2023年2月1日にロッテルダム国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2024年12月8日に劇場一般公開された「Joram」は、ナクサライト撲滅のためにインド政府が2009年頃から治安部隊や軍を動員して実施したとされるグリーンハント作戦を背景にした逃亡劇である。
監督は「Taandav」(2016年)や「Ajji」(2017年)などのデーヴァーシーシュ・マキージャー。主演はマノージ・バージペーイー。他に、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、スミター・ターンベー、メーガー・マートゥル、タニシュター・チャタルジー、ラージシュリー・デーシュパーンデーなどが出演している。
題名の「Joram」とは、マノージ・バージペーイー演じる主人公ダスルーの子供の名前である。
ジャールカンド州ジンピリー村出身のダスルー(マノージ・バージペーイー)は妻のヴァーノー(タニシュター・チャタルジー)と共にムンバイーに出て来て工事現場で肉体労働をして日銭を稼いでいた。そこへ、ジャールカンド州からプーロー・カルマー(スミター・ターンベー)という州議会議員がやって来て彼を見つける。その夜、ダスルーが家に戻るとヴァーノーが殺されており、彼も刺客に襲われた。咄嗟にダスルーは反撃し、一人の刺客を殺したが、残りの刺客は逃してしまった。警察がやって来たため、ダスルーはまだ赤ん坊のジョーラムを連れて逃げ出す。
この事件の担当になったのはラトナーカル警部補(ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ)であった。ダスルーは殺人の容疑者となっていたが、当初は取るに足らない者だと思われていた。ところがプーローがメディアに、ダスルーがかつてナクサライトだったことをリークし、大事になってしまう。ダスルーはジャールカンド州に逃げたと思われたため、ラトナーカル警部補もジャールカンド州に派遣されることになる。
ダスルーは5-6年振りに故郷に戻って来ていた。ダスルーは村を去る前、確かにナクサライトの一員であった。彼の村はプラガティ鉄鋼社の開発予定地になっており、土地の買収が行われていた。ナクサライトはそれに対抗し、アーディワースィー(先住民)を組織していた。ナクサライトはプラガティ鉄鋼社の手先になっていた村人マードヴィーを公衆の面前でリンチして殺す。それに嫌気が指したダスルーはヴァーノーと共に村を捨てて逃げ出したのだった。久しぶりに見た故郷は開発によってすっかり様変わりしてしまっていた。
ラトナーカル警部補はダスルーを生け捕りにしようとしていたが、プーローは地元警察にダスルーの射殺を命じていた。ラトナーカル警部補は相棒になったムチャキーからダスルーやプーローの話を聞く。ナクサライトに殺されたマードヴィーはプーローの息子であり、彼女の夫バーブーラールもマードヴィーの死の直後にショックで死んでしまった。バーブーラールはJVDという地方政党の政治家であり、彼の死後はプーローが後を継ぎ、実権を握った。JVDは中央政府の与党と連立を組んで権力を手中にし、ナクサライトを一網打尽にするためグリーンハント作戦を実行に移させることに成功した。プーローは先頭に立ってナクサライトをしらみつぶしにしており、ダスルーも標的の一人だったのである。
真実を知ったラトナーカル警部補はプーローに会いに行こうとする。それと時を同じくしてダスルーもプーローを探していた。彼はプーローに助けてもらおうとしていたのである。プーローはダスルーをムンダー鉱山におびき出す。ラトナーカル警部補がプーローに接触した直後にダスルーも姿を現した。混乱の中でラトナーカル警部補の銃から発射された弾丸がプーローに当たり死んでしまう。警察から集中砲火を浴びる中、ダスルーは逃げ出す。
インド中部、ジャールカンド州、オリシャー州、チャッティースガル州などにまたがる森林地帯には、「アーディワースィー」と呼ばれる先住民たちが住んでいる。これらの地域は天然資源が豊富であり、それらの有効利用はインドの発展のために欠かせない。だが、森林地帯の開発は、アーディワースィーたちが先祖伝来の土地や生活を失うことを意味している。もちろん、開発の対象になった地域に住んでいるアーディワースィーたちには補償金が支払われるが、現金をもらってもそれを活用できるほど教養のあるアーディワースィーは稀である。やがて、開発を進めるインド政府に対して武器を持って戦う道を選ぶ者が現れ始め、彼らはナクサライト(インド共産党毛沢東主義派)と呼ばれるようになった。
「Joram」の主人公ダスルーもジャールカンド州農村部出身のアーディワースィーであり、ナクサライトであった。ただ、彼は5-6年前にナクサライトを止めて故郷を捨て、妻のヴァーノーと共にムンバイーに出て来て建築現場で日銭を稼ぐ生活をしていた。楽な生活ではなかったが、ジョーラムという子供も生まれ、何とか生き抜いていた。
ナクサライトの撲滅に執念を燃やすジャールカンド州のアーディワースィー政治家プーローに見つかったことで、ダスルーは一転して逃亡人生を余儀なくされることになる。ヴァーノーを殺された彼は、ジョーラムを連れてジャールカンド州へ向かう。
おそらく監督が見せたかったのは、開発が進むジャールカンド州の現状である。5-6年振りに故郷に戻ったダスルーは、森林が伐採され、川が埋め立てられ、山が削られて採掘場となり、巨大な工場が煙を吐き出す、変わり果てた景色を目にする。アーディワースィーの生活も楽になっていなかった。狩猟採集などの伝統的な生活を送ることは困難になっていた一方で、文明生活に欠かせない通信や電気の整備も遅れていた。
プーローが推し進めたグリーンハント作戦のおかげで、少なくともダスルーの故郷ではナクサライトの活動が見えなくなってしまっていた。ナクサライトが完全に駆逐されたわけではなさそうだったが、人々は抑圧に抵抗する手段を失っているように見えた。
全ての鍵を握っていたのはプーローであったが、最後でプーローは銃の暴発によって死んでしまう。ダスルーとジョーラムの消息も不明である。集中砲火を浴びる中、ダスルーはジョーラムを抱えて崖から飛び降りる。果たして彼らが助かったのか、はっきりとは描かれない。ただ、エンドクレジットで、逃げるダスルーの乱れた息の音がするだけである。ダスルーの逃亡生活がさらに続くことを暗示していると思われるが、しかし、題名は敢えて「ジョーラム」になっている。もしかしたら憎悪の連鎖がダスルーの娘ジョーラムに受け継がれることを意味しているのかもしれない。そうだとすると、ダスルーはともかくとして、ジョーラムは生き残り、成長してナクサライトになるというエピローグが想像できる。
しかしながら、それまでせっかく緻密に積み重ね紡ぎ上げてきたストーリーを、結末部分でかなり雑にまとめてしまっていた印象も受けた。この映画のもっとも弱い部分である。
ラストの舞台になったムンダー鉱山には一本の枯れ木が立っており、それを見上げるダスルーの姿が映し出されていたが、この木はもしかしたら映画の冒頭でヴァーノーがブランコ遊びをしていた木であろうか。もしそうならば、それをはっきり示すべきだったとも感じた。
マノージ・バージペーイー、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、スミター・ターンベーの3人がそれぞれ鬼気迫る演技をしていた。マノージがデーヴァーシーシュ・マキージャー監督と組むのはこれが3本目であるが、監督の絶大な信頼に応えた演技をしていたといえよう。今回はアーディワースィー役だったが、本物のアーディワースィーのような雰囲気を出していた。ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブも手堅い演技であった。
マノージを除いてもっとも印象に残った俳優はスミターだった。彼女もアーディワースィーの政治家として迫力ある演技をしており、並の女優ではないことが容易に感じられた。特にラストシーン、ダスルーと相見えて、彼の話を聞き、彼をにらみつけながら一筋の涙を流す場面は、普通では考えられないような心情表現だ。その涙の解釈は難しいが、それを表現できる演技力は賞賛に値する。
「Joram」は、シリアスな映画作りに定評のあるデーヴァーシーシュ・マキージャー監督の最新作で、彼のお気に入りであるマノージ・バージペーイーを再び主演に据えて撮った作品である。ナクサライト映画のひとつだが、ナクサライト撲滅に躍起になるアーディワースィー政治家と、元ナクサライトのアーディワースィー逃亡者との間の追跡・逃亡劇ということで、ユニークである。なるべくバランスを取ろうと努力しているが、それでもナクサライトを一網打尽にしたグリーンハント作戦や、アーディワースィーの生活を蹂躙する無分別な開発に批判的な視点が見え隠れする。観て損はない映画である。