Ragini MMS

1.5
Ragini MMS
「Ragini MMS」

 現在、携帯電話にカメラが付いているのはごく普通のことである。言うまでもなく、携帯電話のカメラでは静止画のみならず動画も撮影可能だ。昔は高級機種のみの機能であったが、今ではかなり安いカメラにもカメラが付いている。それにより、インドでは、ビデオカメラが一般人に普及する前にカメラ付き携帯電話による動画撮影が普及することになった。同時に、動画が万人のものとなったことから派生する事件も、携帯電話とセットで起こることとなった。その端的なものが、携帯電話のカメラで撮影した卑猥な動画の流出事件である。携帯電話間で動画のようなサイズの大きなファイルの交換をする際は、MMS(マルチメディア・メッセージング・サービス)というシステムが使われるため、「セックスMMS事件」などと呼ばれることが多い。こういう動画は、一旦流出するとMMSを通して瞬く間に多くの人々に広まってしまう。インドでも卑猥動画流出事件は過去に何度もあり、未成年がその被害者となることも多い。セックスMMS流出事件は、「Dev. D」(2009年)などの映画のインスピレーション源にもなっている。

 ただ、最近は携帯電話以外にもビデオカメラが生活の場に氾濫している。ビデオチャットに利用するウェブカム、防犯装置であるCCTVなどである。ハンディカムもだいぶ普及して来ている。現代、常に誰かに監視され記録されいる恐怖をよく映像化していたのがディバーカル・バナルジー監督の問題作「Love Sex aur Dhokha」(2010年)であった。ハンディカム、監視カメラ、隠しカメラなどを通して、名誉殺人、盗撮セックスビデオ、キャスティング・カウチ(枕営業)などの問題を鬼気迫るリアルさで突いた傑作である。

 ところで、「Love Sex aur Dhokha」のプロデューサーはエークター・カプールらであった。エークター・カプールはバナルジー監督にこの映画の完成版を見せられたときに、あまりの赤裸々さに大いに驚いたと伝えられているが、同作品の成功に気をよくしたのか、その延長線上にある映画の制作に乗り出した。それが本日(2011年5月13日)より公開の「Ragini MMS」である。題名に「MMS」とあるので、携帯電話による動画撮影を念頭に置いているのかと思ったが、どちらかと言うとリアリティー番組「ビッグ・ボス」タイプの、隠しカメラによる盗撮物映画であった。そういう意味では、ハリウッド映画「氷の微笑」(1992年)がもっとも近い。だが、ユニークなのは、単なるエロチックな映画ではなく、ホラー映画に発展させてあったところである。そういう意味では「ブレア・ウィッチ・ブロジェクト」(1999年)が思い起こされる。「Love Sex aur Dhokha」と同じく、臨場感を出すためか、ほぼ無名の俳優を起用。監督も新人。BGMを極力廃し、リアリズムを極限まで追求している。

監督:パワン・キルパーラーニー(新人)
制作:エークター・カプール、ショーバー・カプール
出演:ラージクマール・ラーオ、カイナーズ・モーティーワーラー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ウダイ(ラージクマール・ラーオ)は週末に恋人のラーギニー(カイナーズ・モーティーワーラー)を連れて、ムンバイー郊外にある別荘を訪れる。その別荘には隠しカメラが隠されており、ウダイはそれらを使ってラーギニーとのセックスビデオを撮ろうとしていた。映画スターになることを夢見ていたウダイは、そのセックスビデオと引き替えに、映画界に顔が利くボスのパンディトから主演作をもらうことになっていた。

 ところがその別荘は呪われていた。以前、とある女性が魔女の疑いをかけられて惨殺されたことがあり、それ以来この屋敷にはその女性の幽霊が出るようになっていた。そうとは知らず、ウダイはラーギニーと情事を繰り広げようとしていた。友人のピヤーとヴィシャールが突然訪問して来るというハプニングもあったが、彼らは急に帰ってしまった。

 早速ウダイは手錠を使ってラーギニーをベッドに縛り付け、欲望を満たそうとする。ところがウダイとラーギニーを異変が襲う。最初は無視していたウダイもとうとう耐えきれなくなり、ラーギニーを置いて一人飛び出してしまう。ところが血まみれになって帰って来た挙げ句、「私は魔女ではない」と意味不明のことを口にし、自分で首を刺して死んでしまう。

 困ったのはベッドに括り付けられたままのラーギニーであった。手錠の鍵を探そうとするが見つからない。そのまま朝が来て、また夕方になり、夜が来た。日中は何ともなかったものの、夜になると幽霊が出てラーギニーに襲い掛かって来た。だが、ラーギニーは何とか手錠を外して逃げ出す。

 ところが、屋敷の外でピヤーとヴィシャールの遺体を発見する。幽霊はラーギニーを引きずって屋敷の中に連れ込み、恐ろしい力で彼女を殺そうとする。ところがそのとき朝が来て、ラーギニーは何とか一命を取り留める。

 ウダイという男が、複数の隠しカメラが設置された邸宅で、ガールフレンドのラーギニーを使ってセックスビデオを盗撮しようとする、というのが導入部である。映像は全て劇中に登場する動画記録装置にのみ依存する。つまり、その邸宅に辿り着くまでは、ウダイが持っているハンディカムを通して映画が進行するし、邸宅に到着し、隠しカメラがオンになると、ハンディカムに加えて隠しカメラの映像も「観客の視点」となる。当初はウダイとラーギニーの情事を盗み見るような形になるのだが、幽霊が登場するようになると、いかにラーギニーが幽霊の魔の手から逃れるのかが主題となる。リアルな映像によるホラー映画というコンセプトだったのだろう。

 ところが、全く臨場感がないのである。「Love Sex aur Dhokha」では、ひとつまたは少数のカメラを「観客の視点」とし、ひとつひとつのシーンが長回しで撮影されていたために、あたかも観客はカメラの一部となったかのような錯覚に陥る。そしてその錯覚のおかげで、劇中の出来事があたかも現実世界で起こっているような感覚になる。ところが「Ragini MMS」では、隠しカメラの数が多すぎる上に、頻繁にシーンが移動する。その出来事を自分で見ているのではなく、監督の意志によって見させられている気分になり、その点では普通のホラー映画を観ているのとあまり変わりがなくなってしまう。もっと定点観測的に怪奇現象を見せられていればスリリングな映画になっただろうが、これでは全く導入部の特性が活かされていない。

 また、幽霊の姿が見えてしまっていたが、通常カメラには幽霊は映らないのではないだろうか?観客は隠しカメラやハンディカムを通して一連の出来事を見ているはずなので、幽霊の姿を具体的に映さない方がもっと怖い映画になっていたことだろうと思う。エークター・カプールは「今までで一番怖いホラー映画」と胸を張っているが、いくら何でも言い過ぎだ。

 俳優の演技も演技っぽくて、臨場感を損なっていた。ウダイを演じたラージクマール・ラーオは「Love Sex aur Dhokha」の第2話「セックス」で、監視カメラを利用してセックスビデオを撮影しようとしていた男役を演じた。今回も同じような役であったが、今回の方がより演技をしようとしているところがあり、それがかえって失敗していた。ラーギニーを演じたカイナーズ・モーティーワーラーはまだ自然な演技をしていた。

 ちなみに、この映画は実際の事件に基づいて作られている。実際の事件と言ってもホラー部分はもちろんフィクションであり、実際にあったのは、隠しカメラが設置された邸宅で女性がセックスビデオを撮影されたというものである。被害女性はディーピカーと言い、彼女の証言からエークター・カプールらがアイデアを膨らませてこの映画を作ったようだ。だが、ディーピカーは公開前に映画をチェックする権利を主張し、エークターがそれを拒否したために、法廷闘争となった。しかし公開差し止めにはならなかったようだ。

 言語は基本的にヒンディー語と英語であるが、幽霊はマラーティー語をしゃべる。そしてマラーティー語の台詞のときにはヒンディー語の字幕が出る。意味が分かってありがたいのだが、この配慮も臨場感を損なっているように感じた。

 「Ragini MMS」は、盗撮をテーマにした犯罪映画と思わせておいて実際にはホラー映画として進行するというユニークな手法を使っているが、策士策に溺れたのか、「盗撮」のエッセンスがホラーに活かされておらず、ほとんど臨場感のない映画に成り下がってしまっている。センセーショナルな売り込みがなされているが、無理に観る必要はない駄作である。