「English Vinglish」(2012年)に続けて観たのは、2012年9月28日公開のコメディー映画「OMG: Oh My God!」である。やはり大ヒットとなっている。内容は神様に対して訴訟するという奇想天外なもので、ヒンディー語映画界でコメディアンとしてもっとも脂の乗っているパレーシュ・ラーワルが制作・主演。プロデューサー陣にはアクシャイ・クマールも名を連ね、クリシュナ役で出演もしている。ウメーシュ・シュクラー監督自身のグジャラーティー語劇「Kanji Virudh Kanji」を原作としているが、オーストラリア映画「The Man Who Sue God」(2001年)とプロットの類似も指摘されている。
監督:ウメーシュ・シュクラー
制作:アシュヴィニー・ヤールディー、アクシャイ・クマール、パレーシュ・ラーワル
原作:ウメーシュ・シュクラー「Kanji Virudh Kanji」(グジャラーティー語劇)
音楽:ヒメーシュ・レーシャミヤー、サチン・ジガル、ミート・ブラザーズ・アンジャーン
歌詞:シャッビール・アハマド、サミール、スブラート・スィナー、クマール、スワーナンド・キルキレー
出演:パレーシュ・ラーワル、アクシャイ・クマール、ミトゥン・チャクラボルティー、オーム・プリー、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、プーナム・ジャヴェール、ムラリー・シャルマー、ルビナー・サリーム、ニキル・ラトナパルキーニディ・スバーイヤー、ティスカ・チョープラー、プラブデーヴァー(特別出演)、ソーナークシー・スィナー(特別出演)
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞、満席。
グジャラート商人家系のカーンジー・ラールジー・メヘター(パレーシュ・ラーワル)はムンバイーで神像などを売る店を経営していたが、自身は神様も天罰も信じない無神論者であった。安物の神像を高値で売り払ってボロ儲けをしていた。 クリシュナ生誕祭の日、ムンバイー各地では盛大にダヒー・ハンディー(空中高くに吊り下げられた壺を組体操のように人間の塔を作って割る儀式)が行われていた。カーンジーは自分の息子チントゥーがこの危険な儀式に参加していることをテレビで知り、現場に駆けつけて止めさせる。祭りを邪魔されたことで、その場に居合わせたヒンドゥー教の高僧スィッデーシュワル・マハーラージ(ゴーヴィンド・ナームデーヴ)は激怒し、カーンジーに天罰が下るぞと忠告する。だがカーンジーは全く動じない。まるで神様が怒りを表現したかのように地震も起こるが、それでもカーンジーは神様の存在を信じなかった。そればかりかカーンジーのホラによって、インド中でクリシュナ像がバターを食べるとの噂が広がり、大混乱が生じた。 カーンジーはその騒動を面白がってテレビで見ていたが、先程の地震で自分の店だけが大被害を受けたことを知る。カーンジーの家族や世間は天罰が下ったと考えるが、カーンジーは保険に入っていたためにどこ吹く風であった。早速必要書類を持って保険会社を訪れる。 しかし、契約書の条項の中に、「神様の行為(Act of God)」での被害については保険会社は責任を一切負わないとの記述があり、それを盾に保険会社からは保険金の支払いを拒否された。もはやカーンジーは笑っていられなくなった。店を開くときにカーンジーは自宅を抵当にして借金をしていた。このままでは家を追い出されてしまう。店の跡地も、神像が壊れて埋もれた土地として不吉だとされ、買い手が付かなかった。 窮地に陥ったカーンジーは神様を訴えることを決意する。だが、裁判所へ行っても神様を訴えるということで弁護士は皆逃げてしまった。そこでカーンジーは弁護士ハニーフ・クライシー(オーム・プリー)を訪ねる。ハニーフはイスラーム教徒でありながらムンバイー暴動の際に被害を受けたヒンドゥー教徒の側に立って弁護をした正義派弁護士であった。だが、そのときにイスラーム教徒コミュニティーからリンチを受け、下半身不随となっていた。ハニーフは法的文書作成などの面でカーンジーを支援することを約束するが、裁判は自分で争うように言う。カーンジーは自ら弁護士を務めることを決意する。 カーンジーは、神様の代理人として、インド各地の宗教指導者たちに訴状を送り付けた。その中には前述の高僧スィッデーシュワル・マハーラージに加え、大聖者リーラーダル(ミトゥン・チャクラボルティー)や女性聖者ゴーピー・マイヤー(プーナム・ジャヴェール)なども含まれていた。彼らは弁護士(マヘーシュ・マーンジュレーカル)を雇い、裁判を争うことを決める。しかしどうせ裁判所はこの訴えを退けると踏んでいた。ところが裁判長はこの訴えを受け容れてしまう。こうして神様を相手取った裁判が開始され、世間の注目を集めることとなった。 スィッデーシュワルと吊るんで次の選挙を有利に戦おうと思っていた政治家ラクシュマン・ミシュラー(ムラリー・シャルマー)は、悪漢たちにカーンジーを殺させようとするが、それを救ったのがクリシュナ・ヴァースデーヴ・ヤーダヴ(アクシャイ・クマール)、つまりクリシュナ神であった。しかしカーンジーは無神論者なのでクリシュナが神様自身であることを信じない。クリシュナはカーンジーの家を買い取っており、家の新しい主であった。だが、クリシュナはカーンジーにそのまま住み続けることを許した。カーンジーはそれに感謝し、家に住み続ける。同時にクリシュナはカーンジーに様々なアドバイスをする。 最初、人々は神様を訴えたカーンジーのことを狂人だと考えていた。カーンジーの妻(ルビナー・サリーム)も、信心深い性格だったので、夫の行動に腹を立てて子供を連れて実家に帰ってしまっていた。しかし、カーンジーはクリシュナの勧めに従ってテレビ番組に積極的に出演し、神様を使って金儲けをする宗教指導者たちの行動に疑問を呈す。次第にカーンジーに味方する人々が増えて来た。 また、カーンジーの他にも神様に不満を抱く人々がたくさんいた。ハニーフの元にはそんな人々の列が出来ていた。カーンジーは彼らの訴えも一緒に行うことを決める。こうして、神様を相手取った訴訟は大規模なものとなった。 裁判の争点は、カーンジーの家を破壊した地震を神様が起こした証拠があるかないかという点になった。地震を神様が起こしたという文面の証拠がなければ、訴えは認められない。裁判長は1ヶ月の猶予をカーンジーに与えた。カーンジーは困ってしまった。どうやってその証拠を提示すればいいのか。 クリシュナはカーンジーに、バガヴァドギーター、聖書、クルアーンの3冊を渡し、読破するように言う。カーンジーはそれらの聖典を熟読する。確かにそこには神様が天災を起こすと書かれた箇所があった。カーンジーはそれらを証拠として裁判所に提出した。ところが熱弁を振るっている内にカーンジーは脳卒中を起こして倒れてしまう。 カーンジーは1ヶ月間意識不明の重体であった。左半身も麻痺してしまった。人々は天罰だと噂していた。病床に伏すカーンジーの元にクリシュナが現れる。クリシュナはカーンジーの意識を戻し、麻痺も治療する。そして神様の姿をしてカーンジーの目の前に現れる。カーンジーは初めて神様の存在を実感する。 ところが、この1ヶ月間に事態はとんでもない方向に向かっていた。スィッデーシュワル・マハーラージらはカーンジーの損失を補填することを決定していたが、それは負けを認めたからではなかった。彼らはカーンジーを神の化身として売り出すことを決めたのだった。医者と結託してカーンジーの生命維持装置を外して殺すことも決定済みだった。カーンジーの相棒であるマハーデーヴ(ニキル・ラトナパルキー)をも抱き込んでいた。しかもカーンジーの店があった場所にカーンジーの寺院が建設されていた。 意識を取り戻したカーンジーはクリシュナの運転するバイクに乗ってカーンジー寺院へ行き、自分の像を破壊する。そして集まった人々に神様を盲信する危険性を説く。そしてそこに居合わせたスィッデーシュワル、リーラーダル、ゴーピー・マイヤーのような宗教指導者にお布施をしないように忠告する。 クリシュナはいつの間にかその場から消えていた。地面にはクリシュナがいつも手に持っていた孔雀の羽根のキーホルダーが落ちていた。それを見つけたカーンジーは拾い上げて大事にしまおうとするが、どこからかクリシュナの声が聞こえて来た。「何をしている?そんなものは捨てなさい。」カーンジーはそのキーホルダーを投げ捨てる。
ストーリーのそもそもの出発点は、保険会社が使う「Act of God」という専門用語である。日本語だと「自然災害」「天災」になるようだが、インドをはじめとした国々の保険契約には大体この用語がそのまま出て来て、「Act of God」による被害については保険会社は免責となる旨が記載されている。つまり、神様はいるものだという前提で契約が取り交わされていることになる。
そしてストーリーの面白い部分は、「Act of God」条項を盾に、地震で壊滅した店の保険金の支払いを拒否された無神論者の主人公カーンジーが、神様を相手取って訴訟する点である。つまり、神様なんているはずないと考えているカーンジーが神様を訴えるという前代未聞の裁判を起こすのだ。一方、神様の代理人として訴状を受け取った宗教指導者たちは、普段は神様がこの世を創造し全てを決めて罰も与えると吹聴しているのに、「神様が地震を起こした証拠はあるのか?」と反論する点も、その表裏一体の面白さとなっている。
しかし、この部分はそれほど強調されることなく、映画は次のテーマに移って行く。それはインドの中産階級をメインターゲットとした宗教ビジネスだ。神様やカリスマ的宗教指導者の名の下に信者から金を巻き上げ、所得税も免除されたインドの宗教ビジネス界は、2007年のデータで200億ルピー市場とされており、マネーロンダリングの温床にもなっている。サティヤ・サーイーバーバーやバーバー・ラームデーヴをはじめ、インドには有象無象の「グル」や「バーバー」がひしめいている。彼らは寺院に集まった無数の飢えた乞食を境内に入れようとしない一方、信者たちにミルクを乞食ではなく石(シヴァリンガ)にかけるように指示する。マフィアが銃を見せて無力な人々から金を巻き上げるように、グルやバーバーは神の名の下に困窮した信心深い人々を脅して金を巻き上げる。信者たちが神様に捧げた髪の毛(インドでは願い事をする際に髪の毛を捧げる習慣がある)は米国に売られてカツラとなっている。映画の中でこのような実態が次々と暴かれる。
最終的にカーンジーは、宗教は人々を無力にするか、それともテロリストにするかしかしないと喝破する。
宗教が常に深刻な問題を引き起こすインドにおいて、宗教の在り方に疑問を呈したこの「OMG: Oh My God!」は非常に勇気ある作品だと言える。ただし、カーンジーは無神論者であるが、映画自体が無神論を支持する訳ではなく、アクシャイ・クマール演じるモダンなクリシュナの登場に象徴されるように、むしろ「神はいる」ことを前提にストーリーが作られている。その点で今までのインドの神様映画から完全に外れてはいない。インドの神学的な分類で言えば、サグン(偶像崇拝)ではなくニルグン(非偶像崇拝)を支持する映画だった。寺院に参拝したり神像に祈ったり儀式主義に陥ったりするのではなく、心に神様への信仰を持っていればいい、というものだ。
秀逸なのは、カーンジーが意識不明となった後だ。宗教や神を否定し続けたカーンジーが今度は神に祭り上げられてしまうのである。宗教がいかに形成されて行くか、その部分にまで批判のメスが入れられていた。
コメディー映画としてもよく出来ていた。娯楽映画のフォーマットの中で、重要な社会的メッセージを主張することに成功しており、インド映画の鑑と高く評価できる。
パレーシュ・ラーワルは脇役もそつなくこなすし主演しても十分観客を引き付ける力を持った稀な男優だ。おそらく近年彼ほど成功したコメディアン俳優はヒンディー語映画界にはいないだろう。素晴らしい演技と存在感だった。
アクシャイ・クマールは今回はクリシュナ役という変則的なキャスティングだった。しかも典型的な神様ルックではなく、バイクを乗り回すモダンなクリシュナ像を提示していた。プレイボーイとして浮き名を流したアクシャイ・クマールはクリシュナに適任だ。しかし映画の終盤に一瞬だけ神様ルックを披露するシーンがあるが、それは似合っていなかった。
オーム・プリー、ミトゥン・チャクラボルティー、マヘーシュ・マーンジュレーカルなど、意外に脇役陣も豪華で、それぞれ適切な仕事をしていた。特にミトゥン演じるリーラーダルは怪しげな手つきが面白すぎた。おそらくサティヤ・サーイーバーバーがモデルになっている。他に「インドのマイケル・ジャクソン」として知られるプラブデーヴァーがソーナークシー・スィナーとアイテムナンバー「Go Go Govinda」で踊りを踊る。ティスカ・チョープラーのカメオ出演もある。
音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。アイテムナンバー「Go Go Govinda」が飛び抜けているが、他に耳に残った曲はなかった。
「OMG Oh My God!」は、インドの宗教ビジネスを批判的に取り上げた秀逸なコメディー映画である。結局「神様はいる」ことになっているのがインド映画らしいところだが、コメディー映画のフォーマットの中で社会的メッセージをきちんと主張しており、高く評価できる。観て損はない映画だ。