インド二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」には一妻多夫婚が見られる。主人公パーンダヴァ五兄弟はドラウパディーという共通の妻を持つのである。最初にドラウパディーと結婚したのは三男のアルジュナだった。アルジュナはその吉報を母クンティーに伝えようとしたが、食べ物でも拾ってきたと早とちりした彼女は「兄弟で仲良く分け合いなさい」と答えてしまった。こうしてドラウパディーはパーンダヴァ五兄弟の共通の妻になったと説明されるが、これはインドにかつて一妻多夫婚の習慣があった名残でもあるとされている。現に、特に土地が限られている山間部では財産の細分化を防ぐために一妻多夫婚がごく最近まで一般的だった。
2018年4月13日公開の「Brina」は、ヒマーチャル地方を舞台にした、一妻多夫婚が主題の映画である。ヒマーチャル地方に伝わる伝承にもとづいているとされている。
監督はパワン・クマール・シャルマー。過去に短編映画を撮っているが、長編映画の監督は初である。キャストは、アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ、サンジャイ・ミシュラー、ヤシュパール・シャルマー、ラージェーシュ・ジャイス、マーンダーキニー・ゴースワーミー、アースター・サーワント、ガウリー・ワーンケーデー、アンシュル・クマール、ニーラジ・スードなどである。
題名の「ब्रीणा」はあまり一般的ではない単語だが、ヒマーチャル地方で「持参金」を意味するようだ。インドの大部分では持参金は花嫁の家族が花婿の家族に支払うのだが、ヒマーチャル地方では花婿の家族が花嫁の家族に支払うことになっていた。地域によって様々な習慣があり、時には反対になるのは面白い。
ヒマーチャル地方のとある村では、毎年ある日になると川に男性と女性を象った人形を流していた。ジャーナリストが主催者に祭りの由来を尋ねると、彼はこの村でかつて起こった事件を語り出した。 かつてこの村に住んでいたチンターマニ(ラージェーシュ・ジャイス)とマトルー(マーンダーキニー・ゴースワーミー)夫妻の間には2人の娘がいた。長女はラッジョー(ガウリー・ワーンケーデー)、次女はラーフラー(アースター・サーワント)という名前だった。ラッジョーは既に結婚しており、ケークラーム(サンジャイ・ミシュラー)の妻になっていた。ケークラームには2人の弟がいた。ラッジョーは村の習慣に従い、ケークラームだけではなく、弟たちとも夜の相手をしなければならなかった。ラッジョーは身籠もっていた。 チンターマニは借金で首が回らなくなっており、家や建物も抵当に入っていた。高利貸しのダウラトラーム(ニーラジ・スード)は、ラーフラーとの結婚を条件に借金を帳消しにすると約束する。一方、ケークラームにも借金があった。ケークラームはセーヴァクラーム(ヤシュパール・シャルマー)にラーフラーのことを伝え、彼女との結婚と引き換えに借金の帳消しを求めた。こうしてラーフラーは他人の都合でダウラトラームかセーヴァクラームと結婚させられそうになっていた。 ラーフラーにはシヴ(アンシュル・クマール)という恋人がおり、彼との結婚を決めていた。しかし、彼には資産がなく、ラーフラーの親に持参金を支払うことができなかった。ラッジョーはラーフラーとシヴの関係を知り、ラーフラーにシヴと駆け落ち結婚することを勧める。だが、ラーフラーは両親からの許可の下にシヴと結婚することを望んだ。 マトルーは勝手にダウラトラームとラーフラーの結婚を決めてしまう。それを聞いて怒ったセーヴァクラームはダウラトラームとラーフラーの結婚式に乗り込もうとするが、ケークラームに止められる。ラッジョーが出産したら彼女をセーヴァクラームに差し出すと約束し、セーヴァクラームは引き下がる。 ラーフラーはダウラトラームと結婚する。だが、ダウラトラームの家へ向かう途中で急に輿から下り、丘の上に駆け上がって、崖下に身を投げてしまう。シヴもラーフラーの後を追って飛び降りる。 以来、村ではシヴとラーフラーに祟られるようになってしまった。そこで村人たちは毎年欠かさずシヴとラーフラーを象った人形を結婚させ、川に流しているのである。
ヒマーチャル地方にある実際の村で撮影されたと見え、そのロケーションや家屋はリアルだ。セリフにも当地の方言が混ぜられ、雰囲気がよく出ている。サンジャイ・ミシュラー、ラージェーシュ・ジャイス、マーンダーキニー・ゴースワーミーといった俳優たちの演技も素晴らしいものがあった。しかしながら、経験の浅い監督による低予算映画という素性は隠されておらず、とてもテンポの悪い映画であった。
映画全体を通して、ヒマーチャル地方に残っていた一妻多夫婚の因習がいかに女性の尊厳を侵害してきたかが描かれる。当面、一妻多夫婚の被害に遭っていたのはラッジョーであったが、彼女は妹のラーフラーが自分の同じ目に遭いそうになっていたことで気を揉む。ラーフラーには、ダウラトラームとセーヴァクラームから同時に縁談が舞い込んでいたが、どちらにも兄弟がおり、ラッジョーが日替わりで兄弟の相手をしなければならなくなることが目に見えていた。ラッジョーは、ラーフラーが恋人のシヴと結婚すれば、誰かと共有の妻になることなく愛してもらえると考え、妹にシヴとの結婚を勧める。だが、ラーフラーはダウラトラームとの結婚を選び、彼の家に辿り着く前に投身自殺をしてしまう。
「Brina」で一妻多夫婚に苦しんでいたのはラッジョーだけではなかった。ラーフラーをダウラトラームと結婚させようと躍起になっていた母親マトルーもかつてはチンターマニの兄弟によって夜な夜な犯され続けていた。今はもう死んでいるが、チンターマニの母親も同じだった。ヒマーチャル地方に生まれた女性たちは、何世代にも渡って、この因習に蹂躙され続けていたのである。
ラーフラーは、自分が死ぬことでこの悪習を止めようとした。1955年にヒンドゥー婚姻法が制定され、ヒンドゥー教徒の複婚は禁止されたため、現代において堂々と一妻多夫婚が行われている地域はないと思われる。よって、「Brina」はかつてインドにこのような悪習があったということを伝える内容の映画であり、現代インドの社会問題を取り上げているわけではない。持参金についても、一般とは金品の流れる方向が逆なので、持参金批判の作品としても弱かった。
「Brina」は、かつて一妻多夫婚の習慣が残っていた一部地域の物語である。文化人類学的に興味深い事象ではあるが、複婚を禁じた婚姻法が成立して久しい現在まで根強く残っている習慣とは思えない。映画としての完成度も低い。観なくてもいい映画だ。