Mersal (Tamil)

3.5
Mersal
「Mersal」

 2017年10月18日公開のタミル語映画「Mersal」は、タミル語映画界の「タラパティ(大将)」、ヴィジャイ主演のアクション映画である。ヴィジャイが初めて一人三役を演じることや、インドの医療問題など、社会問題に触れる内容であることから大いに話題になった作品だ。英語字幕で鑑賞した。

 監督はアトリー。ヴィジャイと組んで「Theri」(2016年)をヒットさせており、次作「Mersal」で引き続きヴィジャイを起用した。音楽はARレヘマーン。主演ヴィジャイの一人三役に合わせてヒロインは3人おり、カージャル・アガルワール、サマンサ・ルース・プラブ、ニティヤー・メーナンが配役されている。他に、SJスーリヤー、サティヤラージ、ヴァディヴェール、ハリーシュ・ペーラディ、ヨーギー・バーブーなどが出演している。

 題名の「Mersal」はタミル語だが、一般的な単語ではないようだ。チェンナイの方言で「恐怖」を意味するという。

 マーラン(ヴィジャイ)はたった5ルピーで貧しい人々の診療や治療をすることで有名な外科医だった。マーランに国際的な賞が贈られることになり、彼は相棒のヴァディヴ(ヴァディヴェール)と共にパリを訪れる。そこでマーランは著名なインド人医者アルジュン・ザカーリヤー(ハリーシュ・ペーラディ)のアシスタント、アヌ・パッラヴィ(カージャル・アガルワール)と出会い、恋に落ちる。マーランはパリで手品ショーを行い、アルジュンやアヌを呼ぶ。マーランはステージ上でアルジュンを殺害し、姿を消す。

 2年後。チェンナイで4人の医療関係者が次々に行方不明になるという怪事件が起きる。ランディー警部(サティヤラージ)はマーランが犯人だと突き止め、彼を逮捕する。マーランは、その四人のせいで貧しいオート運転手が妻子を失ったこと、その復讐のために誘拐したことを明かし、居場所を教える。また、実は彼はマーランではなく、瓜二つのヴェッリ(ヴィジャイ)であった。2年前にパリでアルジュンを殺したのも実はマーランに成りすましたヴェッリだった。

 それより前にマーランは、レポーターのターラー(サマンサ・ルース・プラブ)と出会い、彼女にインタビューを受けていた。それをTVで観た悪徳医師ダニエル・アローギヤラージ(SJスーリヤー)は、マーランの存在が医療ビジネスの妨げになると感じ、刺客を送り込む。マーランは殺されそうになるが、それを助けたのがヴェッリだった。

 マーランは助け出され、ヴェッリはランディー警部から逃げ出す。そして二人は初めてまともに顔を合わすことになる。二人の存在を知っていたヴァディヴは、彼らの出生の秘密を語り出す。

 マーランとヴェッリは、タミル・ナードゥ州マドゥライ近くのマヌール村を治めていた地主ヴェッリマーラン(ヴィジャイ)の息子だった。ヴェッリマーランの妻はパンジャーブ人で、名前はアイシュワリヤー(ニティヤー・メーナン)といった。ヴェッリマーランは村に病院を建て、医師としてアルジュンとダニエルを迎え入れる。ところがダニエルはすぐに本性を現し、医療をビジネス化し始める。アイシュワリヤーは、長男のマーランを故郷パンジャーブ州で産んでいたが、次男ヴェッリはこの病院で産もうとした。だが、ダニエルは金を儲けるために自然分娩ではなく帝王切開を選ぶ。取り出された赤ん坊は息をしておらず、アイシュワリヤーも麻酔のミスで死んでしまう。ダニエルはヴェッリマーランを殺す。このとき、マーランは脱出に成功し、捨てられたヴェッリは息を吹き返していた。マーランは医者になり、ヴェッリは叔父のヴァディヴと共に手品師の養子となって手品師になったのだった。

 マーランとヴェッリは再び入れ替わり、マーランはヴェッリの代わりに逮捕される。それを知ったダニエルは急いでヴェッリのところへ部下と共に駆けつけるが、ヴェッリに殺されそうになる。だが、そこへダニエルの用心棒カーシがトラックで突っ込んできてヴェッリの意識を失わせる。カーシはマーランも連れていた。だが、今度はマーランが大暴れし出し、カーシを殺す。そして最後にはマーランとヴェッリが力を合わせてダニエルを殺す。

 ヴェッリは再び逮捕され、服役することになった。だが、彼は手品を使っていつでも困った人を助けようとしていた。一方、マーランはインド医療委員会の委員長に就任する。

 インドの医療は欧米と比較して遜色ない割には安価であり、医療ツーリズムも推進されている。だが、最新機器が揃う代わりに高額な医療費を取る私立病院と、安価ながら設備が整っていない公立病院の格差が開きすぎており、貧しい人々の生命や健康が守られない現状になっている。「Mersal」はそんなインド医療の問題点を指摘し、全ての人々に無料で最高レベルの医療サービスを平等に与えることを訴えている。

 ただし、本作はあくまで娯楽映画であり、悪役は娯楽性を損なわないように、意図的に分かりやすく設定されている。医療をビジネスと考え、その邪魔をする者を排除しようとする悪徳医師ダニエルと、その片棒を担ぐ医師アルジュンである。彼らを倒してもインドの医療は少しも改善されないのだが、複雑な問題を敢えて単純化し、エンディングにカタルシスを感じられるようにしている。

 社会的メッセージ以外の部分では、ヴィジャイの一人三役が一番の見所だ。しかしながら、ヴィジャイは瓜二つの兄弟マーランとヴェッリの演じ分けをほとんどしておらず、途中で一体どっちがどっちなのか分からなくなる。過去のシーンに登場する、二人の父親ヴェッリマーランにしても、あごひげを生やしている点くらいしか判別できるポイントがない。本来ならば演技によって三役を演じ分けることを一人三役と呼ぶと思うのだが、ヴィジャイはどの役を演じるときもヴィジャイのままであった。

 完全にヴィジャイ主体の映画であり、3人のヒロイン、カージャル・アガルワール、サマンサ・ルース・プラブ、ニティヤー・メーナンの出番は限られていた。タミル語映画界は女優にとっては生きづらい世界なのではないかと感じてしまう。しかも、マーランとターラー、ヴェッリとアヌの恋愛はほとんど進展することがなかった。ロマンス要素は非常に弱い映画だ。三人の中では、ヴェッリマーランの妻アイシュワリヤーを演じたニティヤー・メーナンがもっとも見せ場があった。

 個人的には、タミル語映画にしてはヒンディー語の使用率が高かったことが気になった。過去の回想シーンでは1979年のパンジャーブ州に飛び、そこではヒンディー語が使われる。ただ、タミル語映画全般に見出される、タミル語やタミル文化を礼賛するタミル至上主義のスタンスは健在だ。タミル人男性が着用するドーティーを盛り上げてみたり、タミル語で自分の意見を表明することに価値付けをしてみたりと、タミル愛にあふれた映画だった。パンジャーブ州の場面でダンスシーン「Aalaporaan Thamizhan」に移行するが、そこで歌われているのは「タミル人が支配する」である。タミル語映画の特徴であるローカル主義が「Mersal」にも顕著に見られる。

 ヴェッリマーランは、村に寺院を建設する代わりに病院を建設する。これも見方によればタミル・ナードゥ州に根強い反ブラーフマン主義の現れだと受け止められる。貧しい人々に本当に必要なのは、効果があるかどうか分からない神様や寺院ではなく、科学の力で確実に人を助けることができる病院である。現代の寺院は病院であり、医者は神様である。そんな啓蒙主義的なメッセージが感じられた。

 それに加えて、中央政府で政権を握るインド人民党(BJP)の政策を揶揄するシーンも散見された。例えば、BJPが肝いりで導入した物品サービス税(GST)が無料医療サービスの実現に全く寄与していないことが槍玉に挙げられていたし、モーディー首相が推進するデジタル・インディアをからかうような場面もあった。これらのシーンはBJPや、その友党である全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩連盟(AIADMK)から批判を受けた。

 「Mersal」は、ヴィジャイが一人三役をして最初から最後まで活躍し続ける、スターシステムに忠実に則った作りのアクション映画だ。ヴィジャイが演じ分けをあまりしようとしていないことから、彼が演じるキャラの見分けがつかず、その影響で筋を追うのが難しい欠点もある。インド医療の問題点を指摘しているのは社会派映画としての深みも持たせようとしたからだと思われるが、それもきちんとした調査や分析の上に組み立てられたものとは思えなかった。興行的には大ヒットとなっているが、手放しで賞賛することはできない作品である。