Fever

2.5
Fever
「Fever」

 2016年8月5日公開の「Fever」は、記憶喪失の主人公を巡るサスペンス映画である。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画やスティーヴン・キングのホラー小説を思わせる作風だ。

 監督はラージーヴ・ジャヴェーリー。過去に「Dhoondte Reh Jaaoge」(2009年)などの脚本を手掛けているが、監督は初である。主演はラージーヴ・カンデールワール。マルチヒロインの映画であり、ガウハル・カーン、ヴィクター・バナルジー、英国人女優ジェマ・アトキンソン、イタリア人女優カテリーナ・ムリーノ、アンキター・マクワーナーなどが出演している。

 アーミン・セーラム(ラージーヴ・カンデールワール)はスイスの病院で目を覚ます。彼は顔などに怪我を負っており、記憶を失っていた。自分の名前と、パリ在住であることだけは憶えていた。また、医者のデーヴィッド・ロイ(ヴィクター・バナルジー)から、「リヤー」という女性の名前をつぶやいていたと聞かされる。彼は断片的な記憶から、自分が何らかの犯罪を犯したのではないかと考える。彼は何度も白人女性の遺体を幻想の中で目にする。

 アーミンは病院で謎の女性(ガウハル・カーン)を見掛ける。彼女はカーヴィヤーと名乗る。カーヴィヤーは退院した彼をつけ回しており、彼女が何かを知っていると考えるが、情報は得られなかった。彼は腕時計に「KW」というイニシャルが刻まれているのを見つけるが、そこからも手掛かりは得られなかった。しかしながら、カーヴィヤーといる内に彼は、自分が殺し屋だったのではないかと考え始める。

 そうこうしている内にアーミンはリヤー(ジェマ・アトキンソン)という白人女性と出会う。彼女は、幻想の中で遺体の姿で見た女性そのものであった。言語学を学びヒンディー語を話すリヤーは彼のことを「カラン」と呼ぶ。リヤーが語ったところによると、二人はバスの中で出会い恋に落ちたという。また、カランは作家だと自己紹介したとのことだった。アーミンは混乱する。

 部屋に戻ったアーミンは見知らぬ女性の遺体を発見する。アーミンはカーヴィヤーと共にその遺体を遺棄する。だが、アーミンの記憶がかなり戻ってきた。やはり彼の名前はアーミンではなくカランであり、作家であった。そしてカーヴィヤーの本当の名前はプージャーで、彼の妻であった。カランとプージャーは仲違いし、カランは友人のグレイス(アンキター・マクワーナー)と住むようになった。また、彼はバスで出会った白人女性リヤーを題材にして小説「What If...」を書いたのだった。彼の記憶は、小説の登場人物であるアーミンと実際のカランが混同されて形成されたものだった。そして遺棄した遺体はグレイスのもので、嫉妬したプージャーに殺されたのだった。

 アーミンが記憶喪失になったのも、プージャーによって自動車から突き落とされ崖を落下したからだった。全てを思い出したカランを見たプージャーは彼を自動車から放り出し、自らはトラックに突っ込んで死ぬ。その後、カランはリヤーと一緒になる。

 記憶喪失は古今東西の映画で散々取り扱われてきた題材であるが、料理次第ではまだまだ面白い映画を作れる余地がある。「Fever」では、記憶喪失になったために自分を何者なのか特定できない主人公が、曖昧で断片的な記憶や出会う人々から徐々に自身のアイデンティティーを再構築していく。名前はアーミンとカランの2つが候補として挙がる。そして当初はコンタクトキラー、つまり殺し屋であったことが示唆される。しかしながら、彼が記憶の中で殺したはずの女性リヤーが現実世界に登場したことで、その確実性が揺らぐ。

 ストーリーはとてもよく出来ていた。映画には、カーヴィヤー、リヤー、グレイス、そしてイリナと、複数の女性が次々に登場し、それぞれの存在が異なる真実を象徴しているため、観客は主人公と同じく誰の言うことを信じればいいのか分からなくなる。この規模の映画にしては映像効果にも工夫が凝らされていた。しかしながら、構成、編集やストーリーテーリングの部分に未熟さが見られ、ストーリーがとても分かりにくくなっていた。また、スイスで撮影されていたためにインドらしさが皆無で、インド映画としてのアピール力に欠ける。

 主人公が記憶喪失になった経緯やその後の顛末の真相は以下の通りである。プージャーが夫であり作家のカランを独占しようとするあまり、カランに窮屈に思われてしまい、別居状態となる。しかもカランは、日頃から彼に馴れ馴れしくしていたグレイスと住み始めてしまった。プージャーはカランを自動車から突き落として殺そうとするが、彼は生き残った。だが、彼は記憶喪失になっていた。プージャーは、彼が自分を小説の中の主人公アーミンだと名乗っているのを見て、彼ともう一度やり直せるかもしれないと考え、カーヴィヤーを名乗って彼に接近し始める。そして、彼が自分の正体に辿り着くのを妨害する。だが、カランは小説の着想源であるリヤーと会ったりすることで徐々に記憶を取り戻す。プージャーがグレイスを殺し、カランと一緒にその遺体を遺棄したことで、彼の記憶は完全に回復する。もはやカランとやり直す見込みがないと悟ったプージャーは自らトラックに突っ込んで死ぬ。

 プージャーが死んだ後、カランはリヤーと関係を深める。ところが映画の最後には、空想の中の人物だとばかり思っていたイリナが現れ、彼に封筒を渡す。カランはそれを「殺しの依頼書」だと答える。てっきり彼は作家のカランだと思っていたが、もしかしたら殺し屋のアーミンの方が正しい正体なのかもしれないという余地を残して映画は終わる。

 作家である主人公の記憶が、現実の自分ではなく小説の中の登場人物に入れ替わるという設定は良かった。ただ、主人公が病院で目覚めたところから映画を始めればもっとスマートになったのではなかろうか。彼がプージャーから突き落とされるシーンなどが冒頭で描写されたために、プージャーが今回の事件の黒幕であることは映画開始早々分かっており、しかもそれが最後にひっくり返ることもなかった。よって、その部分のサスペンスが無駄になっていた。もっと分かりやすく構成し、順序を工夫してサスペンス要素を強めれば、名作になっていた可能性もある。

 ラージーヴ・カンデールワールの演技は問題なかったが、ガウハル・カーンをはじめとした女優陣は、演技よりもセクシー要素を期待されて起用された印象を受けた。無意味に濡れ場が多い映画で、それで客を釣ろうとする魂胆が見え見えだった。

 「Fever」はいろいろ不備があったために興行的に大コケした映画である。そのままなら歴史の闇に消え去るのみだった。ところがこの映画で使われた挿入歌「Mile Ho Tum」だけが大ヒットし、YouTubeでも10億回を超える再生回数を達成した。挿入歌のおかげで歴史に残る作品になった典型例だといえよう。

 「Fever」は、記憶喪失モノのサスペンス映画であるが、監督の未熟さから来る構成のまずさ、インドらしくないロケーション、女優たちの中途半端な演技と無意味な濡れ場などが合わさって、素材を活かすことができずに終わってしまった映画であった。唯一、挿入歌「Mile Ho Tum」のみがこの映画の存在意義であり、映画自体は無理に観なくてもいい。


Fever (2016) | Rajeev Khandelwal | Gauahar Khan | Gemma Atkinson | Bollywood Latest Movie