打ちのめ殺そうとするが、駆けつけたスィン警視総監が彼を逮捕する。テージャーが銃を奪って抵抗しようとしたため、ヴィジャイは彼を撃ち殺す。
今でこそヒンディー語映画界のレジェンドとして尊敬されているアミターブ・バッチャンだが、デビュー以来決して順風満帆ではなく、むしろ多くの出演作がフロップ続きで、ダメ俳優の烙印を押されようとしていた。「Zanjeer」の主演にアミターブを推挙したのはサリーム=ジャーヴェードだったとされる。彼らは、アミターブ出演作の失敗はアミターブの責任ではないと感じ、むしろ彼に才能を見出していた。彼らが思い描いた主人公ヴィジャイを演じるのにアミターブはピッタリだった。「Zanjeer」は大ヒットし、この作品でアミターブが演じた「アングリー・ヤングマン」のキャラは彼のトレードマークになった。アミターブの人気は、業界がたった一人のスーパースターに支えられていることを揶揄する「ワンマン・インダストリー」という言葉ができるほど圧倒的になった。その全てはこの「Zanjeer」から始まった。
アミターブの演じるヴィジャイは、両親を刺客に殺されたという暗い過去を背負い、警察官ながら正義感が強すぎて時に行き過ぎた行動をしてしまうという一触即発のキャラだ。ジョークが通じず、ほとんど笑顔も見せない。そしてファイトシーンではかなり派手に動き回って戦う。この映画中、彼が唯一笑顔を見せるのは、親友シェール・カーンの誕生日パーティーのみだ。当時、ヒンディー語映画界を席巻していたロマンティック・ヒーローとは正反対のキャラであった。それが新鮮に映ったのであろう。
ただし、ヴィジャイは映画中、一貫して怒り行動し続けたわけではなかった。彼は悪役テージャーにはめられて服役し、警察官の職を失う。出所した後は早速テージャーへの復讐に燃えるが、愛するマーラーから「目には目を」の復讐は何も生まないとたしなめられ、なんとテージャーと手打ちする。「目には目を、が世界を盲目にした」とはマハートマー・ガーンディーの言葉だとされるが、ヴィジャイは一時的にガーンディーが提唱したような非暴力主義に傾くのである。ヴィジャイはマーラーと共にボンベイを去り、どこかで平穏に暮らすことを夢見るようになる。
だが、テージャーにはヴィジャイを見逃すつもりがなかった。ヴィジャイはテージャーの手下たちに襲われ瀕死の重傷を負う。また、マーラーは「溜まったマグマを噴出させないと平和は訪れない」と悟り、ヴィジャイに復讐を許可する。こうしてアクション映画らしい結末へと映画が再度動き出す。
時代もあると思うが、プラカーシュ・メヘラー監督の映像表現に何ら新規性はなく、シーンとシーンのつなぎは下手で、サリーム=ジャーヴェードの脚本にも荒々しさが残っていた。ヒロインのジャヤー・バードゥリーとセカンドヒロインのビンドゥーも添え物に過ぎなかった。つまり、決して完成度の高い映画ではなかった。両親を殺した刺客が身に付けていたチェーンを題名にし、ここまで意味を持たせたなら、もっとこの小道具を有効活用しても良かったのではなかろうか。テージャーは最初から悪役であり、ヴィジャイは彼を追い詰める中で彼が両親を殺した犯人だということに気付くが、むしろテージャーを恩人に仕立てあげて、後から彼の正体が分かるとした方がよりドラマ性が出ただろう。
しかしながら、恋愛、友情、仇討ちなど、様々な娯楽要素がバランス良く配置され、マサーラー映画として完成されている点は否定できない。音楽も良く、その使い方も効果的だった。ヴィジャイとマーラーの心情を代弁した「Deewane Hai, Deewanon Ko Na Ghar Chahiye」、友達思いのシェールの気持ちを歌にした「Yaari Hai Imaan Mera Yaar Meri Zindagi」など、ストーリーを盛り上げる曲が多かった。
「Zanjeer」は、失敗作続きだったアミターブ・バッチャンを時代の寵児に変貌させた作品であり、ヒンディー語映画界のトレンドを大きく変えてしまったこともあって、ヒンディー語映画史では重要な位置を占めている。当然、1973年の大ヒット作の一本に数えられている。ただし、今から見返すと弱い部分もある作品だ。クラシック作品としてある程度差し引いて鑑賞する必要がある。