20世紀末に登場し、2000年代にインド映画の劇的な変化を促したのがマルチプレックスだとしたら、2010年前後に現れ、2020年代にインド映画の在り方を大きく変化させたのがOTTであった。
「OTT」とは「Over The Top」の略である。日本では「動画配信サイト」などと呼ばれているサービスプロバイダーのことだ。日本で有名なものを挙げれば、U-Next、Amazon Prime Video、Netflix、Hulu、Disney+などになるだろう。これらをインドではひとまとめにして「OTTプラットフォーム」または単に「OTT」と呼ぶ。
「Over The Top」を直訳すると「頂点を越えて」になる。なぜ動画配信サイトがこのように呼ばれるかというと、映画館やTVなど、従来の伝統的な媒体を介さずに、それらを「越えて」、オンラインでコンテンツが配信されるからであるらしい。もっとも、今や語源について深く考えている人はおらず、「OTT」という略称が固有名詞として一人歩きして定着している。
かつては、映画が映画館で公開されると、その数ヶ月後にTVで放送され、その後にDVDが発売されるという流れが一般的だった。それは日本ともそう変わらない商習慣だった。だが、日本ではまだこの伝統的な流れがかなり残っているのと対照的に、インドではこれは既に過去のものとなっている。現在、映画は映画館での上映が一通り終了した後、多くの場合、間髪入れずにOTTで配信される。早ければ公開から1ヶ月後、標準的には2~3ヶ月後に配信される。OTT配信の一般化に伴い、映画のDVDはほとんど販売されなくなってしまった。
さらに、新型コロナウイルスが世界的に流行した2020年から2022年の間に、映画館での上映を経ずに直接OTTで配信される作品も増えてきた。これらの作品は、「ビデオスルー」「DVDスルー」などの用語に合わせて、「OTTスルー」と呼んでも差し支えないだろう。Filmsaagarでは「OTT配信」「OTTリリース」という用語も使っている。
インドで大手になっているOTTプラットフォームのいくつかは日本からでも視聴できる。その情報についてはこちらでまとめてあるので参照していただきたい。
インド初のOTTはリライアンス・エンターテイメント社が2008年に立ち上げたBIGFlixだったとされている。オンデマンドでヒンディー語、テルグ語、タミル語、ベンガル語などの映画を配信するオンライン映画ライブラリーサービスだった。2010年には初のOTT携帯アプリnexGTvが始まり、TV番組のライブ配信と映画コンテンツを提供した。その後、OTTはマルチデバイス化が当然となり、PC、タブレット、スマートフォン、スマートTVなど、あらゆる媒体から視聴可となって、利便性が高まった。
インドにおいてOTT普及のキラーコンテンツになったのは、映画よりもむしろクリケットだった。インディアン・プレミアリーグ(IPL)などのクリケットの試合をライブ配信するOTTが人気を獲得した。当初はnexGTvがクリケットのライブ配信でユーザー数を増やしたが、2015年に始まったHotstarがクリケットのワールドカップの配信権を獲得したことでユーザー数が爆発的に増加し、一気に大手に躍り出た。
また、2016年にリライアンス・インダストリーズ社傘下の新興通信会社JIOがスマートフォンと4Gデータ通信の価格破壊を決行したことで、OTTのユーザー層がさらに拡大した。スマートフォンにOTTアプリをインストールし、いつでもどこでも安価にOTTのコンテンツを楽しめる環境が庶民層にまで広がった。この頃にNetflixやAmazon Prime Videoもインドに進出した。
やはりOTT普及の最後のダメ押しになったのが2020年からの新型コロナウイルス感染拡大であった。感染者数や死者数が増加すると、インドでは厳格なロックダウンが敷かれ、人々は家に閉じこめられた。その際、暇つぶしのためにOTTの需要が急増し、しかも映画館が封鎖されたことで、「OTTスルー」される作品も一般的になった。コロナ禍を経て、OTTはインド人の日常生活の欠かせない一部になったのである。
インドに特徴的な現象としては、特定の言語に特化したOTTが存在する点が挙げられる。タミル語専門のSun NXT、テルグ語専門のAha、ベンガル語専門のHoichoi、マラーティー語専門のPlanet Marathiなどがある。それに対し大手のDisney+ Hotstar、Amazon Prime Video、Netflixなどは多言語展開をしている。
コロナ禍が終わった後も、OTTは再編を繰り返しながら存続している。OTTのおかげで、従来は映画館で上映されづらかったような低予算映画が視聴者に届けられ、高い評価を受けるものも現れたことで、映画業界にとっては新たな刺激にもなった。映画館で上映される映画は、観客に映画館ならではの体験を提供するために、より大衆娯楽志向になる一方で、低予算映画は公開の選択肢が増え、製作費回収のチャンスも拡大した。マルチプレックスの登場によって娯楽映画と社会派映画の融合が進んだが、OTTは逆にこれらの再二極化を促しているようにも見える。
Filmsaagarでは、時々「OTT時代」という用語を使っている。説明した通り、インドでOTTが始まったのは2008年であるが、OTTが本格的に普及し始めたのが2010年代半ば以降であり、映画作りに影響を与えるようになったのはコロナ禍が始まった2020年代であった。「OTT時代」という用語は、コロナ禍前後のこの変革期をイメージして使っている。
OTTの普及による時代の変化によって、日本在住のインド映画ファンは2つの新たな状況に直面している。
ひとつは、日本にいながら現地とそれほど違わないタイミングでインド映画を楽しむことが可能になったことだ。DVDが主流だった時代には、映画のDVDが発売されるのを待ち、それを現地から取り寄せる必要があったため、どうしても現地とのタイムラグが大きくなった。輸入コストもかかる。だが、今ではOTTで配信された途端にその映画を鑑賞できる。OTTを使いこなすことが、インド映画ファンがインド映画ファンを続ける上で欠かせないスキルになっている。
だが、これだけOTTが普及した現在でも、全ての映画が必ずどこかのOTTで配信される状態にはなっていない。何らかの理由でOTTで配信されない、既にOTT配信が終わってしまった、または日本からは普通には利用できないOTTプラットフォーム(Disney+ HotstarやJioCinemaなど)での配信になってしまったなどの理由により、容易には視聴できない映画というのも出て来ることになった。DVDでの映画視聴が一般的だった時代なら、DVDさえ入手すれば視聴できたが、DVDが廃れてしまった現在、かえって映画の入手が困難になってしまった面もある。
つまり、OTTは、諸刃の剣のように、インド映画へのアクセスを容易にもし、困難にもしている。
どちらにしろ、日本からとやかく文句を言っていても何も起こらないため、インド本国に端を発したOTTの映画革命の波をうまく乗りこなすことが必要である。