The Song of Scorpions (Switzerland)

The Song of Scorpions
「The Song of Scorpions」

 2020年4月29日に神経内分泌腫瘍を原因とする合併症により53歳で死亡した俳優イルファーン・カーンは、ヒンディー語映画界を中心に国際的にも活躍した名優であった。彼の遺作となる作品が「The Song of Scorpions」である。2017年8月9日にロカルノ国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2023年4月28日になってようやく劇場一般公開された。

 監督はアヌープ・スィン。タンザニア生まれ、ジュネーヴ在住のインド系スイス人監督であり、過去にパンジャービー語映画「Qissa」(2015年)を撮っている。キャストは、イルファーン・カーン、ゴルシーフテー・ファラーハニー、ワヒーダー・レヘマーン、シャシャーンク・アローラー、ティロッタマー・ショームなどである。

 ほとんどがインド人俳優だが、この映画の主演であるゴルシーフテーはイラン人女優だ。イラン映画で数々の受賞をし、「ワールド・オブ・ライズ」(2008年)、「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」(2017年)、「タイラー・レイク 命の奪還」(2020年)など国際的な映画にも出演している。しかしながら、彼女はヒジャーブ着用やヌードを巡ってイラン政府から目を付けられており、現在はパリで亡命生活を送っている。

 「The Song of Scorpions」自体はジャイサルメールで撮影されている。サソリに刺された患者を歌で治すカルベーリヤーの女性を主人公にしている。しかしながら、監督はインド系スイス人、主演は亡命イラン人女優と、かなり国際的な顔ぶれになっている。

 ヌーラン(ゴルシーフテー・ファラーハニー)は、サソリに刺された患者を歌で治す不思議な力を持ったカルベーリヤーの女性であった。祖母ズベーダー(ワヒーダー・レヘマーン)と共に砂漠の中の一軒家に住んでいた。ラクダ商のアーダム(イルファーン・カーン)はヌーランに惚れており、彼女に結婚を申し込んでいたが、ヌーランは無視し続けていた。あまりにしつこく口説いていたため、彼はヌーランの仲間から暴行を受けてしまう。

 ある晩、ヌーランはムンナー(シャシャーンク・アローラー)という男性にレイプされる。その日から祖母は姿を消してしまった。ヌーランは村から追い出されそうになる。アーダムは彼女に再び結婚を申し込む。ヌーランは、祖母の捜索を手伝うことを条件に彼と結婚する。アーダムにはアーイシャーという娘がいた。ヌーランはすぐにアーイシャーと仲良くなる。

 実はムンナーはアーダムに言われてヌーランをレイプしていた。アーダムはサソリを使ってムンナーを殺そうとするが、死ぬ前にムンナーはヌーランのところまで辿り着き、全てを暴露する。ヌーランはその後もアーダムと一緒に住み続け、やがて妊娠する。

 アーダムの留守中にヌーランはわざとサソリに刺される。帰ってきたアーダムは砂漠の中にヌーランがうずくまっているのを見つけ駆け寄る。ヌーランは、彼に復讐するために、お腹の子供と一緒に死ぬと言う。アーダムもサソリに刺され、共に死のうとする。だが、ヌーランは歌を歌い、彼を救う。アーダムが目を覚ますと、ヌーランは消えていなくなっていた。

 ストーリーの全てを分かりやすく提示するのではなく、断片的かつ暗示的な映像を並べることにより観客に想像力での補完を促し、物語を進めていく手法が採られていた。たとえば、ヌーランがレイプされるシーンもはっきりと描写されているわけではないし、祖母が突然いなくなったことについてもいちいち細かい説明があるわけではない。ジャイサルメールの雄大な自然とそこで生活する人々の生き様がしっかりとカメラに捉えられており、ひとつひとつのシーンは映像的に非常に美しいものの、冗長に感じるものも多く、セリフよりも沈黙によって多くが語られていた。また、サソリの毒を消す効力を持つというカルベーリヤーの素朴な歌が郷愁を添えていた。

 解説やあらすじの中では、主人公ヌーランや彼女の属するコミュニティーのことを「カルベーリヤー」と呼んだが、実は確証があるわけではない。彼女たちの衣装からカルベーリヤーをモデルにしているのは確実なのだが、彼女たちの風習がそのままカルベーリヤーのものだとは断言できない。架空の部族かもしれない。通常、カルベーリヤーは蛇使いのイメージが強く、解毒を司るとはいっても蛇の毒の方が主である。カルベーリヤーは独特のダンスを踊ることでも知られており、歌、音楽、踊りを得意とする人々でもある。そして、呪術的な治療を行うともされている。だが、サソリの毒を歌を歌って治すような特殊能力または風習があるとは聞いたことがない。また、カルベーリヤーは遊牧民であり、決まった家は持たないはずである。ヌーランにはちゃんとした家があった。

 物語の転機となるのはヌーランのレイプである。ヌーランはある晩、兄がサソリに刺されたと言う少年に呼び出され、人気のない場所に行くが、そこで襲われてレイプされてしまう。インドでは、レイプの被害に遭った女性は「尊厳が失われた」とされ、一族の名誉を汚す面汚しとして家族や村から村八分に遭うことがある。ヌーランも村から追い出されそうになるが、日頃から彼女を口説いていたアーダムが彼女を妻として迎え入れる。アーダムには娘がいたため、彼にとっては再婚となるのであろうが、前の妻がどうなったのかについては詳しく語られていない。

 だが、後から実はアーダムがムンナーに言ってヌーランをレイプさせたことが発覚する。なぜそんなことをさせたのかについてもはっきりしないのだが、セリフをつなぎ合わせてみると、彼はヌーランのことを忘れたくてそうさせたのだということになる。彼女がレイプされれば、「尊厳が失われた」ことになり、彼の妻としてふさわしくないことになる。そうすることで自分を無視し続けた彼女への復讐にもなるし、彼女を忘れるための理由にもなる。しかし、あまりに自己中心的な行動原理であり、ヌーランにとっては非常に迷惑なことだ。

 後にヌーランは真実を知ってしまうが、そこで反射的に行動を取ることはなく、逆にアーダムを性的に誘惑し始める。そして彼女は妊娠する。なぜそういうことをしたかというと、彼女はアーダムに幸せの絶頂を味わわせ、その瞬間に全てを彼から奪うことで、彼への復讐としようとしたのだ。だが、最終的に彼女はアーダムの命を救い、彼を許した。お腹の子供と共に死のうとしたヌーランを追って、アーダムも死のうとしたからだ。彼の愛情が本物だと知ったヌーランは歌を歌い、アーダムの身体の中から毒を抜いたのだった。しかし、彼女自身は消えてしまった。

 こちらで行間を補って理解する必要のある映画で、映像の美しさに目を奪われているとストーリーを見失ってしまう。だが、知的な鑑賞を必要とする分、深みのある作品になっている。これがイルファーン・カーンの最後の作品となってしまったが、最後まで彼は飄々とした演技をし続けた。相手役のゴルシーフテー・ファラーハニーも貫禄の演技であった。さらに、ワヒーダー・レヘマーン、シャシャーンク・アローラー、チョイ役ではあるがティロッタマー・ショームなどが好演をしていた。

 「The Song of Scorpions」は、ジャイサルメールの砂漠が舞台のインド的な物語ではあるが、国際的な人材によって創り上げられた国際プロジェクトでもある。そのためであろうか、多少インドへのオリエンタリズム的な憧れが織り込まれていたようにも感じた。イルファーン・カーンの遺作という点はインド映画ファンにとって非常に重要だ。観て損はない映画だが、通常のインド映画ではない。