2000年6月9日公開の「Josh(情熱)」は、米映画「ウェスト・サイド物語」(1961年)のリメイクである。元々ポルトガル領だったゴア州を舞台にしており、原作にあったジェット団とシャーク団の対立を、キリスト教徒グループのイーグル団とヒンドゥー教徒グループのビッチュー(サソリ)団に置き換えている。
監督は「Qayamat Se Qayamat Tak」(1988年)で有名なマンスール・カーン。音楽監督はアヌ・マリク。主演はシャールク・カーンとアイシュワリヤー・ラーイ。この二人の初期の共演作というと「Mohabbatein」(2000年)が有名だが、「Josh」の公開はそれよりも早い。ただし、「Josh」において二人は双子の兄妹という設定であり、彼らの間で恋愛は発生しない。
その他のキャストは、チャンドラチュール・スィン、シャラド・カプール、プリヤー・ギル、アンジャーン・シュリーヴァースタヴ、ヴィヴェーク・ヴァースワーニー、シャラト・サクセーナー、スシャーント・スィンなど。
映画の撮影はゴア州のパナジなどで行われていると思われるが、舞台になっているのはヴァスコタウンという町だ。ゴア州にはヴァスコ・ダ・ガマという町があるが、どうもヴァスコタウンはヴァスコ・ダ・ガマとは別のようである。映画の設定では、ヴァスコタウンはアルバート・ヴァスコというポルトガル人によって建設された町ということになっている。アルバート・ヴァスコは実在しない人物だ。よって、ヴァスコタウンは架空の町としていいだろう。
2024年4月1日にこの映画を改めて鑑賞し、レビューを書いている。
時は1980年。ゴア州のヴァスコタウンには、イーグル団とビッチュー団という2つの若者グループが抗争を繰り広げていた。イーグル団のボスはマックス・ディアス(シャールク・カーン)という青年だった。マックスには双子の妹シーリー(アイシュワリヤー・ラーイ)がいた。ビッチュー団のボスはプラカーシュ・シャルマー(シャラド・カプール)だった。ビハーリー不動産のために地上げ屋をしていた。 プラカーシュの弟ラーフル(チャンドラチュール・スィン)はムンバイーでシェフの修行を積んでいた。ある日ラーフルはヴァスコタウンに帰ってきて、兄や母をムンバイーに連れ帰ろうとする。だが、彼らはそれを拒否する。そこでラーフルはヴァスコタウンでベーカリー店を開く。イーグル団に妨害されるが、誠実かつ芯の強いラーフルはやり返すことなく耐える。 ラーフルはシーリーに一目惚れしていた。シーリーもラーフルに恋をし、二人は密かに付き合い出す。ラーフルはプラカーシュに、シーリーはマックスにいつこのことを打ち明けようか悩んでいた。 そんなとき、プラカーシュはヴァスコタウンの広場を買い上げる案件を受ける。ラーフルがその持ち主を調べてみると、メリーという女性であることが分かった。メリーは既に亡くなっていたが、彼女の親族などを追っている内に、彼女はマックスとシーリーの母親だということを突き止める。マックスとシーリーの出自や、ラーフルとシーリーが恋仲にあることは、すぐにプラカーシュとマックスも知ることになる。 プラカーシュは、ラーフルとシーリーを結婚させ、マックスを殺すことで、広場の土地を手にしようと画策する。だが、マックスは誤ってプラカーシュを銃で撃ち殺してしまう。マックスは警察(シャラト・サクセーナー)に逮捕される。証拠は十分に揃っており、有罪は免れそうになかった。兄を殺されたラーフルもシーリーに冷たく当たるようになる。だが、プラカーシュ殺人の現場を目撃した彼の部下ゴーティヤー(スシャーント・スィン)は、事故死する前にラーフルに真実を明かす。ラーフルは裁判でマックスに有利な発言をし、正当防衛が認められ、彼は無罪となる。 ラーフルはヴァスコタウンを去ろうとするが、マックスはシーリーを彼と結婚させる。
1990年代に台頭した2人のスター、シャールク・カーンとアイシュワリヤー・ラーイを主演に据えていながら、どちらかといえば彼らは脇役に近い。シャールク演じるマックスはアンチヒーロー的な存在であるし、その双子の妹シーリーについても、ヒロインであることには間違いないが、何か目立った活躍をするわけでもない。そういう意味で、いびつなキャスティングの作品だと感じた。
この映画の真の主役は、チャンドラチュール・スィン演じるラーフルだ。ラーフルは常に「真実」のために行動する。マハートマー・ガーンディーの提唱したサティヤーグラハの実践者だ。地上げ屋をする兄プラカーシュを諫め、非暴力の道を説く。イーグル団にからかわれても抵抗せず、むしろ友好の手を差し伸べる。シーリーと恋仲になった後は、それを隠し通すのではなく、きちんとお互いの兄に打ち明けることを提案する。プラカーシュが殺された後は、容疑者のマックスがいかに恋人の兄であろうとも私情に流されず、彼に正当な刑罰を受けさせようとする。そしてプラカーシュの死の真相が明らかになると、今度は臆せずそれを裁判で明らかにし、マックスの無罪判決を呼び込む。彼は常に正しい道を歩もうとし、時には苦難にも直面するが、最後には真実によって全てを丸く収めてしまう。ラーフル以上にかっこいいキャラはこの映画に存在しない。
マンスール・カーン監督はアーミル・カーンの従兄弟にあたる。当初、ラーフル役はアーミルにオファーしていたようだが、拒否されたという。もしそれが実現していたら貴重なシャールクとアーミルの共演作になっていた。彼らが唯一スクリーンを共有したのは「Pehla Nasha」(1993年)であるが、どちらもカメオ出演であった。時代は飛んで、アーミル・カーン主演の「Laal Singh Chaddha」(2022年)ではシャールク・カーンがカメオ出演し話題になった。よって、クレジット上は共演作になる。しかしながら、この映画でも二人は依然としてスクリーンを共有していない。
では、なぜシャールクがどちらかといえば脇役にあたるマックス役を引き受けたのか。当時のシャールクは、「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年/邦題:シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦)や「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)などのロマンス映画が当たりすぎて、ロマンスヒーローのイメージがこびりついてしまっていた。おそらくイメージの固定化を嫌い、敢えて「Josh」にてアンチヒーロー役を選んだのではなかろうか。元々シャールクはアクションヒーロー志望だったとされる。ガキ大将のような不良青年を演じるシャールクはいつになく楽しそうに見えた。
「Apun Bola」というラップ調の挿入歌があるが、なんとシャールクが自ら歌い、歌声を披露している。アイシュワリヤーとペアのダンスになるが、彼女は歌っていない。
アイシュワリヤー・ラーイも当時人気絶頂期にあった。彼女は王道のヒロイン女優であり、彼女の持ち味はやはり正統派ヒロイン役だ。だが、敢えて「Josh」では不良っぽい大学生役を演じていた。それもイメージの固定化回避策だったと思われる。確かにこういう悪女っぽいアイシュワリヤーも魅力的だ。とはいえ、いかに悪そうな演技をしていても、内側から清楚さが滲み出てしまう。後半、ラーフルと恋仲になり、恋する乙女と化したシーリーは、もはや不良が消え去っていた。シャールクとは双子という設定であった。アイシュワリヤーの有名な身体的特徴のひとつは青い目だが、今回はシャールクがアイシュワリヤーに合わせ、青いカラーコンタクトを装着して双子を演出していた。
マックスとシーリーはキリスト教徒、プラカーシュとラーフルはヒンドゥー教徒と、宗教ではっきりとラインが引かれていた。しかし、イーグル団とビッチュー団は宗教的な理由から対立しているようには見えなかった。土地を巡る争いであり、お互いに縄張りを決めて均衡を保っていた。彼らがなぜ対立していたのかは説明されていない。
「Josh」は、シャールク・カーンとアイシュワリヤー・ラーイが共演するインド版「ウエスト・サイド物語」だ。しかしながらシャールクはヒロインの兄という脇役的な役柄を演じており、一番おいしい役はチャンドラチュール・スィンが演じている。ファンの期待の斜め上を行っている作品だといえる。王道のストーリーであり、上手にインド化して作ってあって、ヒットもした。個人的にはガーンディー主義的なメッセージが強く読み取れる点が興味深い。良作である。